<筆記試験>でも<実技試験>でも
「平素の実力」を完全に評価することはできない。
<平素>はよくできていたのに、
<実技試験>の時に慌てることもあるし、
声がかすれることもあるし、
瞬間、考えが浮かばないこともある。
だから、筆記でも実技でも
「試験」がよくできなかったとしても
「平素の実力」を中心にしなければならない。
<迫害と試みの時>は心理的に意識してしまい、
本当にできない人がいる。
けれども<平素>にはうまくやる。
だから、「平素信仰」を見て使いなさい。
ある人は<試験>はよくできるが、
<実践で仕事をする時>はできない。
だから「試験」を中心にしないで、
「実際の現場での働き」を見て、使命を任せなさい。
試験ノイローゼ、試験恐怖症のある人がいるから、
「試験」を基準にしてはいけない。
「平素信仰」を基準にして、使命を与えなさい。
ある人は「指導者の前」でだけうまく話せない。
意識するからそうだ。
だから、「平素、一般の人たちの前」でうまく話せるなら、
それに該当する使命を任せなさい。
いずれにしても「指導者の前」で使命を果たすのではなく、
「人々の中」で使命を果たさなければならないからだ。