しいたけの伊豆高原情報と放浪旅

伊豆をバイクで10年、伊豆に住んで27年目に突入!(古い記事は過去になってるので注意です)

鳥居峠から上田までは直ぐですが、それから丸子に向かうのです

2022年11月21日 | バイク&キャンカー&鉄道&船旅

・           【鳥居峠の茶店は店構えは小さいですが】

売っている品物はお店に盛りだくさんです、椅子や座敷がしつらえてある小屋もあって、相当数のお客さんが来ても十分に耐えられます

(鳥居峠は先の台風で洪水が発生した分水嶺になってまして、群馬県側は復旧工事が進められておりました、長野県側は千曲川となって

 新幹線も水に浸かる大改修工事でした)

・      【だんごや五平餅、くるみおはぎなどが並んでました】

ママは野菜そばを頂きくるみおはぎをお土産に包んでもらいました、クルミは丸子でも地元の食材だから歓迎されないと思うよですが聞き入れられません

・      【信州名物のおやきや大福などもありました】

手造り地元感満載の感じで並べられてました、長い峠道を下って来たので体は震えていました、野菜天ぷらそばで少し暖かくなりました

(丸子でも向かう途中の右折を見過ごし、何回か伺ったはずの道も忘れております)

やっと結婚保証人であるママの学生時代の同級生とお会いできて思い出話が尽きないのでした、あなたのお陰で我々も

50年の長きに亘り夫婦を続けておりますと感謝です、今夜は上田のビジネスホテル泊ですが、日没となって、ここでも道を間違えて

案内が分からなくなりました、宿の直ぐ前で引き返したりと珍道中は続くのでした、翌日は軽井沢・碓氷峠で帰るつもりです

・      【丸子では話が長くなって上田に戻るのに日もくれました】

互いに年取りましたが気ごろ知れてますので話し出すと長いのです、そのうち100歳を迎えたお父さんもデイケアから戻ってきてさらに話し込みます

お父さんとは昔僕の父が脳血栓のリハビリ治療で鹿教湯温泉に入院していた時車をお借りしました、従って思い出話で盛り上がりました

暗くなってから上田に戻ったので宿が分かりません、何しろ地図持たない道路標識のみ男ですから、道路標識に宿名なんかありません

宿から離れたり、目の前に行っても分かりません、日もとっぷり暮れた頃にやっと判明でした

(僕が国道18号線と信じていた道路が18号線はY字路で分かれていてそれを基準に電話したので大混乱でした)

今回も後ろのママからなじられ放しです、人が間違ったとはいえ真剣に探しているのになじる事は精神衛生上良くないと思います

間違えに気がついたならば、常に回り道でもホームポジションに戻るのを原則にしております

日本は言論の自由があるから何言っても良いのだけれど、今回のミサイル追撃ミス事件ではどうやらウクライナ側の迎撃ミサイルのようです

真実が明らかになればウクライナの大統領も謝罪するでしょう、ロシアの不当な侵略戦争で犠牲になった多くの民間人や領土を侵されれ

社会インフラを攻撃された人の恨みは消すことはできないし、国を守る気概に燃えているウクライナの人々に対して日本の元総理は言わなくても良い事を発言しました

ロシアはこの事件を捕らえてウクライナの事をことさら悪く宣伝しています、侵略戦争をひき起こしたプーチンを擁護する発言は許せませんね

老獪な政治家だから一方を批判するのは国益の為にならないと考えたのでしょうか、ロシアの無差別非人道的なミサイル攻撃が原因なのです

G20の会議でも大半の国は今回の侵略戦争に反対しています、残虐な行為で国民を不安をあおっている国がまだ世界には沢山あって非人道的な事が行われています

ポーランド政府もロシアのミサイル攻撃でウライナ側の迎撃事故と言っておりますし、NATO側もロシアの無差別ミサイル攻撃こそ非難されるべきと言ってるのに

ロシアを庇ってしまい、ロシア迎合勢力を元気づける森元総理の発言は許せないです

(ロシアの無差別ミサイル攻撃や国土殲滅作戦でウクライナの民間人犠牲は10万人以上を言われてます)


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 僕達は中之条経由で上田市に... | トップ | 翌日は浅間山の噴火口を仰ぎ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

バイク&キャンカー&鉄道&船旅」カテゴリの最新記事