日本キリスト教団 聖峰教会

苦しい心が少し楽になるために、聖書、詩、名言を紹介します。

8月 復活節

2013年08月05日 | 今月の御言葉・いのり・メッセージ
聖書のみことば


「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。

主はわたしたちに道を示される。

私たちはその道を歩もう」と。

主は多くの民の争いを裁き

はるか遠くまでも、強い国々を戒められる。

かれらは剣を打ち直して鋤とし

槍を打ち直して鎌とする。

国は国に向かって剣を上げず

もはや戦うことを学ばない。


旧約聖書 ミカ書4章2、3節


祈りのことば


みだれしむねにも

平和をあたえて

むさぼる心を

主よ、きよめたまえ。


いくさを投げ打ち

みわざにいそしみ

御神のみやこを

きずかしめたまえ。


W M ヴォーリス作詞の讃美歌236番2節、4節より



 8月6日、8月9日は日本にとって決して忘れてはならない日。ヒロシマに、ナガサキに原子爆弾が落とされた日。世界で初めて使われた原子爆弾によって、被爆を経験したヒロシマとナガサキ。そして、太平洋戦争の終わりを迎えた8月15日。この8月は戦争を忘れないために思い起こす特別なときです。
 わたしは戦争など全く知らずに生きていますが、親達は戦争中を生きてきた世代で、子どもの頃、戦争中の話しを聞かされました。特に父はヒロシマで被爆をしました。学徒動員で働いていた中で体験しました。原爆で焼け野原となった街を家族を捜し歩いたという話しを聞きました。父は運がよかったのでしょう。当時、怪我もせず、そして今も元気でいます。また、偶然にも私の夫の父もまたヒロシマで被爆しました。
 被爆した方々が次第に亡くなっていかれる中で、直接、体験をした人たちがいずれいなくなるでしょうが、それでもなお私たちは戦争で被爆を体験した国として、そこに生きるものとして、この経験をかたりつながなければなりません。この国に生きるものの責任です。

 ヴォーリス建築で有名なヴォーリスが讃美歌を残していますが、その歌詞にあるように、「いくさを投げ打ち、神の御業にいそしむ」道を神から示された道として日本の地で歩み、平和の種まきをされました。教会はまさに、いくさを投げ打ち、神の業にいそしむ」歩みが神から示されている道として歩まなければなりません。戦争を放棄し、そして、神の御心の実現のために働くことをこの夏再び、心新たにしなければなりません。



7月 復活節

2013年07月10日 | 今月の御言葉・いのり・メッセージ
聖書のみ言葉


アブラハムは次の朝早く起き、パンと水の革袋を取ってハガルに与え、背中に負わせて子どもを連れ去らせた。ハガルは立ち去り、ベエル・シェバの荒れ野をさまよった。
革袋の水がなくなると、彼女は子どもを一本の灌木の下に寝かせ、「わたしは子どもが死ぬのを見るのは忍びない」と言って、矢の届くほど離れ、子どもの方を向いて座り込んだ。彼女は子どもの方を向いて座ると、声を上げて泣いた。

神がハガルの目を開かれたので、彼女は水のある井戸を見つけた。彼女は行って革袋に水を見たし、子どもに飲ませた。

旧約聖書 創世記 21章14節~19節



パスカルの言葉より


「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」

哲学者や科学者の神ではない。

確実、確実、直感、喜び、平安。

イエス・キリストという神。

「わたしの神、また、あなたの神」

この世も何もかも忘れる、神の他は。

…………

喜び、喜び、喜びの涙。


(1662年39歳で亡くなったブレーズ・パスカルの着用していた胴衣に、縫い込まれていた紙片に書かれていた言葉)
ブレーズ・パスカル著、森川甫訳「イエス・キリストの生涯の要約」より



