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千月板ブログ

ゆっくりゆっくり更新

伊勢 その2 千月板 Apr. 22nd, 2010

2010-05-10 15:31:30 | 旅行記

大喜 

 そして当時は存在しなかった「おかげ横丁」に立ち寄ってみます。目的は赤福本店ですが、最初に赤福を食べてしまうと、ビールや伊勢うどんが美味しくないと思い、伊勢うどんのお店に入ります。伊勢うどんは高速道路のサービスエリアなどでは食べたことがありますが、本格的なお店では初めてです。麺のコシとか歯ごたえは。讃岐うどんとは正反対のノン・アルデンテ麺ですが、これはこれでこの伊勢うどんの柔らか麺がなかなか美味しいです。

 赤福本店の店先では、あの有名な赤いかまどに薪が焚かれ、お湯がシュンシュンと沸いています。雨降りの肌寒い日の参拝で冷え切った身体にはこのかまどが大変ありがたく感じられます。
 出された小皿には手作りの赤福が3個乗せられており、その色つやは箱詰めのお土産とまったく別物に思えます。もちろん味の方もはるかに上等で3個をぺろりと平らげてしまいました。

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 その後、皇學館大学に向かい、神道博物館などの学内の視察および講演会に出席しましたが、その内容については割愛させて頂きます。

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 講演会終了後に我々が訪れたのは、宇治山田駅前の老舗割烹「大喜」です。ご存知、宮内庁・神宮司庁御用達の名門で、旧国鉄やJRのトップが神宮参拝の際に必ず立ち寄りとのことなので、きっと他の有名企業トップなどの立ち寄りも多いんでしょうね。
 我々は予算の関係から一番安いコースでお願いしましたが、どの料理も吟味された季節の素材に手の込んだ料理で、本当に美味しく頂いて、一同大満足です。やっぱり伊勢は「美し国(うましくに)」なんだと言うことを実感しながら、近鉄特急に乗り込みました。


伊勢 その1 千月板 Apr. 22nd, 2010

2010-05-10 15:26:09 | 旅行記

宇治山田駅

 伊勢の皇學館大学の講演会出席の前に、せっかく伊勢まで来たのだからと伊勢神宮内宮に立ち寄りました。個人的には内宮に参拝するのは小学校の修学旅行以来のことで、何十年ぶりかの参拝と言うことになります。

 今回生まれて初めて宇治山田駅で下車し、駅舎を正面から眺めた時、普通の駅舎ではないことに気がつきました。もちろんコンコースの高くてセンスの良い天井を見て、もしや?・・・とは思いましたが、外観はさらに想像以上です。
 誰の設計か気になり、帰ってから調べてみると、有名な建築家「久野節」の作品であることがわかりました。久野節の作品の中では、小生は「蒲郡プリンスホテル」(旧蒲郡ホテル)が好きで、蒲プリのバーから三河湾を眺めながらマティーニを飲むために良く出かけたことを、今回懐かしく思い出してしまいました。

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 宇治山田駅を出たバスは外宮を経由して終点の内宮まで走っています。内宮宇治橋前のバスターミナル前方には国道23号線の標識が立っており、23の表示の下には「終点」のプレートも付いています。豊橋を始点とする国道23号線も、ここ宇治橋前で終点となることを初めて知りました。

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 昨年掛け替えられた真新しい宇治橋を渡って内宮の域内に入るだけで心が引き締まる思いです。しばらく歩くと五十鈴川の河原に降りられて鯉などの魚が泳ぐところを見た記憶だけど?・・・と思いながら歩いて行くと、確かに五十鈴川の河原に降りられるところがありますが、大雨による増水と茶褐色の濁りのため鯉が優雅に泳ぐところは見られそうにもなく、素通りすることにしました。
 内宮の拝殿前は撮影禁止なので、階段の下で記念撮影?を済ませた後、参拝しました。2013年の式年遷宮までは宇治橋から遠い方の敷地に内宮は建っていますが、自分が小学生の頃はどっちに建っていたのか記憶をたどってみますと、階段の形状や帰り道の景色などから、やはり現在の内宮と同じ敷地に建っていたものと思います。


スービックと香港 その11 千月板 Mar. 4th-7th, 2010

2010-05-06 15:24:19 | 旅行記

マヤマヤ?

