・ 【僕には思い出のある学校でした】
確か伊豆高原のレストラン【be】のオーナーさんもここの出身で生徒会長をおやりになったと言っていました、僕より4歳若くいつもタオルを頭に巻いて
石窯の前でピザやステーキを真っ赤になって焼いています、前回旅で新篠津村職員となって新篠津村をアピールしてくれた青年も北中出身と言ってました
(すっかり校舎も改築されて古い校舎は無くなっていまして、まるで違った学校のようでした)
・ 【50年まえには原野の中の校舎でした】
完全に住宅街に取り込まれてしまいました、昔はグラウンドから地平線が見えていたような気がします、北見は北海道でも珍しく札幌圏外でも
発展している町のように見えました、沿岸の水産都市は200カイリ問題で魚が取れなくなって、内陸部の農村は機械化し生産性は毎年上がって
雨とお天道様があれば必ず収穫が期待できるのです
(熊の出没におびえながら開拓した先人の努力が実っています)
・ 【この先に建物などなかったのです】
今でも野球部や陸上部のトラック、サッカー部が使うグランドが一度に使える広いものでした
朝の温根湯、道の駅の風景です
・ 【夏休み前なのに全国からキャンパーが集合です】
老人の皆さんは基本的に暇なのです、仕事を上がった僕も暇でやる事ない時を過ごしています
・ 【キャンパー同士ここで情報を交換していきます】
僕はやることがあるので皆さんとは比較的関わらないほうです、残念ですがスマホが使えませんから情報の交換しようがないのです
(未だにガラ携の愛用者でPCとネットが使えればスマホ段階へ行く必要がないのです)
北見の駅は少ししか変わらないような気がします
・ 【昔は蒸気機関車が雪を蹴散らし疾走してきたのです】
僕は新聞配達少年でしたから吹雪の翌日は雪のせいで朝は毎日遅刻して登校していました、先生から注意ををうけましたが、
先生が朝読んでる朝日新聞だれが届けてると思いますかと言い返したら何も言わずに許してくれました、当時の北見で朝日新聞を読む人はまれでした、
雪で列車が遅れると北見駅のホームで新聞を振り分けて出発して最後に配達するのが学校でした、雪に埋まって小川にはまる事数度です、
朝が早いので除雪もしていません、冷たい水とは感じませんでしたが泣く思いをして学校から家に帰って再び学校に向かうのでした
(あまりに遅刻が多いので、その後読者の多い北海道新聞に代えてもらって除雪されている町中だけを配るようにしてもらって遅刻はなくなりました)
綺麗な駅ですが美幌の駅はさみしい駅でした
・ 【観光の中心はバスや自動車です】
美幌峠から抜ける屈斜路湖、硫黄山、摩周湖そして阿寒湖や釧路、知床は列車で行けるような所ではないのです
(観光バスで行くと点のように存在していますが、キャンカーで景色を眺めながらいくと、なだらかな丘陵の上に摩周岳があり、摩周湖があるのが分かります)
北海道らしい畑が続いています
・ 【広大なジャガイモ畑やトウモロコシが広がります】
残念ながら初夏ですから収穫の秋までもう暫くの我慢になります、とうもろこしも売っていますが今時期トウモロコシは背の高さが50センチにもなっていません
(当然身もなっていません、北海道産でなく本州産の温室物だと思います)
女満別空港が見えてきました
・ 【千歳のように発着便は多くありません】
地方のローカル空港そのものです、この飛行機もいつ飛び立つのでしょうか
空港の周りものんびりした風景でした
・ 【昔は釧路や帯広が霧で着陸不能が多かったのです】
従って霧の少ない空港として価値がありましたが、ハイテクレーダーの出現によって雲を突き破って着陸できるよになった今は利用価値が減っています
皆さん空港に車を置き放しで旅行や仕事につくのです
・ 【駐車料金もお安いのです】
千歳になるとこうはいきません、民間の業者の駐車場に依頼することになります
ここにもパーク場がありました、女満別の高台にあって網走湖や空港が見下ろせました
・ 【やっている間飛行機が来ないかと期待しました】
飛んできませんでした、パーク場は飛行場の東京側でなく網走側にあるので見落としたと思います
