#みんなのブログ #長い文 #短い文 #読むことの好きな人と嫌いな人 #物書き人とそうでない人

2019-09-06 14:33:19 | 日記
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🔷短い文の好きな人へ🔷
↓↓↓
#短い文

一番短い文
↓↓↓

『一筆啓上 火の用心 おせん泣かすな 馬肥やせ』
↑↑↑

コメントはありません。
長くなるので。
考えれば分かります。



🔷以下は、長い文を愛する人の為向けです🔷

短い文が好きな人は、この上までで終わりです。
ごめんなさい。


#ハガキも書けないと言う人もいる。

たった5つ6つの言葉さえも無理だろうか?

一、こんにちは。
二、お元気ですか?
三、私も元気です。
四、それでは、お元気でいてください。
五、さようなら。
六、敬具。

もう少し長く書きたい!と言うのであれば。
5W1Hの事を考えて書けば良い。
Who, When, What, Where, Why.(5W)
How (1H)

尚、この法則は
他の分野でも使えるものである。



#長い文

論文は長い。

長い文が嫌いな人は読まない。
論文は書かない。
卒論も採らない。
卒論『無し』で学校を卒業した人がいる。

彼はこう言う。

面倒くさいから、書きませんでした。
(それで通るんですか?)
他の単位を採れば良いんです。

そこは、卒業論文は必須では無いのだと知った。
それでも、卒業免状を貰えるんだと言うことも初めて知った。







長い小説。

小説を書こうと思った。
100枚くらいでよいだろう!
と考えた。

それくらいなら、書いたことがある。

その後、『小説』は何百枚必要だと知った。

短編、中編、長編とパートが違うことも知った。

先輩から手が腱鞘炎になったと聴いた。
長い文を書いたことが無かったのか、
書くのに手間取ったのか、
どのくらい書いたのか、それ以上、突っ込んで質問するのは可哀相だからやめた。

