主婦の椎間板ヘルニアの日々 

ヘルニア闘病生活が独立ブログになりました。メニューのブックマークから「山あり谷あり」にも遊びに来てね

1.5進1退 

2006年06月07日 | 椎間板ヘルニア
良能会に行き始めの時は、週に二回通っていたけれど
二週間ほどして私の様子を見て先生から
 「出来ればもう少し間隔を置かないで来てくれた方がいいなぁ」
と言われたので、三週間目からは週に4回通っている。

良能会の指導者の五味先生の本には体験談が沢山載っていて
色々参考にしているけれど
回復の早さは人それぞれのよう。

立つのも容易でなかったのに施術後歩いて帰って来たという人、
骨盤が硬くなり何ヶ月も仙腸関節が入らなくて一年以上通った人、
本当に様々のようだ。
腰痛暦が長ければ長い程 骨盤が硬くなり時間がかかるようだ。

私の場合は高校生の時に部活で椎間板ヘルニアになっているので
腰痛暦は20年位だろうか(年がバレバレだわ)

その分やはり骨盤が硬いらしく
1.5進1退って感じだろうか…
でも少しずつだけど確実に変化はあり、快方に向かっている手応えはある。

右側の仙腸関節が初めて入ったのは 通い始めて6回目くらいだった。
「プツッ」というような聞こえるか聞こえないかのような音だった。
仙腸関節が入った日にはやはり 凄い激痛に襲われたが
 「これは良くなる前兆だ」と自分に言い聞かせ
涙ながらに耐え忍んだ

そして10回目を過ぎた頃からは毎回のように仙腸関節が入るようになった。
でもまだまだ小さい動きのようで、
 「10回前後で仙腸関節が入るなんてまだいい方だよ。もっと酷い人も沢山いるからね。でももっと大きく入るようにならないとね、それにはやっぱりバラコン運動を沢山して骨盤をもっともっと柔らかくする事」
と言われている。

今の所、家事その他全てを旦那と子供にお願いして
布団に横になっている私だから、
頑張ってくれている家族の為にも
バラコン運動を仕事だと思って頑張ろう
と日々思うのであります。


本来の痛み…?

2006年06月05日 | 椎間板ヘルニア
三度目の良能会の日、先生にべそをかきながら激痛の二時間を報告した。

先生は
 「それは本来の痛みなんだよ。今まで我慢していたから自律神経失調症気味になって感じなくなってたんだよ。痛みが出たって事はそれを感じるようになったって事だから、治る事に一歩近付いたって事なんだ」
と言われた。

そう言えば、私が買った本の中で五味氏がそのような事を書いていたような気がするなと考えていたら

 「でもまだまだ。骨盤が柔らかくなって仙腸関節が入るようになったら、もっと強い痛みがくると思うよ。ただそれは耐えてもらうしかないんだな」

と追い討ちが来た。

あの激痛よりも酷い激痛が来るのぉぉお?

……………

あの激痛は嫌だけど、私は治りたい。
治りたいんだから耐えるしかない、というか頑張るしかないのだ。
自分でこの治療法を選んだのだから。

何だか信仰みたいだなと思いつつも
帰宅。

今日も激痛が来るかもしれないと、ずっと恐れていたけど
その日は無事終了。

そして次の日は調子が良くなっていた。
まだ歩く&座るは痛みがあるから基本的に布団に横になっているんだけど
横になっている分には痛みを感じない時間が出てきたのだ。

それまでは四六時中痛みが続いていたのに……

これってもしかして凄い事じゃない?

ここ一ヶ月以上、いつも痛みと共に生活していたのに
痛みから開放される時間が出てきたなんて

とても嬉しかった。

忍耐の二時間

2006年06月03日 | 椎間板ヘルニア
先生に不安な事も聞けて、少し不安が安らいで帰宅したその日の夕方くらい。
何だか段々右側のお尻から足にかけての痛みが大きくなってきた。
と同時に、腰に何やら痛みが…
今までお尻からつま先までの痛みはあったけど、腰自体の痛みはさほど感じなかったのに…

と思ったのも束の間、あっという間に今まで体験した事の無い物凄い
かなりの激痛が襲ってきた
体勢を変える事もままならない。
ちゃんと脳の命令が体に伝わっていかないような感じで
簡単には足も腰も動かない。
自分の腰であって、自分の腰じゃないみたい

そして何とか頑張って動かそうもんなら、電流が通ったような
キィーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン
と突き刺すような激痛が走る。

私の腰は壊れてしまったのではないだろうか?

