主婦の椎間板ヘルニアの日々 

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忍耐の二時間

2006年06月03日 | 椎間板ヘルニア
先生に不安な事も聞けて、少し不安が安らいで帰宅したその日の夕方くらい。
何だか段々右側のお尻から足にかけての痛みが大きくなってきた。
と同時に、腰に何やら痛みが…
今までお尻からつま先までの痛みはあったけど、腰自体の痛みはさほど感じなかったのに…

と思ったのも束の間、あっという間に今まで体験した事の無い物凄い
かなりの激痛が襲ってきた
体勢を変える事もままならない。
ちゃんと脳の命令が体に伝わっていかないような感じで
簡単には足も腰も動かない。
自分の腰であって、自分の腰じゃないみたい

そして何とか頑張って動かそうもんなら、電流が通ったような
キィーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン
と突き刺すような激痛が走る。

私の腰は壊れてしまったのではないだろうか?

あまりの痛さに、最初は子供に聞こえないように呻いていた私も
 「痛いよぉー、痛いー」
と子供のようにわめき続けた。

それでも治まらずに涙まで出てきてしまう。
そして最後には
 「ふふっ、ふふふっ」
と笑ってしまった。
あまりの痛みと、情けなさとで 笑えてしまったんだと思う。

子供達が
 「ママ、キレたのかな?」
 「ママ、あんまり痛くて壊れたんじゃない?」と
コソコソと2人で相談しているようだった。
心配していたようだけど、返事をする余裕もない。
話すなんて消耗する事を今やっている場合ではない。
痛みを耐えぬくのに必死だ。

座薬もしてみたけど全然効果ナシで、
とにかく耐えるしかないと悶え苦しんでいた。

 「ヤバイぞ、ヤバイ、このままだったら私は救急車モノか?
と思った時には、激痛が始まってから2時間くらい過ぎただろうか…

何の前触れもなく、少しずつスーッと痛みが消えていった

そして驚く事に、それが消えてからは
とても調子が良くなっている。

すっかり痛みが消えたワケではないけれど、
まだ耐えられるし、そしてある程度歩いても
数分間は耐えられるようになっていた。

あ…あの激痛は先生が説明してくれた反応だったのかと思った。

救急車を呼んだ方がいいのかな?と思った時、
私はやっぱり先生の言う事を疑ったんだと思う。
逆に悪くなってしまったんじゃないかと不安になっていたんだ。
ちゃんと先生が説明してくれたのに…

最初から「駄目で元々、それで駄目ならその時は手術すればいい」と
思っていた初心を忘れてはいけない。
ちゃんと信じてやり抜かなくてはいけないんだ。

そう言えば良能会の壁に貼ってあった大きな紙に
 「必ずよくなりますから、途中の痛みなどで不安を抱かずに頑張りましょう」
と書いてあったではないの。

書いてあるって事はやっぱり私のように不安に思う人がいるって事なんだろうな…

私ってみんなが通る道を定石通りに通っている代表選手のような人なんだわと
ちょっと恥ずかしかった


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※毎回の注意書きですが、この体験記は私個人の感想であって
 一切の営利・宣伝行動を行なうつもりはありません。
 なるべく具体的な治療院の名前を出さないようにと心がけて居ますが
 どうしても出さないと伝わらない事もありますので、出している所もあります  が、その場合は支部など分からないように書いているつもりです。
 何か問題等ありましたらご連絡下さい。