しいたけの伊豆高原情報と放浪旅

伊豆をバイクで10年、伊豆に住んで27年目に突入!(古い記事は過去になってるので注意です)

西伊豆:戸田の風景!

2011年11月09日 | バイク&キャンカー&鉄道&船旅
・         【伊豆高原から伊豆半島横断ですが距離感はありません】

海なら近くにありますのにわざわざ遠くに行く必要があるのでしょうか?どうせ釣ったって持ち帰る
容器だってありません、キャッチ&リースです

富戸港でもいいのですが、たまには違った海も見てみたい、西伊豆:戸田は昔と変わらない町です



伊豆高原から修善寺を抜けると絶景の富士山が望める「だるま山」峠に差し掛かります


・         【霞がたなびいいて富士山は見えません】

本日は晴れていますが、遠くの景色は霞んでまして絶景の富士山は想像するだけとなりました

(お札の裏に描かれた富士山はこの景色でした、五百円札だったかな?)

天気が良いせいか沢山のライダーさん達が終結していました、時間的これから無料になった
西伊豆スカイラインを抜けて土肥に抜けて行くのでしょうか、女性でもハーレーに乗って
颯爽と僕を抜いていきました




戸田峠から丸く弧を描いていて湾口が狭まる自然の良港が戸田です!


・           【今日の帰りは港を抜けて土肥まで行きます】

土肥からは船原峠のトンネル(無料)を抜けて、狩野川の反対側を通って修善寺まで行き
伊豆スカイライン冷川料金所の脇を抜けて、中伊豆道路(無料)経由で伊豆高原まで
帰ります

(伊豆の有料道路は真鶴新道、伊豆スカイライン、熱海ビーチライン、湯河原オレンジライン
 を除いて全て無料になりました)



盲目の「ごぜ」さんを祭っている「ごぜ観音」が戸田の町を見つめています


・         【観音像は古くから立っていました】

ひょっとしたら、この峠路ができる前からあったのではと思います

ごぜさんの歴史は悲しいね

「江戸時代から昭和の初めごろまで、三味線を手に有縁の村々を流し歩く目の不自由な
 女性たちの姿が全国のいたるところで見られました。瞽女と呼ばれる、芸を支えに生きた人々です
 現代のように福祉制度がままならず、医療も未発達であった時代、眼病を患った女性たちが
 自活する道は極めて限られていました。そんな彼女たちの多くが三味線と唄を習い覚え、米などの
 農産物と引き換えに身を削るような芸を披露していったのです。
 娯楽に乏しい時世にあって、瞽女の底抜けに明るく、ときに哀切の極みをゆく弾きうたいは、
 彼女たちを迎え入れる側である庶民にとっても一服の清涼剤でした」



この峠を越えれば戸田港へ入っていきます


・          【夜となればうっすら明かりが漏れてくるはずです】

この峠は風が強く急さかでもあって昔は難儀した場所だと思います

(達磨山から西伊豆スカイラインが走っていまして林道超えで松崎まで出られます)



自然に湾の形をしている戸田の海は静かでした!


・          【沼津からボート便も出ていますが町は落ち着いています】

うるさくない町なのですが、ばりばりマシンが突撃しています、沼津方面の暴走族だと思います
はやく散らかってもらいたいです、音は迷惑です
一団が去りますと静かな町に戻りました、拾ったチエアーを広げてつり竿を出しますと
風の煽りを受けて釣竿が埠頭から転落で情けないね、見かねて釣り人さんが「たも」を取り出して
すくってくれました。(ありがとさんです)

釣果のほうは竿を満月しならせたのが1回、魚が見えてくる刹那プツンと針が外れて
海底に沈んで行くのが見えました


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