風景居酒屋 ごじゃ満開

2011年03月11日14時46分、東日本大震災発生
(since 2007/8/15)。

1164)私的岩手通史の旅 第103回(奥州平泉氏 第9幕)

2011年12月10日 | 私的岩手通史の旅
 昨日は宴がありました。居酒屋は予約すると大抵2時間きっかりで追い出されますが、遠方から今夏に異動してきた先輩はそのことに驚いていました。彼の街では2時間制でももう1~2杯は呑めるのだそうです。そんなところにも地域差があるのですね。


第103回 奥州藤原氏-第9幕-(平泉町 観自在王院跡)

 1128(大治3)年に没した清衡の後を継いだ基衡はその生没年が定かではなく、後三年合戦が終了(1087年)し父清衡が平泉造営に着手する2年前の1103(康和5)年頃に生まれ、1157(保元2)年頃に54歳で没したとされています。

 父清衡の73歳に比べて随分短命でしたが、金色堂に眠る遺体調査によるとやや肥満型体質の立派な体型と想像されるそうですから、いい物を食べ過ぎて早死にしたのかもしれないと想像してみました。

 推定年齢で計算すると1128(大治3)年、25歳頃に清衡の後を継ぎ約29年間奥州藤原氏の棟梁として君臨したことになりますが、「岩手県の歴史散歩(山川出版)」の巻末年表では「1126(大治元)年、中尊寺落慶供養」の次は「1175(安元元)年 源義経が平泉に来た」となっており、基衡の時代は飛んでいます。年表に書くような事のない、平穏な時代だったのかもしれません。

 その基衡は清衡の後を継ぎ毛越寺の堂宇整備を行ないましたが、今回ご覧いただくのはその毛越寺の東隣りにある「観自在王院跡」です。観自在王院は基衡の妻(安倍宗任の女)が建立した寺院で、阿弥陀如来を本尊として祀っていました。


(空から見た観自在王院跡 -平泉町平泉 2011/02/05-)

 その中心にあるのが「舞鶴ヶ池」です。観自在王院は舞鶴ヶ池を中心とした庭園で、発掘されるまでは水田と化していたそうです。他にも南門跡や大阿弥陀堂跡等、そして西側には牛車の駐車場もあったそうですから、たいそう賑わっていたのでしょう。


(凍った舞鶴ヶ池 -平泉町平泉 2011/02/05-)

 小説「炎立つ(高橋克彦氏著)」でも基衡の時代は飛ばされ、後三年合戦終了後は清衡から孫(基衡の子供)である秀衡の会話から始まっています。「私的岩手通史の旅」も、基衡の時代から秀衡(ひでひら)の時代に飛ぶことにします。




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