おきにいりの作家さん
葉室麟さん^^
『蜩ノ記』
5度目の正直で直木賞受賞
おめでとうございます
葉室麟さんの小説の登場人物たちは
その清清しさ潔さに
心打たれる読み心地のよい本ばかりです
主要登場人物たちがいいのです~
凛とした主役たちはもちろん
家老などという大物の一見悪役敵役が憎たらしいんだけれど
読み進んでいくと何やら何か
憎みきれずその言い分になるほどと
納得してしまったり・・・
おととい読み終わった本
この『蜩ノ記』も
より深い考え方があるということを
思い知らされることの多いこと・・・
覚悟をもって生きている時代の物語
戸田秋谷の覚悟の生きかた
庄三郎と信吾は些細なことで刃傷沙汰をおこし決別した
庄三郎は切腹もののところを
家譜編纂と十年後の切腹を命じられ幽閉中の秋谷の
編纂補助と監視と7年前の事件の真相を調べることで免じられることになる
そして秋谷の清廉さ気高い生き方に感化されていく
また怪我を負った信吾は江戸に出て学んでいくことで生き方をみいだしていく
・・・ふたりがそれぞれ信頼できる人に出会い学んでいくことで大人として成長をみせ・・・
幼くとも自分自身で道を切り開こうとする健気な源吉と
友のためなすべきことをなそうとする郁太郎の決意
中根老中・・・
秋谷の運命を変えた一件は一行で記録
この小説は架空のものらしいけれども
残された文献を読み解くときに葉室麟さんたち
作家さんはその一行にロマンを見出し
物語が生まれてくるのかなと想うのでした
ともあれ善い本です^^
月齢 :24.37
輝面比:30.552%
二十五夜
朝の月
評・縄田一男(文芸評論家)
2011.11.27 11:41
MSN Japan産経ニュース
『蜩ノ記(ひぐらしのき)』葉室麟(りん)著
泣けるほどの誠の武士
http://sankei.jp.msn.com/life/news/111127/bks11112711440006-n1.htm
いま、肚(はら)の底から泣けるほどの誠の武士を書ける作家が何人いるだろうか。そう思われている方はこの一巻を読むにしくはない。
元郡奉行・戸田秋谷-七年前、前藩主の側室と不義をはたらいて、向山村に幽閉の身となり、家譜編纂(へんさん)と十年後の切腹を命じられた男である。そこへ城中で旧知の友と刃傷沙汰を起こしてしまった奥祐筆・檀野庄三郎が、いわば、監視兼補佐役としてやってくる。が、秋谷はとてもそのような罪を犯す人物には見えず、妻・織江も自分は夫がどのようなひととなりであるかわかっている、というのみ。そして秋谷の行為がひとりの女を救うためのもので、そこに御家の派閥抗争が絡んでいると分かった時点で、気の早い読者はそういうことかとはやトチリをされるであろう。
が、本書は決してそのような甘い作品ではない。庄三郎が錯綜(さくそう)に錯綜を重ねる謎を文献と人間関係の双方から調べていくうちに浮かび上がってくる、藩の不祥事と、鎖分銅を使う刺客の登場。さらには手に入れた一通の御由緒書。そして刃傷の相手である旧知の友との友情の復活等々。
が、本書の神髄は、この物語が二転三転したその時、秋谷の息子・郁太郎をかばった百姓の子・源吉が目付役の拷問によって惨死してから顕現する。これ以降の展開は、号泣せずに読むことはできないであろう。そして私たちは見る。誠の武士の魂がまだ元服前の郁太郎の胸にさえ脈々と宿っていることを。
武士とは何をもって武士であるのか。徳川三百年の歴史の中でおよそ理の立つところで腹を切った武士など何人いるだろうか。が、彼らは理不尽を承知で従容として死の座についた。だからこそ四民の頂点に立てた。が、さらに切腹ができれば武士かといえばそれも違う。では何が武士を武士たらしめているか、といえば、後半の秋谷、郁太郎、庄三郎の行為にその答えがある。彼らをもって平成の指導者たちの愚行を批判する読みも可能だ。が、そんなことをすればこの高潔な一巻が汚れてしまうではないか。私は何の疑いもなくそう思う。(祥伝社・1680円)
評・縄田一男(文芸評論家)
ほぼ・・・私の感じたことを語ってくれています
リンクだけだといつか消えてしまうかもと思い
それではもったいないので勝手にコピペしました