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風景居酒屋 ごじゃ満開

2011年03月11日14時46分、東日本大震災発生
(since 2007/8/15)。

3751)岩手彷徨 一関市(一関遊水地2025 1~3月)

2025年04月19日 | 岩手彷徨
 新聞の相談欄に「片づけられられるよになるにはどうしたらいいか?」という投書があり、回答者が「捨てたら片付く」とアドバイスしていました。確かに、片づけを始めても「いつか使うかもしれない」と思い捨てることに躊躇し、結局棚の物を右から左へ動かして終わり・・というのはよくある話ですね。なので奉公先で大掃除をする際、「いつか使うかも」という物ほど使わないので「捨てちゃえ!」と持ち主の背中を押すのですが、そういう物に限って捨てた後に必要になったりするのも、私にとってはよくある話です。



 本日は1~3月に車窓を流れた一関遊水地です。それまでオンライン会議だったものがリアルに変わり、月に1度は江戸参内となりました。1枚目は1月の会議時の東京行「はやぶさ」からの車窓です。この日は私用があって会議前日の南下、珍しく進行方向左側(東側)の遊水地を眺めました。


(一関市舞川 ー2025/1/26ー)

 続いてその2日後です。時間的に一関まで公務で新幹線を利用したのだと思います。一関までなら在来線でもさほど苦ではないのですが、何か急ぎだったのでしょうね。一関下車の時はゆっくり眺めるというよりも降り支度しながら眺めますね。


(一関舞川 ー2025/1/28ー)

 2月の1枚目は白河だるま市の帰路です。すでに日は落ちていたのでしょう。厚い雲と雪に覆われた遊水地は北国らしい1枚ですね。


(一関市舞川 ー2025/2/11ー)

 2月のもう1枚は、朝の遊水地です。この日は朝一番の「はやぶさ」で南下。一番列車に乗れば朝の会議に間に合ってしまいます。


(一関市舞川 ー2025/2/25ー)
 
 そして3月。この日も私用があって会議前日の南下。晴れているのに上空には厚い雲が・・。ちょっと不思議な光景です。

(一関市舞川 ー2025/3/23ー)

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3749)先輩、遠方より来たる(平泉町 達谷窟)

2025年04月10日 | 岩手彷徨
 4月も3分の1が過ぎました。多くの企業が4月1日に新社会人を迎えており、街を歩いていると初々しさを感じるスーツ姿の若者とすれ違います。一方それを見る私は社会人30数年生、よく続いてきたなと思います。その陰で多くの人に迷惑をかけてきたのでしょうがあと数年で定年、最近は来し方を振り返るよりこの先のカウントダウンを考えるようになってきましたね。当店の暖簾を挙げた約17年半前には想像もしなかった気持ちです。



 「先輩、遠方より来たる」の続きです。最初のリクエストだった中尊寺を詣でた後は、「達谷窟(たっこくのいわや)」へ向かいました。まさか先輩の口からその名が出るとは思いませんでしたが、「車があるなら是非行きたい」とのご要望でした。もとより私も久しく詣でていませんでしたので、2つ返事でご案内です。

 中尊寺や毛越寺より知名度は高くないと思っていましたが、駐車場には10台近く停まっていました。平泉の周遊観光コースに入っているのでしょうか。駐車場の前には平泉~達谷窟~厳美という路線バスの停留場がありましたが、こちらは3月いっぱいで廃止になると告知されていました。


(達谷窟バス停と達谷窟のある西光寺 ー平泉町北沢ー)

 車で来ているので偉そうなことは言えませんが、路線バスの廃止というのはさみしいものですね。


(廃止の案内)

 気を取り直して?西光寺の境内に入り達谷窟の毘沙門堂をへ。2008年に初めて買った「岩手県の歴史」では茶色い姿でしたが、今は鮮やかな朱色に変わっていました(確か以前詣でた時にはすでに朱塗りになっていたかと)。毘沙門堂は、坂上田村麻呂が蝦夷征討の戦勝記念として建てたと伝えられており、地元にすれば少々複雑な気持ちになりそうですが、一方で、ここにいた「悪路王」「赤頭」は領民を苦しめていたとも伝えられており、単純に「侵略者の造った物」とは言えないですね。


(平泉町北沢)

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3748)先輩、遠方より来たる(平泉町 中尊寺本堂・金色堂)

2025年04月09日 | 岩手彷徨
 米国発の「相互関税」が世界中に波紋を起こしており、連日メディアで大きく取り上げられています。奉公先の人に「実際どうなるのだろうね?」と聞かれましたが、人心にどう影響するかはどのように報じられ話題になるかによって左右されるのかな、と思います。とはいえ、世界株安・報復関税・状況が第二次世界大戦勃発前の世界と類似・・などなど、ポジティブな話題にはならないですね。