先輩は、それが叶わなくて、そこを辞めた。
中途、退学なのだ。

その反対に
私の知り合いに、画家がいる。
ペンキ画家である。

彼は、右手で大きなサイズのコンパネを幾つか張り合わせたモノにいつも描いていた。

ある日、大切な右手が故障した。

簡単には治らない骨折。

自分を羨むより、もっとしたいことを考えた。

そしたら、彼はあることを思い付いた。

多くの人が思い付いても出来ないこと。

内面パワーが小さいとそれは、出来ない。


彼が思い付いたそれは、

今まで一度も使ったことの無い左手で絵画を行うこと。

ぎこちない左手を一生懸命、使うことにより訓練して、

『描く力』を付けた。

そして、左手で絵画を描けるようになった。

そしたら、今では、左手と、今までで傷んでいた右手が治り、

両手で絵画を描くと言う手法を身につけた。

それは、『決して諦めず、自分を腐らせず、今まで出来たことを呪わず』前に向かって進むことだ。🍀🍀🍀

自分の大好きな絵画の為に努力すること。🎨🖌️🎨🖌️🎨🖌️

独力無くして才能は伸びない。💪

🌹私はそんな素敵な友人を持っていること、

🌹そして、英語でメールのやり取りが出来る友人を持ったこと、

🌹内面パワーの強い彼のビデオレターを観れることを『幸い』と感じた。

🌹今では彼は、たくさんの生徒さんがおり、野外絵画キャンプで一緒に好きな絵を描いている。🎨🖼️🚚🚗🚐🚌〰️


💐私が彼を知ったのは、韓国語と英語で書いた私のblogを見て、彼がメールを私にくれたことがきっかけで私は彼と知り合いになった。💐



どこに『友達』となるチャンスがあるのか、やってみないとそれは分からない。

この地球は、ファンタスティックでアメージングなプラネットだと、

私は今までずっと信じて来たし、

今でもそれを考えている。

そして、将来もそれを大切に行っていくだろう。


宇宙の中で、ブルーマーブルのこの惑星が『只者では無い』と信じているからこそ

数多くの『奇跡』は

この私にも起きるのだ。


それがもし『偶然』生じるのならば、太陽系の他の近くの惑星でも、
当然このことは生じるだろう筈だから。

しかし、それを私は信じてはいない。







#読むことの好きな人と嫌いな人

読むことの好きな人は、

短文も・長文も読むことだろう。

読めるかどうかは、文の長さではない。

長いから、『読む気が無い』と言うのは内心をカバーしたトークであり、それは真実では無い。
単なる好みの範疇のレベルでのことだ。


私が若い頃に友達と話し合った。
それは、
『活字離れ』
した人々のことだからだ。



『白ヤギさんから手紙が来た。しかし、黒ヤギさんはその手紙を読まずに、直ぐにその手紙を食べた。』

その話しと似ている。

文字を拾うと言う作業より、ビジュアルの方が分かりやすいと言うのも、誤解だ。
それを公にすることは自分の主張を他の人にリークしている。他の人の思考まで変えようとしている。


他方、
文の大好きな人には、

『ネバーランドエンディングストーリー』のあの少年のようだ。

文字の向こうにある

『声、音、色、匂い』

の全てをその一冊の本から味わえるのだ。

そのイマジネーションがあれば、その本の中に吸い込まれて、彼はその中の世界の人々を自分が助けてあげないといけない、と感じるのだ。

そして、ファルコンに出会い、そこの世界で『姫君』を知り、友達になれるのだ。

そして、あの『虚無』の世界から逃れる為に。


その本自体、暑くて、二色刷で、布張りだ。

長文が好きで無ければ、その本さえ手にはしないだろう。

私は、その本のおかげで映画も観に行った。

本と映画では、少し違っていることも知り得た。

全ては、その長文に付き合えるだけの内面パワーと得意なイマジネーションのおかげだ。









#物書き人。

物書き人は、

ハガキも書ける。

短いショート・ショートも書ける。

手紙も、レポートも、論文も書ける。

短歌も書ける。

私もそれを書いて投句したら当選した。

それがきっかけで、

短歌にはまり、

もう何百作を越えてしまった。



短い言葉の方が難しいことも知った。

短い言葉ができれば、長い文も書ける。

何百枚の原稿用紙に描くためには、筋肉と精神パワーを鍛えなければ出来る筈は無いと考えた。

『チャレンジ』精神でやり始めたものの、

最後まで完成させる為には、

鍛えられた内面パワーと
話のネタの数と
口から指を動かすベクトルを変えなければならない。



話の種子が尽きた作家もおり、

それはプロに成った短歌や俳句の作家でも同じだと言う。

書けないことで、私の先輩のように腱鞘炎にもなる。



400字詰めx300枚で120000文字。

ここら辺で論文を越えて
小説に足を踏み入れたことになる。

これを自分の好きな言語の3か国語で翻訳すれば、x120000文字=360000文字となる。

つまり、400字詰めx 800枚を書いたことになる。

その為には、

力と内面パワーとアイデアの実力を身に着けるために、

短いお話を沢山作ることだ。

そうこうして、私の計画は実行された結果、

現在、3か国語で優に900作品を越えた。

2年間掛かった。

それが現在3か国語で2700作品と言うことは、

原稿用紙400字詰めx10枚で4000文字。
50枚で20000文字。
100枚で40000文字。

300枚で120000文字。
↓↓↓
これを基準にして
もし、900作品を作れば、
それは、10,800,000文字となる。
その文字数を120,000文字で割ると、90冊の本となる。

