日本キリスト教団 聖峰教会

苦しい心が少し楽になるために、聖書、詩、名言を紹介します。

受難節第6週(受難週)

2013年03月25日 | 新着情報
受難節第6週


~ 聖書の御言葉 ~


昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。
三時にイエスは大声で叫ばれた。
「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」
これは「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
そばに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「そら、エリヤを呼んでいる。」という者がいた。
ある者が走り寄り、海綿に酸いぶどう酒を含ませて葦の棒に付けて、「待て、エリヤが彼を降ろしにくるかどうか、見ていよう」といいながら、イエスに飲ませようとした。
しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。

すると神殿の垂れ幕が上からしたまで真っ二つに裂けた。
百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。
そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、
「本当に、この人は神の子だった」と言った。

新約聖書 マルコによる福音書15章33節~39節


~ 讃美歌より ~


なんと深い 主のみ心よ

なんと広い イエスの愛よ

責め苦の道 歩まれたのは

私のため


讃美歌21 313番「愛するイエス」5節より 作詞 Johann Hermann



今週は受難週です
3月28日 木曜日 最後の晩餐を覚えて過ごしましょう
3月29日 金曜日 受難日、主イエス・キリストが十字架につけられたことを覚えて過ごしましょう。

3月29日 午後3時より 当教会で川西地区合同受難日礼拝が行われます。心静かに御言葉を聞き、黙想の時間を持ちましょう。


受難節第5週

2013年03月19日 | 新着情報
受難節第5週

~ 聖書の御言葉 ~


そこでピラトは改めて、「それでは、ユダヤ人の王とお前たちが言っているあの者は、どうしてほしいのか」と言った。
群衆はまた叫んだ。
「十字架につけろ。」
ピラトは言った。「いったいどんな悪事を働いたというのか。」
群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び立てた。
ピラトは群衆を満足させようと思って、バラバを釈放した。
そして、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。

マタイによる福音書 15章12節~15節




受難週第4週

2013年03月12日 | 新着情報
受難週第4週

~ 聖書の御言葉 ~


ひとり息子オ与(け)やったほどに

神さまアこの世オ愛(いと)しんだ。

これア全てこの和子(わゴ)に

その身も心(こゴろ)も委ねる者さ

誰も滅(き)しゃまんねアように、

何時(いづ)でも明(あガ)りぐ活(い)ぎ活ぎど

生ぎる力ア与(け)べってだ。


新約聖書 ヨハネによる福音書3章16節 (山浦玄嗣訳 ケセン語訳)



神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。

独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。


ヨハネによる福音書3章16節 (新共同訳)



~ 山浦玄嗣『イエスの言葉 ケセン語訳』の言葉より ~


ヨハネ福音書6章47節に「信じる者は永遠の命を得ている」(新共同訳)ということばがあります。
これはうっかりすると、「神様を信じる者はこの世の命を終わってから天国に入る資格をいただいている」という意味にとりがちです。
しかし、イエスのいいたいことはそうではありますまい。
「神様を本当に力頼りにしている人は、いつでも明るく元気に活き活きと暮らすことができる」ということだと思います。
人生には災害も苦労もつきものですが、どんなに苦しい時でも、「だいじょうぶ、自分には神さまがついていてくださる。神様はこのわたしを何かの役にたてるためにここにこうして生かしておいでだ。たとえそれが何なのか今ははっきりわからなくても、だいじょう、わたしはきっと神さまのお役に立っているはずだ!」と思えば、明るい力がわいてくるというものです。

受難節第3週

2013年03月04日 | 新着情報
受難節第3週


~ 聖書の御言葉 ~


ペテロは外にいて中庭に座っていた。
そこへ一人の女中が近寄ってきて、
「あなたもガリラヤのイエスと一緒にいた」と言った。
ペトロは皆の前でそれを打ち消して、
「何のことを言っているのか、わたしには分からない」
と言った。
ペトロが門の方に行くと、ほかの女中が彼に目を留め、居合わせた人々に
「この人はナザレのイエスと一緒にいました」と言った。
そこで、ペトロは再び、
「そんな人は知らない」
と誓って打ち消した。
しばらくして、そこにいた人々が近寄ってきてペトロに言った。
「確かに、お前もあの連中の仲間だ。言葉遣いでそれが分かる。」
そのとき、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、
「そんな人は知らない」
と誓い始めた。
するとすぐ、鶏が鳴いた。
ペトロは、「鶏が鳴く前に、あなたは3度わたしを知らないというだろう」と言われたイエスの言葉を思い出した。
そして、外に出て、激しく泣いた。
 
                                   マタイによる福音書 26章69節~75節

ブラザーロジェの言葉より


自分を、そして他者をも傷つけるもののうちに、なぜとどまり続けるのですか。
キリストの初期の証人の一人はこういっています。
「わたしの心がわたしを非難するとしても、神は私たちの心よりもさらに大きい。」
自分自身の中に引きこもるのではなく、謙虚に悔い改める心をもつようにと
イエス・キリストはあなたを招いておられます。
これはどういう意味でしょうか。
それは、信頼をもって、あなたの過ちをキリストに負っていただくということなのです。
そのときあなたは安心し、自由へと解き放たれ、今という現在を思い切り生き始めるのです。
もう落胆することはありません。
いつもゆるされているからです。