 「先輩、遠方より来たる」の続きです。本日まずは、中尊寺本堂でございます。中尊寺といえば金色堂が真っ先に浮かぶ方も多いでしょうが、850(嘉祥3)年に円仁が創建した「弘台寿院(こうだいじゅいん)」に始まり、後三年合戦(1083~87年)の後、一帯を支配した藤原清衡が、前九年・後三年と続いた戦の犠牲者を弔うために整備したとされています。

 その中尊寺の本堂は1909(明治42)年に再建されたもので、その前に建つ表門は修復中でした。先輩は御朱印を集めており、今回の参拝の目的のひとつはそれもあったのでしょう。


(中尊寺本堂 ー平泉町平泉ー)

 そしてメイン?の金色堂へ。以前の拝観料は800円位だったと記憶していましたが1000円でした。門をくぐって覆堂へ。先輩が「写真で見ると石段から覆堂まで奥行きを感じたけれど、実際はそうでもないなぁ」と言いました。


(撮り忘れたので、14年前に撮ったものから・・ ー2011/2/5ー)

 お香の匂いがする堂内で金色のお堂を拝見すると、薄暗さもあって、少々厳粛な気持ちにはなります。歴史的価値の凄さはピンときませんが、900年の時を経て藤原清衡と同じものを見ているということには多少の感慨があります。

 ところで覆堂内での解説は英語もありましたが、金色堂を英訳すると「ゴールデンホール」となるのですね。確かにそうですが、もっと「名訳」は無いものでしょうか?

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3747)先輩、遠方より来たる(平泉町 中尊寺月見坂)

2025年04月06日 | 岩手彷徨
 いささか旧聞に属しますが、首相が初当選議員に商品券を配ったことが連日報じられていましたが、新聞記事やTVニュースのテロップを見るとどこもかしこも「商品券を配布」としており、自分が見る限りは「商品券を配付」としているメディアはありませんでした。広く不特定に配ったのであれば「配布」ですが、特定の対象に渡したのだから「配付」であろうと思ったのですが・・。出来事の本質以前のところで自分の思考が滞ってしまいました。



 奉公先で長いことお世話になっている先輩が来県し、県南を一緒に巡りました。本日からは私にとっても数年ぶりに訪れた各地の、春数歩前の風景でございます。とはいえ昨今の更新頻度では、終わるのは夏になってしまうかもしれません(苦笑)。

 まず訪れたのは中尊寺です。坂の下に車を止め、還暦間近の2人が月見坂を上り始めました。


(平泉町平泉)

 月見坂を上った後には平泉を一望。あいにく曇天でしたが、平泉藤原氏の皆さんもここから同じように眺めたのでしょうか。


(平泉町平泉)

 先輩にもご満足いただけたようで、その先に足を伸ばします。 

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3740)岩手彷徨 雫石町(竜川)

2025年02月09日 | 岩手彷徨
 昨日の地元紙朝刊を開けば、社会面に大きく「ふじポンさん」の特集記事が載っていました。今年で活動25周年だそうで、「80歳まで岩手のアイドルと言い張る」と語っていました。私が初めてその存在を知ったのは2008年、「元気な女の子だなぁ」というのが第一印象でした。「ふじポン」という名前も跳ねているようで、より元気さを感じるのでしょう(個人の見解です)。きっとこういうご当地アイドルは各県にいるのでしょうね。



 昨年が少なかったせいか、今年は大雪が報じられる事が多いように感じます。この週末は日本列島の日本海側で大雪のようで、天気予報に出てくる日本列島の日本海側は大雪を示す白、太平洋側は晴天を示す緑で塗られており、両者を隔てているのが奥羽山脈をはじめとする山々です。こういう天気図を見るとこれらの山々の存在の大きさを感じずにはいられません。
 
 本日の1枚は、そんな奥羽山脈を越えるJR田沢湖線の車窓です。岩手県側最後の駅である赤渕を過ぎた田沢湖線は、国道46号線とも離れて奥羽山脈を越えますが、国道46号線をくぐってほどなく竜川を渡ります。雫石川の支流で川幅も広くありませんが、田沢湖線から眺めるこの光景が、私はお気に入りです。


(雫石町赤渕 ー2025/1/17-) 

 田沢湖線の車窓は見ていて飽きないはずなのですが、最近は往復とも仕事ができてしまう環境にあります。その分デスクワークが軽減されているかといえば、そうこともなく・・。またゆっくり車窓を眺められるようになる日が待ち遠しいです。

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