米国発の「相互関税」が世界中に波紋を起こしており、連日メディアで大きく取り上げられています。奉公先の人に「実際どうなるのだろうね?」と聞かれましたが、人心にどう影響するかはどのように報じられ話題になるかによって左右されるのかな、と思います。とはいえ、世界株安・報復関税・状況が第二次世界大戦勃発前の世界と類似・・などなど、ポジティブな話題にはならないですね。

「先輩、遠方より来たる」の続きです。本日まずは、中尊寺本堂でございます。中尊寺といえば金色堂が真っ先に浮かぶ方も多いでしょうが、850(嘉祥3)年に円仁が創建した「弘台寿院(こうだいじゅいん)」に始まり、後三年合戦(1083~87年)の後、一帯を支配した藤原清衡が、前九年・後三年と続いた戦の犠牲者を弔うために整備したとされています。
その中尊寺の本堂は1909(明治42)年に再建されたもので、その前に建つ表門は修復中でした。先輩は御朱印を集めており、今回の参拝の目的のひとつはそれもあったのでしょう。

(中尊寺本堂 ー平泉町平泉ー)
そしてメイン?の金色堂へ。以前の拝観料は800円位だったと記憶していましたが1000円でした。門をくぐって覆堂へ。先輩が「写真で見ると石段から覆堂まで奥行きを感じたけれど、実際はそうでもないなぁ」と言いました。

(撮り忘れたので、14年前に撮ったものから・・ ー2011/2/5ー)
お香の匂いがする堂内で金色のお堂を拝見すると、薄暗さもあって、少々厳粛な気持ちにはなります。歴史的価値の凄さはピンときませんが、900年の時を経て藤原清衡と同じものを見ているということには多少の感慨があります。
ところで覆堂内での解説は英語もありましたが、金色堂を英訳すると「ゴールデンホール」となるのですね。確かにそうですが、もっと「名訳」は無いものでしょうか?
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「先輩、遠方より来たる」の続きです。本日まずは、中尊寺本堂でございます。中尊寺といえば金色堂が真っ先に浮かぶ方も多いでしょうが、850(嘉祥3)年に円仁が創建した「弘台寿院(こうだいじゅいん)」に始まり、後三年合戦(1083~87年)の後、一帯を支配した藤原清衡が、前九年・後三年と続いた戦の犠牲者を弔うために整備したとされています。
その中尊寺の本堂は1909(明治42)年に再建されたもので、その前に建つ表門は修復中でした。先輩は御朱印を集めており、今回の参拝の目的のひとつはそれもあったのでしょう。

(中尊寺本堂 ー平泉町平泉ー)
そしてメイン?の金色堂へ。以前の拝観料は800円位だったと記憶していましたが1000円でした。門をくぐって覆堂へ。先輩が「写真で見ると石段から覆堂まで奥行きを感じたけれど、実際はそうでもないなぁ」と言いました。

(撮り忘れたので、14年前に撮ったものから・・ ー2011/2/5ー)
お香の匂いがする堂内で金色のお堂を拝見すると、薄暗さもあって、少々厳粛な気持ちにはなります。歴史的価値の凄さはピンときませんが、900年の時を経て藤原清衡と同じものを見ているということには多少の感慨があります。
ところで覆堂内での解説は英語もありましたが、金色堂を英訳すると「ゴールデンホール」となるのですね。確かにそうですが、もっと「名訳」は無いものでしょうか?

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