つまり、400字詰x300枚を1冊の本として、1か国語で90冊分書いたことになる。

これを3か国語に換算すると、
2700の物語を私は既に書いたことになる。

いや、書いて『しまった』ことになったのだ。

2年間、無我夢中で2700の物語を書いたと言うことは

あの『千一夜』物語を越えてしまっている。

『1000日も一夜の如く』と言うことであろう。
或いは、『1000年も一夜』かも知れない。

それでは、アラビアンナイトの世界だ。

まさか、『1001夜』ではないだろう。
それでは『101匹のワンちゃん』のアニメの物語になってしまう。

これを考えれば、私の長編は只、『1冊が目標』だったのに、
90冊の長編を書いたことになる。

後は、その物語を英語で書くことだ。

それが私の目標となった。

そして、そのシナリオは、もう出来ている。








・アイデアの宝庫。

それは、生きている自分、他の人、自然界、仕事、想像した創造の世界、過去の体験、未来の予想図、等々。

900作品の経過過程の中で、必然的にそのアイデアも教えて貰った。


アイデアは、家の中にいたのでは、産まれない。不健康になると言う作家もいた。

座りっぱなしは血液循環が悪くなり、入院した方がいた。



頬に『風』も当たらない。

『太陽』も、『鳥』の声も、
『雑踏』の音、『川』の流れの音、『電車』の音、

顔見知りの人にも会えない。

それでは、

よくある話の作者のように

青白い顔で痩せこけたシワの多い顔の人が

ヒョロヒョロした体力で歩いているような話だ。


それでは『我身』が持たない。

『夢の実現』どころの話では無い。



いや、『それ』をも題材に出来るかも知れない。

『ヒョロヒョロ君の日記』。

それも笑える。







・映画の世界。🌌📽️

映画はダイナミックな感動とヒントを得られる。

それを掴むために、何度も私は観に行けた。

その理由は、アンケートを書いて出したら、ペアセットで無料観賞券が何回か当選してしまったからだ。

そのおかげで、様々な映画を無料で観られた。

感動は記憶の中に残る財産だ。

スクリーンの中に、観ている人を引き込む力がある。







📽️映画までの時間🎥

それは始まるまでが長い。

時間が来てそこに入ったのに。

電気も消えない。

5分や10分は宣伝がある。

注意事項である。

・映像著作権違反のこと。
・携帯での撮影は罪になります。
・マナーモードにしましょう。
・足で前の人の椅子の背中を蹴らないようにしましょう。
・映像館の中で、元カレに会っても騒がないでください。
・その中で、流し素麺はしないでください。

最近ではこんな当たり前の注意をしなければならない時代になってしまったのか?

まるで子供に注意するみたいな話だ。

それだけ、大人の常識が無くなったのか、それとも元々、それが無かったのか。

いくら何でも『流し素麺』など機材を持ち込んでやる人がいると言うのか?

笑える時代になった。

映画を観に来ていて?

映画に飽きたからか?

それは、集中力や注意力、観察力が無い人のこと。

静かに寝ていてくれたら何の文句もない。

何をパフォーマンスしたいと言うのか?

映画が上映されていてもか?

そのパフォーマンスが映画以下であれば、

それを逆手に『お金を返せ!』

と会館側に後で言ったら何と言うだろう?

知りません!と答えるに違いない。



それも、映画になる。

そこから物語は始まるのだ。

『流しソバをする人々』。
これでは、映画のタイトルにはならない。当たり前過ぎる。

『SF 流しソバ・スライダーの行方』

或いは『我ら流しソバスライダーミッション』。

そのスパイラルは未来への入り口だったのだ!

若者たちはそこを通って、知らない未来へと流れて行ったのだ。

果たして、その先は?

彼らの命は?

乞うご期待!

となる。妄想映画は終わった。








そうこうして、やっとお目当ての映画が始まった。

大きな音で『ブー』と開始音が長く鳴り響く。

そして、照明はトーンを落とされて消えていった。

周りもスクリーンも真っ暗になった。

✨✨🎥🌌🎼
✨✨📽️🌠🎧️🎶


そして、
音の
ストーリーが
始まる。

こうして、
未来への私の道の
幕が
再び切り落とされた。
それは、今日。
2019.09.06の事だ。

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©️394Shanxi's blog.#No.72.