聖書の言葉
主において常に喜びなさい。
重ねていいます。喜びなさい。
新約聖書 フィリピの信徒への手紙4章4節
渡辺和子氏の言葉より
神が置いてくださったところで
咲きなさい。
仕方がないと諦めてではなく
「咲く」のです。
「咲く」ということは
自分が幸せに生き
他人も幸せにするということです。
「咲く」ということは
周囲の人々にあなたの笑顔が
私は幸せなのだということを
示して生きるということなのです。
“神が私を置いてくださった
それはすばらしいことでありありがたいことだ”と
あなたのすべてが語っていることなのです。
「咲く」ということは
他の人の求めに喜んで応じ
自分にとってありがたくない人にも
決して嫌な顔 退屈気な態度を
見せないで生きることなのです。
渡辺和子著「心に愛がなければ」より
10月になりましたが、夏のような暑い日が続いたり、大きな台風による被害も相次いで起こり、天変地異のようなこの頃です。被害に遭われた方々にお見舞いを申し上げます。10月後半は少しでも秋らしい穏やかな日がつづくことを願うばかりです。
聖峰教会は10月の第一日曜日に創立記念礼拝を持ちました。聖峰教会は創立36年です。聖峰教会の親教会である武蔵小山教会のモットー「フィリピの教会に倣う」信仰が私たちの教会にも受け継がれ、「フィリピの教会に倣い、いつも喜ぶ教会」であるように祈り願っています。
喜ぶのはいつもうれしいこと、楽しいこと、おもしろいことがあるから喜んでいるのではありません。フィリピの信徒への手紙を書いたパウロは牢獄に置かれていました。その中から、いつも喜んでいるといっています。苦しいことや辛いこと、困難に私たちは日々ぶつかります。そのなかにあっても喜びを見いだし、喜びなさいとパウロは言うのです。
「神が私を置いてくださった、それはすばらしいことでありがたいことだ」と思い、そこで「咲く」ことができれば、苦しい局面を乗り越えていくことができるのです。「喜ぶ」と「咲く」という言葉は、困難な中でも精一杯「喜び」、「咲く」という意味で使われています。
教会の36年間も神が置かれたところで精一杯、咲いた歴史です。そして、これからも置かれたところで“喜び”、“咲き”、この地に神様の愛を伝え、人々が幸せに生きる手助けをしていきたいと思います。
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