例年より早く梅雨に入った今年は、梅雨明けも例年より早く、暑い暑い夏が訪れました。
早速、巷では熱中症で運ばれるというニュースが全国で聞かれるようになりました。ご注意いただきたいと思います。この晴天つづきで、水不足にならないことを願うばかりです。もちろん、日本住む幸いは何よりも、いつでも水を飲めるということ。飲み水から、生活すべてに無くてはならない水を不自由なく使う事が可能です。水汲みに行く必要もなく、水道水を飲んで体を壊す心配もありません。そんな水の豊かな日本で暮らす我々の体はさらに水分を必要としているというわけですが、ほんとうなの? 水、みず、ミズ… 暑い夏、私たちはまた水を求めてあえぐのです。
 聖書の水のはなしはたくさんあります。アブラハムの子どもを産んだ女奴隷ハガルは、正妻であるサラに疎まれつづけ、サラに夫アブラハムとの子どもができると追い出されてしまいます。最初はサラに子どもが生まれなかったため、サラ自身が夫とハガルの間に子どもを作らせたのですが、子どもが出来てみると、サラにとってそれは喜べないことだったわけです。そしてこの結末として、サラがアブラハムに頼んで、ハガルと子どもを追い出させたのです。
 そこで、ハガルは水とパンを持たせられて、追い出され、荒野をさまよい、ついに、水が尽きてしまったのです。水が尽きた時、ハガルはもう生きる望みを失い、そして、子どもを手放し、そこから離れて、泣くのです。その時、神の声に我に帰り、井戸をそこに見るのです。ハガルはその水を子どもに飲ませ、自分も飲み、生き延びることができたという話しです。

 水、そして、神の声。このどちらもなければ、ハガルと子どもは生き延びる事が出来なかったのです。
見えるものと、見えないもの。この両方によって、私たちは生きているのです。
科学者、数学者、哲学者としてのパスカルにとっての神の存在も同じです。
枯れることのない魂に必要な「水」を求める事を忘れてはならないのです。

6月 復活節

2013年06月08日 | 今月の御言葉・いのり・メッセージ
聖書の御言葉


新約聖書 フィリピの信徒への手紙 2章14~16節


何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい。

そうすれば、とがめられるところのない清い者となり、

よこしまな曲がった時代の中で、非の打ち所のない神の子として、

世にあって星のように輝き、

命の言葉をしっかり保つでしょう。

こうしてわたしは、自分が走った事が無駄ではなく、

労苦した事も無駄ではなかったと、

キリストの日に誇る事ができるでしょう。



宮沢賢治の詩より


雨ニモマケズ 風ニモマケズ

雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ

欲ハナク 決シテ怒ラズ イツモ静カニワラッテヰル

一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ

アラユルコトヲ 自分ヲカンジョウニ入レズニ

ヨク見聞キシワカリ ソシテ忘レズ

野原ノ松ノ林ノカゲノ 小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ

東ニ病気ノ子ドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ

西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ

南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテ怖ガラナクテモイヽトイヒ

北ニケンクヮヤ訴訟ガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ

ヒドリノトキハ涙ヲナガシ

寒サノ夏ハオロオロアルキ

ミンナニデクノボートヨバレ

ホメラレモセズ

クニモサレズ

サウイフモノニ ワタシハナリタイ




 80歳になられた三浦雄一郎さんがエベレストに登頂されたというニュースが大きく報じられました。すごい快挙です。人間の体の限界を超えるような挑戦です。普通の生活をしていては、絶対にできないことです。また、単独でエベレスト登頂をする栗城史多さんは、酸素ボンベもつけずに、一般的に上るルートではないルートを一人で登るという驚異的な登山家であり、冒険家です。テレビでゲストとして出演していた時に、「苦しいから登るのです。苦しくなかったら、ぼくは行かないです。苦しいから、その先に喜びがあります」というようなことをおっしゃっていました。彼のサイトにはこんな言葉もありました。「人は誰もが見えない山を登っている~自分のエベレストに一歩踏み出す人を増やしたい。」

