父と一緒に福井へ帰ってきた。
お正月の1000円高速。
雪道の心配はあったけど、無事に着いた。
叔母たち家族と久しぶりの再会。
笑いが絶えないすてきな晩御飯だった。
傘をさして休耕田の間を歩く。
1枚だけ水を張った田がある。
そこにぽつんと鴨が2,3羽、泳ぎながら時々首を水につっこんだりして何かをついばんでいる。
今、福井に限らず、日本全国どこも、耕作放棄された田畑がおびただしい。
なぜこんなことになってしまったんだろうか。
それは、確かに米の消費量が落ちたということもあるだろう。
でも、米を作らない休耕にすると補助金が出るという、耕作調整。
昔からの自然の力を捨てて、農薬メーカー、農協、農林省(当時の)とが、農家の自立をあめとむちでスポイルしてきた農政。
化学肥料、農薬の威力は絶大で、かつての「堆肥」やら「手作業での除草」での稲作kらは考えられない収穫量と農作業の肉体への負担軽減をもたらした。
でも、なんでもいいことづくめではない。
トラクターやコンバインなどの大型農機が入れるようにと排水性のいい田んぼにしたせいで、田んぼで産卵をする淡水魚、かえる、とんぼ、たがめなどの貴重な動物はあっというまに姿を消してしまったのだ。
でも、米にしろ野菜にしろ、食の安全が叫ばれるようになってから、本当に安全でしかもおいしい米が求められるような時代になってきた。
父の実家、つまり私の祖父の持つ稲田には、山間からの湧水がちょろちょろと流れ込む。
手ですくって飲んでみる。
おいしい水だ。
こんな最高のお水を吸って育つお米だもの、おいしさは格別だ。
これを、昔のように、蛍が舞い、とんぼの幼虫「やご」が泳ぐ水田に戻して米が作れたら、すばらしいだろうな。
地球温暖化で、農作物がどんどん取れにくくなったとき、そんな「自然農法のお米」が脚光を浴びる時代が来るのかな。
お正月の1000円高速。
雪道の心配はあったけど、無事に着いた。
叔母たち家族と久しぶりの再会。
笑いが絶えないすてきな晩御飯だった。
傘をさして休耕田の間を歩く。
1枚だけ水を張った田がある。
そこにぽつんと鴨が2,3羽、泳ぎながら時々首を水につっこんだりして何かをついばんでいる。
今、福井に限らず、日本全国どこも、耕作放棄された田畑がおびただしい。
なぜこんなことになってしまったんだろうか。
それは、確かに米の消費量が落ちたということもあるだろう。
でも、米を作らない休耕にすると補助金が出るという、耕作調整。
昔からの自然の力を捨てて、農薬メーカー、農協、農林省(当時の)とが、農家の自立をあめとむちでスポイルしてきた農政。
化学肥料、農薬の威力は絶大で、かつての「堆肥」やら「手作業での除草」での稲作kらは考えられない収穫量と農作業の肉体への負担軽減をもたらした。
でも、なんでもいいことづくめではない。
トラクターやコンバインなどの大型農機が入れるようにと排水性のいい田んぼにしたせいで、田んぼで産卵をする淡水魚、かえる、とんぼ、たがめなどの貴重な動物はあっというまに姿を消してしまったのだ。
でも、米にしろ野菜にしろ、食の安全が叫ばれるようになってから、本当に安全でしかもおいしい米が求められるような時代になってきた。
父の実家、つまり私の祖父の持つ稲田には、山間からの湧水がちょろちょろと流れ込む。
手ですくって飲んでみる。
おいしい水だ。
こんな最高のお水を吸って育つお米だもの、おいしさは格別だ。
これを、昔のように、蛍が舞い、とんぼの幼虫「やご」が泳ぐ水田に戻して米が作れたら、すばらしいだろうな。
地球温暖化で、農作物がどんどん取れにくくなったとき、そんな「自然農法のお米」が脚光を浴びる時代が来るのかな。