日本キリスト教団 聖峰教会

苦しい心が少し楽になるために、聖書、詩、名言を紹介します。

母の生き方

2015年05月01日 | 今月の御言葉・いのり・メッセージ

母が共に

我ひとり悩むのでなく 母が共に

我ひとり聞くのでなく 母が共に

我ひとり信じるのでなく 母が共に

我ひとり祈るのでなく 母が共に

我ひとり喜ぶのでなく 母が共に

我ひとり待つのでなく 母が共に

(水野源三「こんな美しい朝に」より)

 

汝がために 祈る母の いつまで世にあらん

とわに悔ゆる日の 来ぬまに とく神に帰れ

春は軒の雨 秋は庭の露

母は涙乾く間なく 祈ると知らずや

(讃美歌510番4節より)

 

 水野源三さんが小学校4年生のとき、脳性麻痺により体の自由と言語を失ってから、源三の母うめじさんは病気に倒れ60歳で生涯を終えるまで、息子のために手となり足となり口となって生きた方です。水野源三さんは瞬きの詩人と呼ばれるようになったのですが、口から言葉を発することのできない言葉を一文字一文字お母さんが50音をたどり、源三さんが目をつぶることで言葉が生み出されます。聖書を読む源三さんの聖書を1ページずつお母さんがめくります。うめじさんは、肝っ玉母さんで気っぷがよく、愛情深く、周りの人を分け隔てなく愛されました。うめじさんは源三さんより一秒でも長く生きて息子を看取ってから死にたいと言われていたそうです。けれども、うめじさんの願いはかなわず、息子源三さんを残して天国に旅立たれました。

 現代の自立したキャリアウーマンの姿とは違うかもしれませんが、水野源三さんのお母さん、うめじさんは息子に深い愛情をそそぎ、息子のために自分の時間をすべてささげられた母として生きた女性です。源三さんの詩の中にお母さんも生きているのだと感じさせられます。うめじさんの名前は表にはでてこないように、母親の愛とは自分ではなく子どもを生かすのです。愛とはそういうものなのだと教えてくれています。

 


心を解き放って

2015年02月06日 | 今月の御言葉・いのり・メッセージ
自分の愛が神に根ざしたものか
自分に根ざしたものかを確かめるには
1日を振り返る時、
自分の内なる感情や心の動きについて自問してみればよい。
「私は今日、だれのために喜び、怒り、悲しみ、楽しんだだろう。
私のやったことで誰が恵みを受けただろう。」

ジェラード・ヒューズの言葉より


聖書のことば

カインは激しく怒って顔を伏せた。
主はカインに言われた。
「どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。
もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。
正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。
お前はそれを支配せねばならない。」

創世記4章5~7節


 2月となり寒さも一番厳しい時ですが、暦では節分が終わり、立春を迎えました。節分は季節を分けると書きますが、この時に邪気が現れてくると言われ、その邪気を追い払うために「鬼は外!」といって豆まきをしたり、家の門口に鰯の頭を刺した柊の枝を付けて鬼を払ったりする風習があります。

 寒さが続くこの時期は窓を閉ざし、防寒着で身を包み、心もかたくなになりがちです。小さな子供たちも外で遊ぶ機会が少なくなり、お母さんと家で一日中過ごす毎日だと思います。そのような時、お母さんもちょっとしたことでイライラして子どもを叱ることが多くなってしまいます。

 私たちの内にこもったイライラや怒りを追い出す必要もあります。節分の豆まきはそんな鬱憤を追い出すよい機会かもしれません。でも、今、ご家庭で豆まきをされたというお家はどのくらいあるのでしょうか?「恵方巻き」を食べることの方が一般的になっているような気がします。

 節分の日、幼児サークルで子どもたちとお母さんたちといっしょに、タオルを使って投げっこしたり、歌ったり体を動かして遊びました。子どもたちもニコニコ。お母さんもニコニコ。子どもたちがかわいい笑顔を見せてくれると、こちらも心から嬉しくなり、心がやわらき、あたたかくなりました。

 内にこもっている怒りや悲しみを抱えたまま顔を伏せていないで、窓をあけて、心を解き放つことが必要だと思います。心は自然の中で、人との出会いや会話の中で解き放たれます。立春です。春を探して出て行きましょう。

共にいる

2015年01月07日 | 今月の御言葉・いのり・メッセージ
すこやかに過ごす日々も
病に苦しむ日々も
父なる神様の
変わらない愛のみての中
喜び唄う朝も
涙を流す夜も
父なる神様の
変わらない愛のみ手の中
おごり高ぶる時も
悔いくだける時も
父なる神様の
変わらないみ手の中

水野源三清選詩集「わが恵みに汝に足れり」より



聖 書

主よ、あなたはわたしを究め
わたしを知っておられる。
座るのも立つのも知り
遠くからわたしの計らいを悟っておられる。
歩くのも伏すのも見分け
わたしの道にことごとく通じておられる。
わたしの下がまだひとことも語らぬ先に
主よ、あなたはすべてを知っておられる。
前からも後ろからもわたしを囲み
み手をわたしの上に置いていてくださる。
詩篇139:1~5


