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2011年03月11日14時46分、東日本大震災発生
(since 2007/8/15)。

1046) 私的岩手通史の旅 第89回(後三年合戦 第10幕)

2011年08月14日 | 私的岩手通史の旅
 ラジオを聴いていたら「とんがり帽子」が流れてきました。終戦後のNHKラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の主題歌(♪みっどりのおっかのぉあっかいやねぇ♪)ですが、このドラマの着想になったと言われているのが、奥州市江刺区にある「明治記念館(旧岩谷堂町役場)」です。何れ「私的岩手通史の旅」に出したいと思いますが、いつになることやら・・・?


第89回 後三年合戦 第10幕(秋田県横手市 蛭藻沼)

 後三年合戦の史跡は現在の秋田県横手市と北隣りの美郷町に広がっていますが、両自治体が合同で作成した「後三年合戦伝説めぐりマップ」というパンフレットがあります。このパンフレットではこれまで巡ってきた「平安の風わたる公園」や「金沢柵」といった有名な史跡の他、伝説が残る地を多く紹介しています。自治体を越えて1つのパンフレットを作るというのは珍しいのではないでしょうか?


(横手・美郷合作のパンフレット 30箇所紹介されています)

 1087(寛治元)年9月に始まった2度目の金沢柵攻撃、千任の罵倒にもめげず兵糧攻めを続けた義家・清衡軍によって家衡・武衡軍がこもる柵内の飢えはひどくなり、耐えかねた女性や子供が逃げ出し始めました。

 これに対して兵糧攻めを進言した吉彦秀武は彼らの殺害を主張し、義家はこれを受け入れ彼らの首をことごとくはねてしまいました。結果、柵を逃げ出す者がいなくなり、中の飢えはますますひどくなりました。

 兵糧攻めに耐えかねた家衡・武衡軍は城に火をつけ、そこに義家・清衡軍が乱入し柵内は大混乱に陥りました。その混乱に乗じて家衡と武衡は逃亡を図りました。

 今回ご覧いただくのは武衡が逃亡して潜んでいた「蛭藻沼(ひるもぬま)」です。武衡は金沢柵の南西、直線距離で約2.5キロの地にあるこの池まで逃れて潜んでいたのですが、発見されて義家のの前に引き出されました。


(蛭藻沼 -秋田県横手市 2011/07/13-)

 説明の標柱が無ければ周囲の水田用のため池にしか見えません。実際そういう役目の沼だったのでしょうが、武衡は冬間近の池に潜み、その冷たさに耐えながらどのようなことを考えていたのでしょう。

 義家を罵倒した千任も捕らえられ、舌を切って処刑されました。両者の処刑場面は「後三年合戦絵詞」にも描かれています。




2010/08/14の一品・・・769)私的岩手通史の旅 第41回
2009/08/14の一品・・・お休みでした
2008/08/14の一品・・・333)盛岡散歩 雫石川8橋(水管橋)

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