登場時は高嶺の花
電気洗濯機は昭和30年前後に一般家庭に普及しました。
テレビや電気冷蔵庫とともに「三種の神器」と呼ばれ、
人々の憧れの電化製品だったのです。
国産機が初めて登場したのは昭和5年のことです。東芝が米国・
ソアー社から技術導入して
開発した「Solar(ソーラ)」(太陽の意)が第一号機である。
価格は三百七十円。当時の銀行員の初任給が七十円というから、
いかに高かったかが分かる。
この機種は昭和25年ごろまで製造されたようで、写真はその
最終モデルと思われる。 「攪拌(かくはん)式」というタイプで、
3枚の攪拌翼が右回り、左回りと交互に回転する。
東芝の説明では、洗濯槽の底近くでは「激流」中間辺りでは、
「急流」水面近くは、穏やかな流れ」ができ、三段階の水流により、生地を傷めず、
理想的な洗濯ができたそうだ。
洗濯槽は、アルミを加工したアルマイトが使われたり、
写真の製品のようにホーロー加工が施されたりして、長持ちするように工夫されている。
キャスターつきの脚が4本あり、移動しやすく、上部には脱水用のローラー式の
絞り機がつけられている。
この機種は初めて目にいたしましたが、高嶺の花
幻の洗濯機だったんですね
電気洗濯機は昭和30年前後に一般家庭に普及しました。
テレビや電気冷蔵庫とともに「三種の神器」と呼ばれ、
人々の憧れの電化製品だったのです。
国産機が初めて登場したのは昭和5年のことです。東芝が米国・
ソアー社から技術導入して
開発した「Solar(ソーラ)」(太陽の意)が第一号機である。
価格は三百七十円。当時の銀行員の初任給が七十円というから、
いかに高かったかが分かる。
この機種は昭和25年ごろまで製造されたようで、写真はその
最終モデルと思われる。 「攪拌(かくはん)式」というタイプで、
3枚の攪拌翼が右回り、左回りと交互に回転する。
東芝の説明では、洗濯槽の底近くでは「激流」中間辺りでは、
「急流」水面近くは、穏やかな流れ」ができ、三段階の水流により、生地を傷めず、
理想的な洗濯ができたそうだ。
洗濯槽は、アルミを加工したアルマイトが使われたり、
写真の製品のようにホーロー加工が施されたりして、長持ちするように工夫されている。
キャスターつきの脚が4本あり、移動しやすく、上部には脱水用のローラー式の
絞り機がつけられている。
この機種は初めて目にいたしましたが、高嶺の花
幻の洗濯機だったんですね