 南シナ海のサンセットを堪能した我々は、一路スービック・マリーナを目指しますが、海面はどんどん暗くなり視程距離も落ちて来たので念には念を入れたワッチと慎重な操船が必要になって来ます。灯火をともした小型漁船は遠くから発見出来るのですが、超小型の手こぎ漁船は無灯火のことも多く、注意が必要です。

 無事スービック・マリーナに戻った我々は、今夜のディナーのレストラン「シーフード・バイ・ザ・ベイ」に向かう。店の名前そのまんまマリーナ近くにあるこのレストランの店内は、スービック基地に駐留していたネイビーが残していったYナンバー(佐世保500Y2056など)や、アジア各地の道路標識などのインテリアで、いかにもアメリカ海軍色を演出しています。

 氷をふんだんに使った海の幸ショーテーブル?には、トロピカル・リゾートらしくカラフルな魚が陳列されており、その魚の中から食べたいものを選んで重さを量ってもらい、好みの料理方法でクックしてもらうと言うシステムです。当然のことながら単価の高い高級魚を沢山注文すれば、支払いも正比例することとなります。

 見慣れない熱帯魚が並ぶ中、我々の目にとまった赤い魚が、「マヤマヤ!」マヤマヤ?どこかで聞いたことが有る様な?・・・そういえばマリーナのレストランでランチした時のメニューに、マヤマヤってあったけど、どんな種類の魚か不明なのでオーダーを断念したばかりでした。

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 あらためてマヤマヤを良く観察してみると、小生が慶良間で釣り上げた「ミーバイ」に良く似ている。我々の仲間でサンゴ礁の魚に造詣の深い山さんの意見も「ミーバイに近い魚の様だ」とのことで、ミーバイに近い魚なら、きっと美味しいはず?とばかりにこの良形のマヤマヤを頂くことにしました。
 料理方法はもちろん活け造り!って言いたいとこだけど、たぶん刺身包丁の使える板さんはいないので、シェフにソテーしてもらうことにしました。

 料理を待つ間、リゾートらしさを演出するためにオーダーしたトロピカル・カクテルがイマイチだったため、早々にサンミゲルや白ワインに切り替え、貝類やエビ・カニなどのシーフードを楽しみます。

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 やがてメインディッシュとして出て来たお待ちかねのマヤマヤは、食欲をそそる香りと見栄えで・・・さすがはミーバエ?!
 ヨーイドン!で一斉に食べ始め、またその味も期待以上だったので、あっと言う間にたいらげててしまいました。
 ランチの時から疑問に思っていたマヤマヤに対する心のもやもやも晴れて、う~ん、心身とも満足満足!!


スービックと香港 その10 千月板 Mar. 4th-7th, 2010

2010-05-06 15:21:30 | 旅行記


ルーシー・イン・ザ・サウス・チャイナ・シー

 けしてビートルズのヒット曲のパロディではありません。
 前回エアロ・コマンダーについて書いたからには、ルーシーを紹介しない訳には・・・と言うこじつけでルーシーについてもちょっと触れます。
 ルーシーの身長は44フィート、本籍は大阪です。スービックに移り住んで日が経ちますが、当然のことながらお尻の「大阪府」の入れ墨はそのままです。
 彼女の説明では、大阪から太平洋・南シナ海を経由してスービックまでは10日間かかったそうです。フィリピン人の凄腕キャプテン(名前を聞くのを失念しました)は、ルーシーを迎えに大阪までは行ったそうですが、「10日間もの退屈な航海にはつきあえない」と操船を若いスタッフに任せ、自分はさっさと飛行機でスービックに帰って来てしまったそうです。

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 スービック2日目の夕方はルーシーに乗って、スービック湾サンセット・クルーズに出かけたのですが、スービック・マリーナを出航して湾内のグランデ島を目指す頃、突然キャプテンが「操舵を代わろうか?」との事。当方こんな大きなクルーザーは操船したことがないので、一瞬迷いましたが好奇心には勝てません。二つ返事で引き受け、キャプテンにナビゲートしてもらうことにしました。