あまりの痛さに、最初は子供に聞こえないように呻いていた私も
 「痛いよぉー、痛いー」
と子供のようにわめき続けた。

それでも治まらずに涙まで出てきてしまう。
そして最後には
 「ふふっ、ふふふっ」
と笑ってしまった。
あまりの痛みと、情けなさとで 笑えてしまったんだと思う。

子供達が
 「ママ、キレたのかな?」
 「ママ、あんまり痛くて壊れたんじゃない?」と
コソコソと2人で相談しているようだった。
心配していたようだけど、返事をする余裕もない。
話すなんて消耗する事を今やっている場合ではない。
痛みを耐えぬくのに必死だ。

座薬もしてみたけど全然効果ナシで、
とにかく耐えるしかないと悶え苦しんでいた。

 「ヤバイぞ、ヤバイ、このままだったら私は救急車モノか?
と思った時には、激痛が始まってから2時間くらい過ぎただろうか…

何の前触れもなく、少しずつスーッと痛みが消えていった

そして驚く事に、それが消えてからは
とても調子が良くなっている。

すっかり痛みが消えたワケではないけれど、
まだ耐えられるし、そしてある程度歩いても
数分間は耐えられるようになっていた。

あ…あの激痛は先生が説明してくれた反応だったのかと思った。

救急車を呼んだ方がいいのかな?と思った時、
私はやっぱり先生の言う事を疑ったんだと思う。
逆に悪くなってしまったんじゃないかと不安になっていたんだ。
ちゃんと先生が説明してくれたのに…

最初から「駄目で元々、それで駄目ならその時は手術すればいい」と
思っていた初心を忘れてはいけない。
ちゃんと信じてやり抜かなくてはいけないんだ。

そう言えば良能会の壁に貼ってあった大きな紙に
 「必ずよくなりますから、途中の痛みなどで不安を抱かずに頑張りましょう」
と書いてあったではないの。

書いてあるって事はやっぱり私のように不安に思う人がいるって事なんだろうな…

私ってみんなが通る道を定石通りに通っている代表選手のような人なんだわと
ちょっと恥ずかしかった


------------------------------------------
※毎回の注意書きですが、この体験記は私個人の感想であって
 一切の営利・宣伝行動を行なうつもりはありません。
 なるべく具体的な治療院の名前を出さないようにと心がけて居ますが
 どうしても出さないと伝わらない事もありますので、出している所もあります  が、その場合は支部など分からないように書いているつもりです。
 何か問題等ありましたらご連絡下さい。


頑張らなきゃ

2006年06月02日 | 椎間板ヘルニア
次の日に二度目の良能会に行って、早速先生に「コキッ」を報告した。

先生 「それだけ関節や骨盤が硬くなってる証拠だな」

私  「そうですか、じゃもっと続ければいいんですね」

先生 「そう、回せば回すほど骨盤も関節が柔らかくなるから、早く柔らかくなれば仙腸関節も入りやすくなるから早く治るよ」


そして、部屋に貼ってある大きな紙を指差しながら

先生  「ここにも書いてある通り、治療を続けていくと思ってもいない所に痛みや症状が出たりするけれど、びっくりしないでね。それを続けていく事によって段々痛みが少なくなっていくからね」

と言われた。

確かに大きな紙には、色んな所に痛みが出たり、ひどい人だと湿疹も出る事があると書いてあった。


施術してもらっていると、左の腰から「プツッ」という小さな音が聞こえた。
 「聞こえたか?今左の仙腸関節入った音だ」
と先生が教えてくれた。
 「右も入るといいんだけど、右は骨盤がまだまだ硬くて入らないなぁ。頑張って腰回して柔らかくしないと」
と言われた。

私が痛いのは右側、長年の腰痛で骨盤が硬いらしい。
確かに骨盤全体を先生が押したりすると左側に比べて右側が動いていないのが解る。


その日もその場にいた他の患者さん達に色々励ましてもらったり、その人の体験談などを聞かせてもらった。
そこにいる殆どの人が、色んな病院や整体を渡り歩き、それでも良くならなくて辿り着いたのが良能会だったらしく、みな一様に
 「ここは最初はびっくりするけど本当に良くなるよ」
と言われた。

私よりも症状が酷かった人や、何十年も膝や腰を患っていた人が多かった。
年配の人が多かったのに、みんなバラコンバンドを巻き楽々と腰回しをしていたるのだ。

あんな風に楽になる事を信じて
やっぱ私も頑張らなきゃ
とフツフツと勇気が湧いてきた。