水野源三さんは多くの詩を残されました。詩は文字として残された言葉です。その言葉を発すること自体ができなかった水野さん。水野さんの心の言葉をこの世界に生み出すために、水野さんのお母さんが五十音のシートを用いて、水野さんの瞬きを通して一文字ずつ聞き取られました。言葉を語ることも体を動かすこともできなかった水野さんの心の言葉の深さ、暖かさが伝わります。水野さんと共に生きた水野さんのお母さん、水野さんと共におられた神様。水野さんはその愛によって生き、その愛を伝えます。
 愛というのはどのような時も一緒にいる、共にいるということです。見放さないということです。自閉症の作家、東田直樹さんも、その著書や詩集で、ご両親がどんなに彼を愛し、共にいてくれたかということを書かれています。言葉を表現することや会話をスムーズにすることが困難な東田さんの言葉にも愛が溢れています。
 大事にしていきたいものはなんですか?大事にしたい人は誰ですか?たった一つのこと、たった一人の人を大事に、愛しぬいていく…共にいつづける…そこからまた愛が生まれます。

「氷点」の林にて

2014年08月16日 | 今月の御言葉・いのり・メッセージ
氷点

いま陽子は思います。一途に精一杯生きて来た陽子の心にも、氷点があったのだということを。

私の心は凍えてしまいました。

陽子の氷点は「お前は罪人の子だ」というところにあったのです。

私はもう人の前に顔を上げることが出来ません。どんな小さな子どもの前にも。

この罪ある自分であるという事実に耐えて行く時にこそ、ほんとうの生き方がわかるのだという気も致します。

三浦綾子著「氷点」陽子の遺書より


わたしはとがのうちに生み落とされ、母が私を身ごもった時もわたしは罪のうちにあったのです。
あなたは秘儀ではなくまことを望み秘術を排して知恵を悟らせてくださいます。
ヒソプの枝でわたしの罪を払ってください。私が清くなるように。
わたしを洗ってください。雪よりも白くなるように。

旧約聖書 詩編51編7~9節


 この夏、旭川の三浦綾子文学記念館を訪ねました。常々、行きたいと願っていた場所です。
そして、文学記念館が建てられている場所が、「氷点」の舞台となった辻口医院のあった場所として設定されている場所です。記念館は林に囲まれてひっそりと建てられていますが、この林が氷点に描かれている見本林(正式には外国樹種見本林と言います)であり、見本林を抜けると美瑛川に出ます。
 警報が出るほどの雨の降りしきる日でしたが、大地に根を張った見本林の大地はその雨をしっかり吸い込んでじっと佇んでいました。今年は三浦綾子さんが「氷点」を執筆し朝日新聞社主催の懸賞小説に1位入選し、50年の記念の年です。
 今また新たに「氷点」の小説を心におもいおこしてみると、この小説に描かれている幼児誘拐、殺害、不倫、夫婦関係、子どもの育児問題などというのは、50年後の今も同様の問題があり、この小説は今も読み継がれて行く新しさがあると思います。
 そして、人が様々な困難な問題にぶつかり、問題を抱えながらどう向き合って生きるのかということが大切です。
 陽子のようにまっすぐに強く生きる人が今の世の中の救いとなり、希望となる人かもしれません。もちろん、だれでもそんなに強くないのだけれども、挫けないで生きる精神的な強さがあればとおもいます。そして、その人生を見守り愛する大きな存在が必要です。
 見本林のように大地に根を張り、冬の寒さにも、夏の嵐にもしっかりと佇むことができるように…

曲がり角のその先に

2014年06月24日 | 今月の御言葉・いのり・メッセージ
「いま曲がり角にきたのよ。
曲がり角をまがったその先になにがあるかは、わからないの。
でもいちばんきっとよいものにちがいないとおもうの。」

                モンゴメリ作、村岡花子訳「赤毛のアン」より

野原の花がどのように育つかを考えて見なさい。働きもせず紡ぎもしない。
しかし、言っておく。
栄華を極めたソロモンでさえ、この花のひとつほどにも着飾ってはいなかった。
今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草でさえ、神はこのようによそおってくださる。
まして、あなたがたにはなおさらのことである。

新約聖書 ルカによる福音書12章27~28節


 今、毎朝、日課になっているのは、NHKの朝ドラ「アンと花子」を見ることです。かつて、私も「赤毛のアン」を夢中になって読んだことがあります。学校の図書館にはアンのシリーズ本が並んでおり、友達と競って読んでいました。つい1~2年前にも、BSで「赤毛のアン」のドラマが放映されており、見ていました。赤毛のアン大好き少女(…かつて!)なのに、私は翻訳者の村岡花子さんをの名前すら知りませんでした。この人のおかげで、私は「赤毛のアン」に出会うことが出来ていたのです。
 村岡花子さんに関する書籍が何冊も書店に並んでいます。花子さんの人生を初めて知り、また、キリスト教と関わりの深い人だったことをしりました。(幼児洗礼を受けており、ミッションスクールに学び、キリスト教の出版社教文館で働き、福音印刷会社の敬三さんと教会で結婚し、聖書を愛読しておられたようです。)貧しい家庭に生まれながらも、東洋英和女学校で学んだことが花子さんの人生の糧となり、関東大震災や息子さんの死を経験しながら、また戦争を体験しながら、その困難にくじけずに子ども達のために文学を届けるという夢を実現していった方です。女性が社会で働き、活躍するという今では普通になってきたことが、まだ珍しかった時代に、花子さんは女性の新しい生き方の模範として、先駆けとして歩みました。
 先を見すえながら、目の前の困難を乗り越えて行く姿は、「赤毛のアン」の言葉のように、曲がり角のさきに、一番よいものがあると信じて進むことができたアンと重なる生き方です。
よいものを与えてくださるのは神さま、今日も、明日も、よいものを与えてくださると信じて歩んでいきたいと思います。