 最初の目標はスービック湾に浮かぶグランデ島で、グランデ島の右側の海峡にさしかかるとキャプテンは、「ポート10!」(取り舵10度)と指示を出しますので、小生は「アイアイサーッ!」と答え左に進路をとり、スービック湾の湾口を目指します。
 グランデ島の海峡付近から潮流の流れが速くなり、ラダー・アングル・インジケータをまっすぐに合わせていても、左右からの複雑な潮流にルーシーは翻弄されてお尻を振ってしまい、目標に向かってまっすぐ進むことができません。進路修正のため小刻みにカウンターステアを当てるのに忙しく、ゆっくりサンミゲルを飲んでいるヒマもありません。(笑)

 苦労しながらもスービック湾口から南シナ海に出てしまうと、波はさらに高くなり大柄なルーシーでも木の葉のごとくゆれます。日没まではかなり時間があるので、良く冷えたサンミゲルをゆっくり飲みながらサンセットを待ちます。波間を漂っているルーシーからは、時折巨大コンテナ船がシンガポール方面に南シナ海を南下するのが見えたりします。

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サンミゲルとサン逃げる

 スービックはその昔スペイン無敵艦隊の軍港が開かれ、その後米国第七艦隊の軍港として約100年経過、米国海軍の海外基地としては最大の規模でしたが1991年にフィリピンに返還されました。ま、返還されていなければ軍港の出入り口と言う重要な軍事機密地区に、一般人の我々がクルーザーで夕陽見物に出かけると言う訳にもいきませんが・・・でもかつては第七艦隊の巨大原子力空母群がこのポイントを通過していた日々があったかと思うと複雑な心境です。

 ぼんやり南シナ海に沈む夕陽を見ていると、
 ♪ま~っかな太陽~、も~え~ている~♪
 と言う三橋美智也の歌う「怪傑ハリマオ」の主題歌を思い出します。

 良く考えてみれば、「ハリマオ」はマレー語の「虎」なので、実際は「マレーの虎」なんですが、なぜかスービックの夕陽とイメージがダブってしまいます。
 怪傑ハリマオは何十年も前の白黒放送のテレビドラマだったので、小生の記憶の中で勝手にイメージがふくらんで行ってしまったのかも知れません。
 ついでに、同じ頃放送されたアメリカのテレビ番組に「アイ・ラブ・ルーシー」があったことも思い出してしまいましたが、これもルーシー・イン・ザ・サウス・チャイナ・シーの御利益でしょうか?


スービックと香港 その9 千月板 Mar. 4th-7th, 2010

2010-05-06 15:16:43 | 旅行記


エアロ・コマンダー 2

 スービック国際空港は、ご存知の様に1991年までは米国海軍基地の一部でしたが、フィリピンに返還後は経済特区となり、2009年2月まではフェデックスのアジア・ハブが置かれ、世界初の貨物機世界一周航路の重要な中継基地となっていました。
 フェデックスのハブが中国・広州に移転してから、まだ1年しか経っていませんが、今現在スービックを訪れてみると、国際空港だったのが信じられないくらいさびれています。今現在でも名称はスービック国際空港のままですが、国際線はおろか、国内線の定期便も就航しておらず、旅客・貨物ターミナルともに閉鎖されており、航空管制も日の出から日没までとの事です。フィリピンの軍隊のヘリコプタも駐機していますので、軍用機は24時間管制かも知れませんが?・・・

 スービックからマニラに向かう朝は、2グループに分かれてのフライトです。我々は第二組なので、先発組を見送ってトロピカル・パラダイス・ヴィレッジでゆっくりしていると、ホテルの頭上を聞き慣れた爆音の飛行機が上昇して行きます。と言うか我々のエアロ・コマンダー以外の他の航空機は飛んでいないので、上空通過ははっきりとわかります。
 しばらくしてエアロ・コマンダーがマニラを出発したとの連絡があり、我々後発組もスービック空港に向かい、飛行機の到着を待ちますが、待てど暮らせどエアロ・コマンダーの爆音は聞こえてきません。

