10月31日明朝 首里城火災
AM4:00頃 防災無線で何か放送しているので、窓を開け放送を聞いてみると、首里城が火災で燃えているという信じられない放送に、首里城方面を見ると、空が赤くなっている、火災なら、かなり大きいと思った。
まさか正殿ではあるまいと思いながらも、大変なことになったと思い、事実を確かめるべくバイクで向かうと、首里中前の鳥堀交差点で首里城方面が通行止めになっている、バイクを近くに止めて、歩いて龍潭池方面に向かうと首里農協の前から大きな炎が見えた。
さらに歩いていき、首里城の見える脇道の間から首里城が燃えているのが見えた。
立ち止まって見ている人が居たので、あれは正殿ですかと聞くとそうだと答え、事の重大さを改めて思う。
龍潭池方面へ歩いていくと、あちこちから首里城が炎上しているのが見える、龍潭池の前まで行くと近くの多くの人が心配そうに見ている、木造の首里城正殿の骨組みと屋根を残し、ごうごうと燃え盛っている状態だった。
いつも見る龍潭池からの首里城は威風堂々と首里のシンボルだったのにと思いながら見ていると、打ち上げ花火のような大きな音がバーンとなった、プロパンガスか何かが爆発したような音だった。大きな音はその後2回ほど有った。
さらに炎は燃え盛り、壁が崩れ落ちるのが見えた、屋根が落ちるのも長くはないと思いながら見ていると、屋根が大きく傾き一気に崩れ落ち火の粉が花火のように舞い上がっている。大きく崩れるの見るにつけ、大きなため息が出る、なんてことだ、こんなことが現実にあるのか、今見ている首里城炎上は悪夢なのではないかと思った。それだけ現実に起こっている出来事とは思えなかった。
北殿だろうか、窓らしき処から正殿が燃えているのも見える、北殿の壁まで燃えているのが解った、どれだけ延焼するのだろうか、火の粉が民家に行かなければいいのだがと思いながら、これまでの首里城の思い出をたどっていた、正殿まで入ったのは3回位だろうか、中に入っている展示物もすべて焼けているのだろうと思うと、計り知れない損失だと思う、正月の時の儀式にも行った、中秋の名月の首里城祭にも行った、うなーで行われている琉球舞踊「舞への誘い」は何度となく見に行った、もうすぐ文化の日に合わせた首里城祭だというのに、何ということになってしまったんだと悲しくなる。
最近僕はヘリテージマネージャー(建築物文化財登録委員)養成講座というのを月に2回土曜日の午後から受けている、講師の中に首里城復元に関わった方が何人かいて首里城の話や、沖縄瓦の作り方や木造建物の火災についてなどの講義もあった為余計に今回の火災は考えさせられる事が多く悲しみも深い。
壁が崩れ落ちたのが5:00頃、見ていた時間は1時間弱だが、その間で首里城が燃えて崩れてしまった、これからどうなんだろうか、できるだけ早い復興を望む。
AM4:00頃 防災無線で何か放送しているので、窓を開け放送を聞いてみると、首里城が火災で燃えているという信じられない放送に、首里城方面を見ると、空が赤くなっている、火災なら、かなり大きいと思った。
まさか正殿ではあるまいと思いながらも、大変なことになったと思い、事実を確かめるべくバイクで向かうと、首里中前の鳥堀交差点で首里城方面が通行止めになっている、バイクを近くに止めて、歩いて龍潭池方面に向かうと首里農協の前から大きな炎が見えた。
さらに歩いていき、首里城の見える脇道の間から首里城が燃えているのが見えた。
立ち止まって見ている人が居たので、あれは正殿ですかと聞くとそうだと答え、事の重大さを改めて思う。
龍潭池方面へ歩いていくと、あちこちから首里城が炎上しているのが見える、龍潭池の前まで行くと近くの多くの人が心配そうに見ている、木造の首里城正殿の骨組みと屋根を残し、ごうごうと燃え盛っている状態だった。
いつも見る龍潭池からの首里城は威風堂々と首里のシンボルだったのにと思いながら見ていると、打ち上げ花火のような大きな音がバーンとなった、プロパンガスか何かが爆発したような音だった。大きな音はその後2回ほど有った。
さらに炎は燃え盛り、壁が崩れ落ちるのが見えた、屋根が落ちるのも長くはないと思いながら見ていると、屋根が大きく傾き一気に崩れ落ち火の粉が花火のように舞い上がっている。大きく崩れるの見るにつけ、大きなため息が出る、なんてことだ、こんなことが現実にあるのか、今見ている首里城炎上は悪夢なのではないかと思った。それだけ現実に起こっている出来事とは思えなかった。
北殿だろうか、窓らしき処から正殿が燃えているのも見える、北殿の壁まで燃えているのが解った、どれだけ延焼するのだろうか、火の粉が民家に行かなければいいのだがと思いながら、これまでの首里城の思い出をたどっていた、正殿まで入ったのは3回位だろうか、中に入っている展示物もすべて焼けているのだろうと思うと、計り知れない損失だと思う、正月の時の儀式にも行った、中秋の名月の首里城祭にも行った、うなーで行われている琉球舞踊「舞への誘い」は何度となく見に行った、もうすぐ文化の日に合わせた首里城祭だというのに、何ということになってしまったんだと悲しくなる。
最近僕はヘリテージマネージャー(建築物文化財登録委員)養成講座というのを月に2回土曜日の午後から受けている、講師の中に首里城復元に関わった方が何人かいて首里城の話や、沖縄瓦の作り方や木造建物の火災についてなどの講義もあった為余計に今回の火災は考えさせられる事が多く悲しみも深い。
壁が崩れ落ちたのが5:00頃、見ていた時間は1時間弱だが、その間で首里城が燃えて崩れてしまった、これからどうなんだろうか、できるだけ早い復興を望む。