日本キリスト教団 聖峰教会

苦しい心が少し楽になるために、聖書、詩、名言を紹介します。

4月 受難節

2014年04月08日 | 今月の御言葉・いのり・メッセージ
どんな人に会っても、まずその人の中にある美しいものを見るようにしています
そこから始めようとしております
そうしますと、必ず美しいところが見つかって、
そうすると私はその人を愛する事ができるようになって
それが愛の始まりとなります

マザーテレサの言葉より


 イエスを見るために、走って先回りをし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。
ルカによる福音書19章4~6節


 桜が満開となり、花びらの散る中を緊張の面持ちで、ピシッときめたスーツ姿の若者達や少し大きめの制服に袖を通して歩く子ども達。新しい歩みがスタートしました。日本の四季の中で、やはり美しい季節はこの桜の季節でしょう。厚いコートから薄手の春らしい色のコートに変わり、肩をすぼめてポケットに手を入れいて歩いていたのが、なにかすっと背筋も伸ばし、歩幅も大きく歩きたくなる季節です。
 これまでとはちょっと違う変化のある4月ですが、きっと新しい出会いもあるはずです。最初から心を開いて相手を受け入れるというのは誰にでも出来ることではありません。緊張すれば、どうしても顔がこわばってしまいます。わたしも、堅苦しい挨拶しかできずに、相手に心を開くのに時間がかかります。桜を始め、春の草花達は、だれにでも 可憐で、美しい顔を見せてくれています。そして見る者の心を軽やかに、やさしくしてくれます。わたしたちもひとりひとりにある美しいところを見れば、心の扉もすっと開いて相手を受け入れることができるはずです。新しい出会いがあるなら喜んで、その出会いを大切にしたいと思います。そして、それぞれに訪れる神さまとの出会いも逃すことなく大切にし、神さまを心に受け入れましょう。

12月 待降節

2013年12月11日 | 今月の御言葉・いのり・メッセージ
      Let It Be (The Beatles)

Speaking words of wisdom,
"Let it be."

And in my hour of darkness
She is standing right in front of me
Speaking words of wisdom,
Let it be.
Let it be.
Let it be.
Let it be.
Whisper words of wisdom:
Let it be.
(The Beatles Let it be 一節のみ引用)


私が苦しみに出会う時
母マリア(マリア様)が現れて
知恵に満ちた言葉をかけてくれる 
Let it be(みこころのままに)

暗闇の中に包まれてしまう時
彼女は私の前に立ち
知恵に満ちた言葉をかけてくれる 
Let it be

知恵ある言葉をつぶやいてごらん
Let it be
(訳詞:川上盾)


Merry Christmas


 クリスマスが近づいてきました。クリスマスの季節は街をおしゃれをして歩きたくなる季節です。教会はクリスマスの準備に忙しくなりますが、クリスマスの音楽を流しなら仕事をしていると、心がはずんできます。
クリスマスは私たちの世界にイエス様という救い主が生まれてくださったから喜びのあふれる時です。
暗闇の世界に光が灯された時です。私たちの苦しい、しんどく、辛い日々を一緒に歩いてくれて、しんどいね、がんばろうねと励ましてくれる方が生まれたからです。人生はカボチャが馬車に変わって、お姫様になれるような、劇的に変わることなんてありません。自分の人生は、自分で引き受けて、自分で背負っていかなければなりません。でも、その人生は神さまが道を備えてくださっている人生なのだと思います。自分の人生、何があろうとも、大丈夫!神さまがいてくれる!と安心して、信頼して歩んで行くことができれば幸せな人生だと言えます。
まかせよう!その気持ちのスイッチを入れる言葉。Let it be みこころのままに。そのままに。なすがままに。ハンドルをしっかり握りしめて運転していたのを、運転手交代!神さまに運転はまかせて行ってみるのです。
マリア様に御子が宿ったときも、マリア様はそう、すべてをまかせたのです。「お言葉通り、この身になりますように」と。“Let it be to me,as the word of you.”


祝福がみなさまのうえに豊かにありますように!

