母が共に
我ひとり悩むのでなく 母が共に
我ひとり聞くのでなく 母が共に
我ひとり信じるのでなく 母が共に
我ひとり祈るのでなく 母が共に
我ひとり喜ぶのでなく 母が共に
我ひとり待つのでなく 母が共に
(水野源三「こんな美しい朝に」より)
汝がために 祈る母の いつまで世にあらん
とわに悔ゆる日の 来ぬまに とく神に帰れ
春は軒の雨 秋は庭の露
母は涙乾く間なく 祈ると知らずや
(讃美歌510番4節より)
水野源三さんが小学校4年生のとき、脳性麻痺により体の自由と言語を失ってから、源三の母うめじさんは病気に倒れ60歳で生涯を終えるまで、息子のために手となり足となり口となって生きた方です。水野源三さんは瞬きの詩人と呼ばれるようになったのですが、口から言葉を発することのできない言葉を一文字一文字お母さんが50音をたどり、源三さんが目をつぶることで言葉が生み出されます。聖書を読む源三さんの聖書を1ページずつお母さんがめくります。うめじさんは、肝っ玉母さんで気っぷがよく、愛情深く、周りの人を分け隔てなく愛されました。うめじさんは源三さんより一秒でも長く生きて息子を看取ってから死にたいと言われていたそうです。けれども、うめじさんの願いはかなわず、息子源三さんを残して天国に旅立たれました。
現代の自立したキャリアウーマンの姿とは違うかもしれませんが、水野源三さんのお母さん、うめじさんは息子に深い愛情をそそぎ、息子のために自分の時間をすべてささげられた母として生きた女性です。源三さんの詩の中にお母さんも生きているのだと感じさせられます。うめじさんの名前は表にはでてこないように、母親の愛とは自分ではなく子どもを生かすのです。愛とはそういうものなのだと教えてくれています。