創刊当時は84ページ、50年後は520ページ。6倍強の厚さになってます。
実話を基にドラマも入れて振り返る50年。生まれる前からあったんですね。
少年サンデーとマガジンは。
きのうの夜、お風呂に入ったあとにNHKの“ザ・ライバル「少年サンデー・
少年マガジン物語」”が放送されていたので、少し寝ながら見ていました。
だからうる覚えデス。許してね~。
発刊は両方とも1959年3月17日。ほんとうはサンデーが5月5日に発刊
する予定だったのですが、お互いに一歩でも早く出すために奔走します。
手塚治虫先生や藤子不二雄先生の人気漫画家の囲い込み。まさに、
「時間との勝負」。藤子先生への依頼が2日違いでサンデーへ。実は藤子
先生は講談社の原稿落して2年出入り禁止なってたなんて知らなかった。
印刷についてはお互いに様子見。安くすればそれだけ売れる10円の攻防。
当時は“ふろく”が付く売れるということでマガジンは付録付きで40円。
サンデーはマガジンの定価を見て付録はないですが30円としたそうです。
ドラマでは「オバケのQ太郎」の誕生秘話を。お休みの日にサンデー編集部
を開放していたとき、ある小学生がお化けの漫画を描いて「冬にお化けが
出るところが面白い。」ということでお化けの漫画の企画が立ち上がりました。
このアイデアを出した小学生、本人も漫画家に。小山田つとむ先生でした。
またナゼ“Q”なのかは、藤子先生が本を開いたときに目に飛び込んできた
“Q”の文字。天から電波が届いた瞬間ですね。これでいきましょうという。
でも、連載開始から読者アンケートでは最下位。ダメなのか…、と9週目で
終了したら、多くの「やめないで」ファンレター。復活を遂げたそうです。
やはりオバケですから?
ギャグのサンデーに対してマガジンの方は劇画路線。オリンピックの感動。
試練を乗り越えた人の物語を漫画にできないか?と考えて出来た作品が
「巨人の星」。 ドラマでは川崎のぼる先生が巨人の星を描くにあたって、
最初は自分の生い立ちの悲しいお話で「野球を知らないので描くことはでき
ない。」に編集担当役の成宮寛貴くんが「わからない部分は僕が調べます。
原作者、漫画家、編集者がお互いマッチ箱ような関係でいきましょう。」の
一言(だったと思います。)にホロリ。
途中、ウトウト寝ていたので抜けておりますが、赤塚富士夫先生の
「天才バカボン」がマガジンからサンデーへ移ったなんて気づいてないのは、
たぶん、友達の家に行って両方読んでいたからだと思います。
あと、高橋留美子先生の「うる星やつら」が出てきてましたね。懐かしかった
だっちゃ。そういえば初め“星”を“ほし”って読んでたのを思い出しました。
覚えているのはここまでデス。
「好敵手」と書いて「ライバル」。お互いを意識しつつ競い合って成長する
いい関係。人生にひとり必要なのかもしれませんね。
実話を基にドラマも入れて振り返る50年。生まれる前からあったんですね。
少年サンデーとマガジンは。
きのうの夜、お風呂に入ったあとにNHKの“ザ・ライバル「少年サンデー・
少年マガジン物語」”が放送されていたので、少し寝ながら見ていました。
だからうる覚えデス。許してね~。
発刊は両方とも1959年3月17日。ほんとうはサンデーが5月5日に発刊
する予定だったのですが、お互いに一歩でも早く出すために奔走します。
手塚治虫先生や藤子不二雄先生の人気漫画家の囲い込み。まさに、
「時間との勝負」。藤子先生への依頼が2日違いでサンデーへ。実は藤子
先生は講談社の原稿落して2年出入り禁止なってたなんて知らなかった。
印刷についてはお互いに様子見。安くすればそれだけ売れる10円の攻防。
当時は“ふろく”が付く売れるということでマガジンは付録付きで40円。
サンデーはマガジンの定価を見て付録はないですが30円としたそうです。
ドラマでは「オバケのQ太郎」の誕生秘話を。お休みの日にサンデー編集部
を開放していたとき、ある小学生がお化けの漫画を描いて「冬にお化けが
出るところが面白い。」ということでお化けの漫画の企画が立ち上がりました。
このアイデアを出した小学生、本人も漫画家に。小山田つとむ先生でした。
またナゼ“Q”なのかは、藤子先生が本を開いたときに目に飛び込んできた
“Q”の文字。天から電波が届いた瞬間ですね。これでいきましょうという。
でも、連載開始から読者アンケートでは最下位。ダメなのか…、と9週目で
終了したら、多くの「やめないで」ファンレター。復活を遂げたそうです。
やはりオバケですから?
ギャグのサンデーに対してマガジンの方は劇画路線。オリンピックの感動。
試練を乗り越えた人の物語を漫画にできないか?と考えて出来た作品が
「巨人の星」。 ドラマでは川崎のぼる先生が巨人の星を描くにあたって、
最初は自分の生い立ちの悲しいお話で「野球を知らないので描くことはでき
ない。」に編集担当役の成宮寛貴くんが「わからない部分は僕が調べます。
原作者、漫画家、編集者がお互いマッチ箱ような関係でいきましょう。」の
一言(だったと思います。)にホロリ。
途中、ウトウト寝ていたので抜けておりますが、赤塚富士夫先生の
「天才バカボン」がマガジンからサンデーへ移ったなんて気づいてないのは、
たぶん、友達の家に行って両方読んでいたからだと思います。
あと、高橋留美子先生の「うる星やつら」が出てきてましたね。懐かしかった
だっちゃ。そういえば初め“星”を“ほし”って読んでたのを思い出しました。
覚えているのはここまでデス。
「好敵手」と書いて「ライバル」。お互いを意識しつつ競い合って成長する
いい関係。人生にひとり必要なのかもしれませんね。