11月 降誕前節

2013年11月16日 | 今月の御言葉・いのり・メッセージ
聖書のみことば


「人に対して大地を呪うことは二度とすまい。

人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。

わたしは、この度したように生き物をことごとく打つことは、

二度とすまい。

地の続くかぎり、種まきも刈り入れも

寒さも暑さも、夏も冬も

昼も夜も、やむことはない。」


旧約聖書 創世記8章21節,22節



 あっという間に寒くなり、季節は冬に変わりつつあるようです。木々たちも駆け足ですぎて行く秋に慌てて葉を色づかせ、そして急いで散っていきます。この輝くひと時、もう少し、時間がゆっくり流れてくれたらと思います。北の方ではもう雪がつもり、すっかり冬景色のようです。先月の季節外れの大型台風に続き、またもや史上最強の大型台風がフィリピンを襲い、甚大な被害をもたらしました。
 スーパーコンピューターによってはじき出された未来の予想図によると、温暖化によって巨大な台風が発生するようになるということを耳にしました。その状況がもうこの地球上に起こっているということでしょうか。近年の洪水のニュースを聞くと、いつもノアの大洪水の物語が頭に浮かびます。聖書に描かれた大洪水は現実にあるのだなと思います。しかし、大洪水は神の呪いではありません!この世界は確かに苦しんでいます。これまで通りの様にはいかなくなるのかもしれません。変化して行く時、節目なのかもしれません。「地の続く限り、種まきも刈り入れも、寒さも暑さも、夏も冬も、昼も夜も、やむことはない。」と神はノアに約束しました。赤々と色づいた葉が散り、葉を落とした木々は再び芽吹くときを迎えます。巡り来る時を私たちは生きています。それに、時は巡ることを経験を通して知っています。経験から得た知恵や過去に学ぶとともに、神が今、私たちに語られる言葉を聞きたいと思います。神との対話を忘れた人の歴史は滅びへと向かってしまうことも聖書は示しています。謙虚に自然を通し、出来事を通して語られる神さまの言葉に耳を傾けていきましょう。




「さあ、目を大きく開け!どんなに悲惨なありさまが見えようとも、それが現実というものだ。目をそらすな。こわがるな。この俺がついているんだ。いいかね、いいことを教えてやろう。わたしの話していたヘブライ語では《ことば》と《できごと》とはどちらもダーヴァールといってな、互いに区別がないのだよ。お前の身の回りに起きている《できごと》はすなわち神さまの《ことば》なのだ。耳をすまして、その《ことば》を聞け。そうすればこの《できごと》を通じて、神さまがお前に語りかけている《ことば》が聞こえて来るはずだ。それに従うのだ。その先に、お前が人間として本当に喜び輝く光の道が見え、お前は幸せに活き活きと生きる!」
山浦玄嗣著『イエスの言葉』より