 到着予定時刻から30分以上経ってから、ようやく爆音が聞こえて来ました。到着後のネスミス機長の第一声は「マニラ空港の離陸待ちの渋滞がひどく30以上待たされた」です。マニラのラウンジの担当者も機長がマニラで折り返した後。誘導路で長々と待たされていることなど知るよしもありませんから仕方ありませんね。フライトが遅れているのに、我々は余裕でエアロ・コマンダーの前で集合写真なんぞ撮っていますから困った客です。

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 ネスミス機長も一緒に写真を撮ったり、大きな脚立で主翼の上に昇り燃料の残量を確かめたりしています。燃料計は当然操縦席の計器板についており、その燃料計でも残量がしっかりあることになっていますが、彼は燃料計を信用できないのでしょうか?ひょっとしてF4ファントムの燃料計が壊れていて?、北ベトナムで墜落した?ってことがトラウマになっているとか?・・・いろいろ想像してしまいますが、ファントムの墜落原因もトラウマの件も聞かずじまいでした。

 いずれにしろ全員が乗り込んだファントムじゃなかったエアロ・コマンダーはエプロンを出て坂の上にある滑走路を目指します。滑走路の東端の下まで来たエアロ・コマンダーは左折しながら坂の誘導路を登って行きます。もちろん通常のタキシングと違って、スロットルをかなり開け気味にしないと登って行きません。
 飛行機のヒルクライムなんて普通経験出来ないだけに興味津々で、いろいろ眺め回すと主脚のディスク・ブレーキが凄いことに気がつきました。

 ロータはソリッドなのですが、キャリパーが前後に2個ついており、しかもそのキャリパーは対向4ポッド・・・ひとつの車輪(ロータ)につき合計8ポッドのピストンでロータを強力に挟み込む設計です。まさかスービックのダウンヒルのために改造した訳ではないと思いますから、エアロ・コマンダーは強力なブレーキが標準装備と思われます。

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 無事、坂を登り切ったエアロ・コマンダーは、誘導路を西に進み、飛行機の駐まっていないスービック国際空港ターミナルの前を通り、さらに西の軍用ヘリコプタのエプロン(旧フェデックス・ターミナル)前を過ぎ、滑走路西端で一時停止・即滑走路に進入して離陸開始です。

 急加速してスピードが乗ったタイミングで、機長は機首を持ち上げるためにハンドルを手前に引きますが、構造上副操縦士席も連動しており、小生の目の前のハンドルも手前にドンドン出て来ます。どういう構造になってるのかと考える間もなく、右膝が何かで押されます?
 うん?と思って右膝を見ると、右下の床からはえたアームが右膝を圧迫しています。さらにそのアームの先を見るとハンドルが付いており、結果的にネスミス機長が上昇しようとハンドルを引いているのに、当方の右膝がそれを阻止していたことになります。本当に足の長い?のも良し悪しです。(ただ、がに股なだけ?)

 その事実を知った時は一瞬青ざめましたが、エアロ・コマンダーは無事上昇を続け、右手下に我々が滞在したトロピカル・パラダイス・ヴィレッジが見えてきます。なぜトロピカル・パラダイス・ヴィレッジとわかるかと言うと、センター棟の前の芝生の植え込みの"TROPICAL PARADISE VILLAGE"の文字が、上空からもハッキリ読めるからです。

 飛行機がバターン半島の中心部にさしかかる頃は高度も3,000メートルくらいまで上昇しますが、気分はまるで6,000メートルくらいでジェット旅客機に乗っている感覚です。3,000メートルくらいの高度からはマニラ湾を見渡すことが出来、マニラ空港まで一直線のコースで飛んでいるのが良くわかります。マニラ空港滑走路へのアプローチも、旋回などして時間調整することもなく北西から一気に最短距離で滑走路にランディングしました。眼下には離陸許可待ちの旅客機が相変わらず行列しているのを眺めながら・・・「あ~あ、もう着いちゃった・・・」 ってのが偽らざる心境でした。