 エベレストには誰もが登る事はできませんが、ひとそれそれの目にはみえない山があり、それに毎日、頂を目指して登っているはずです。ただそのことを宮沢賢治の詩のように「ほめられもせず、くにもされず」という思いにはなかなかなれず、私はこんなにがんばってるのよと人に見てもらいたい、認めてもらいたいと思ってしまうのもです。そう思いながらでも、毎日をしっかりと足を踏ん張って、自分の山に一生懸命登り続けているのならば、それはきっと、自分の気づかないところで、星のような輝きをはなっているのかもしれません。そして、自分のしてきたことは無駄ではなかったといつかきっと思う日がくるのかもしれません。それは自分の山の頂きに着いたときに分かることなのかもしれません。サウイフモノニ ワタシハナリタイ

5月 復活節

2013年05月07日 | 今月の御言葉・いのり・メッセージ

聖書の御言葉


何事も利己心や虚栄心からするのではなく、

へりくだって、互いに相手を自分より優れた者と考え、

めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。

互いにこのことを心がけなさい。

それはキリスト・イエスにもみられるものです。


フィリピの信徒への手紙2章3節~5節



八木重吉の祈りの言葉より


信ずること

キリストの名を呼ぶこと

人をゆるし出来る限り愛すること

それを私の一番の仕事としたい



 こどもの日、鯉のぼりがあちらこちらの家のベランダから遠慮気味に顔を出しているのを見かけました。でも、少し、車で街から離れてみると、背の高い支柱が立てられて、鯉のぼりが悠々と泳いでいるお宅もあります。また、最近では川の両岸にかけられたロープにたくさんの鯉のぼりをくくり付け、風にのって勇壮に泳ぐ鯉のぼりもあちらこちらで見かけることがあります。鯉のぼり事情も変わりつつあるようです。

 さて、子どもにはのびのびと育ってほしいと誰もが願いますが、実際の生活ではのびのびとというより、人生を失敗しないようにと窮屈な鎧兜をかぶらせてしまっていることがあるのかもしれません。子どもたちには、人生を勝ち抜くための技術ではなく、生かされていることを喜び、感謝し、失敗の中にこそ価値ある宝があり、敗北したり、悲しみ嘆く中にこそ神様の恵みがあふれていることを知ってほしいと思います。やさしさもそこから生まれるのだから。私たちもついつい忘れがちのことを、十字架につけられたキリストの姿を見るたびに、心に思い起こしたいと思います。


4月 復活節

2013年04月08日 | 今月の御言葉・いのり・メッセージ
聖書の言葉


涙と共に種を蒔く人は

喜びの歌と共に刈り入れる。

種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は

束ねた穂を背負い

喜びの歌を歌いながら帰ってくる。


詩編126編5~6節



C.ブルームハルトの祈りより


キリストは今

困窮と悲惨の中にある人々をも

訪ねてくださいます。

そしてご自身の平安と力とを

彼らの心に入れてくださいます。



 桜の花びらの道を制服姿の生徒たちが学校へと向かって行きます。4月、それぞれにスタートを切っていることでしょう。笑顔で「行ってきます」と家をでたのでしょうか?それとも不安の面持ちで家の扉を開けたのでしょうか?おそらく、何の不安もない人はいないでしょう。できれば、その不安が取り除かれ、再び笑顔で「ただいま!」と家路につくことができるようにと祈ります。
 私たちの毎日は不安の種をたくさん抱え、不安の種を蒔いて、右往左往している、そんな毎日かもしれません。また、それぞれが抱える重荷に倒れそうになりながら歩いているかもしれません。でもどうか、その一日一日は無駄な一日ではなく、かけがえのない一日であるということを忘れないでください。その一日があるから、喜びの歌を歌いながら帰ってくる時が来るのですから。一日の終わりには平安が訪れますように。