10月 復活節

2013年10月16日 | 今月の御言葉・いのり・メッセージ
聖書の言葉


主において常に喜びなさい。

重ねていいます。喜びなさい。


新約聖書 フィリピの信徒への手紙4章4節


渡辺和子氏の言葉より


神が置いてくださったところで

咲きなさい。

仕方がないと諦めてではなく

「咲く」のです。

「咲く」ということは

自分が幸せに生き

他人も幸せにするということです。

「咲く」ということは

周囲の人々にあなたの笑顔が

私は幸せなのだということを

示して生きるということなのです。

“神が私を置いてくださった

それはすばらしいことでありありがたいことだ”と

あなたのすべてが語っていることなのです。

「咲く」ということは

他の人の求めに喜んで応じ

自分にとってありがたくない人にも

決して嫌な顔 退屈気な態度を

見せないで生きることなのです。


渡辺和子著「心に愛がなければ」より



 10月になりましたが、夏のような暑い日が続いたり、大きな台風による被害も相次いで起こり、天変地異のようなこの頃です。被害に遭われた方々にお見舞いを申し上げます。10月後半は少しでも秋らしい穏やかな日がつづくことを願うばかりです。
 聖峰教会は10月の第一日曜日に創立記念礼拝を持ちました。聖峰教会は創立36年です。聖峰教会の親教会である武蔵小山教会のモットー「フィリピの教会に倣う」信仰が私たちの教会にも受け継がれ、「フィリピの教会に倣い、いつも喜ぶ教会」であるように祈り願っています。
 喜ぶのはいつもうれしいこと、楽しいこと、おもしろいことがあるから喜んでいるのではありません。フィリピの信徒への手紙を書いたパウロは牢獄に置かれていました。その中から、いつも喜んでいるといっています。苦しいことや辛いこと、困難に私たちは日々ぶつかります。そのなかにあっても喜びを見いだし、喜びなさいとパウロは言うのです。
 「神が私を置いてくださった、それはすばらしいことでありがたいことだ」と思い、そこで「咲く」ことができれば、苦しい局面を乗り越えていくことができるのです。「喜ぶ」と「咲く」という言葉は、困難な中でも精一杯「喜び」、「咲く」という意味で使われています。
 教会の36年間も神が置かれたところで精一杯、咲いた歴史です。そして、これからも置かれたところで“喜び”、“咲き”、この地に神様の愛を伝え、人々が幸せに生きる手助けをしていきたいと思います。

復活節 9月

2013年09月07日 | 今月の御言葉・いのり・メッセージ
聖書の御言葉


ヤコブはその場所にあった石を一つ取って枕にして、その場所に横たわった。すると、彼は夢を見た。
先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた。
見よ、主が傍らに立って言われた。
「わたしは、あなたの父祖アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが今横たわっている土地を、あなたとあなたの子孫に与える。あなたの子孫は大地の砂粒のように多くなり、西へ、東へ、北へ、南へと広がっていくであろう。地上の氏族はすべて、あなたとあなたの子孫によって祝福に入る。見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」


M.キング牧師のことば


わたしには夢がある。

それは、いつの日か、不正と抑圧の炎熱で焼けつかんばかりのミシシッピ州でさえ、

自由の正義のオアシスに変身するという夢である。

私には夢がある。

それは、いつの日か、私の4人の幼い子ども達が肌の色によってではなく、

人格そのものによって評価される国に住むという夢である。




 猛暑、酷暑と言われたこの夏が少しずつ秋の気配につつまれるようになりました。けれども、真夏の太陽のあとは、豪雨や竜巻が襲ってきました。日本の穏やかな季節はどこへいってしまったのでしょうか?気の休めない日々が続きます。
 キング牧師が黒人の自由と公民権を訴え、ワシントン大行進で演説をした8月28日から50年が経ちました。キング牧師が多くの壁が立ちはだかる中、「わたしには夢がある」と語った夢は、今、現実のものとなりました。実現しないと思える中で語る夢、見る夢がその後の進むべき道を決める重要なものであるということを私たちに示してくれます。夢は現実逃避のようでもあり、なにをバカなことを言っているのかと笑われるようなことかもしれないけれど、その夢が私たちの次の一歩を方向付けるものとなるということを忘れてはなりません。
 この夏、仙台、石巻、牡鹿、女川を旅しました。復興に向かっている街を見させていただきました。何もかも津波が持ち去ってしまった街の後を見ました。歩道のタイルもぐちゃぐちゃになったその間から、雑草が花をつけているのを見ました。石ころがゴロゴロしている歩道を女子学生たちがおしゃべりをしながら歩いているのを見ました。お母さん達がお弁当屋さんをはじめて、お弁当を作っているのを見ました。トラックが砂埃をあげて走っているのを見ました。復興にはほど遠い道のりかもしれません。でもそこに、新しい息づかいがあります。困難な中で語る夢、見る夢が実現への第一歩であると思います。50年後も、笑顔の女子学生がおしゃべりをしながら、家路に向かい、お母さん達がおしゃべりをしながら、お弁当をつくり、お父さん達が漁をしている、そんな姿がきっとそこにあると思います。
 私たちも今日、明日のために夢を語り、夢を見ましょう。神様はそんな私たちと共にいて、どこへいっても守ってくれるはずです。