・ 【女満別の地区を大空地区というのです】
今はママを迎えに千歳にいますが、濃霧の中次から次へと飛行機が飛来しています、ますます女満別空港の価値は落ちているような気がします
・ 【駐車場に徳島ナンバーのキャンカーがありました】
ご夫婦で仲良くパークを楽しんでいました、このご夫婦は女満別の駅近くにアパートを借りて4か月住むそうです、昨年まではニセコで同様の生活です
町はこんな夏だけ移住民をあっせんしてアパートも紹介してくれるシステムが出来上がっているそうでした
(僕も夏だけならキャンカーを捨てて考えますが、ママは九州出身ですから反対するでしょう)
・ 【すみません伊豆から一人旅なんですが】
一緒に回ってくださいとお願いしました、毎日のパーク三昧で体力が多少ついてきました
・ 【徳島の人からパーク場情報を入手です】
東藻琴に綺麗なパーク場があって無料なんだよ、ぜひ行ってください、東藻琴なら芝桜公園のあるとこですから知っています
(この説明で言ってはみますが、結局見つかりません、コンビニまで戻って道を聞きました)
・ 【本来は5コースもある広いパーク場なのですが】
現在芝の養生のためA,Bコースしか使えません、広すぎるのも困ったものです
・ 【丘の斜面を利用して作られていました】
登りはきつく、下りは球がよく転がります、バンカーや小山が少なく広く眺めがよいだけで面白くないと贅沢を言わせていただきます
(日頃は狭い伊東のグランパル公園を使ってるくせにどんどん贅沢な欲求が出て参ります、僕の悪い癖です)
・ 【最近スコアが少し良くなって来たような気がします】
28-34-30-28の合計120で回れました、明日の東藻琴が楽しみになります
パークの後は温泉です、ここのホテルの日帰り温泉もつるつるで美肌の湯でした、男ですから美肌は関係ありません
・ 【ホテルの日帰り温泉を楽しみました】
ここの日本そばも美味しかったですが、おばちゃんの真心がにじみ出る接待もうれしかったです、きっとそばもあのおばちゃんが打ってると思いました
(北海道のそばは田舎そばばかりで美味しくないと言っていましたが更科系の美味しいお蕎麦もありました)
・ 【湖畔の綺麗なキャンプ場でした】
キャンプ場には居酒屋や歓楽街はないのです、ここも後ろ髪さされつつ退散です、健全なキャンプ場には残念ながら居所がないのです
・ 【女満別の代表的な畑の風景です】
ここの写真はTVコマーシャルにも使われました
・ 【網走湖呼人地区にあります夕日の家です】
かつてバイク時代にライダーハウスとして2度利用しました、オーナーさんは女満別でタクシー会社をやっていてリタイア後ここに別荘を作って民宿としていました
久しぶりです!元気なお母さんはいますかとお聞きしましたら、おばあは昨年亡くなったですと寂しい回答でした、じゃお父さんはと聞きますと
言いづらそうに苦しそうに一息ついて、おばあの死後すぐに後を追ったと悲しいお知らせでして、あとは娘さんが意志を次いでやっているそうです
じゃお父さんが作っていた五右衛門風呂はどうなったの?と聞くと五右衛門風呂の事を知っている人はもう25年も前の事ですと
改めて月日の経つのが早かった事を思い浮かべました
(僕はどんなに気にいったライダーハウスでも2度はいきません、この「夕日の家」だけが居心地がよく唯一2度行った所なのでした)
道の駅あばしりに入ってきました、網走ならば居酒屋はあるはずです
・ 【早速道の駅にキャンカーを止めて町へ行きました】
昼間の網走はシャッター街でした
通りを歩く人がいません、折からの参院議員選挙で人口減少を嘆く候補者のラジオ演説がありました
・ 【本当にここが中心地なのです】
広報を担当するおばさんが今はシャッター街になったけれど、ここが網走の中心ですと力説しておりました
このお店に入りました、ここの親父からもパーク場の隣が温泉の所がありますと言われました(緑町と言ってました)
・ 【明日の東藻琴は決まっているのでとやんわりお断りでした】
斜里方面に戻る事になりましたが結局は行くことになったのです、あそこの斜め前の居酒屋、のれんが出ているのに入店を断られたと申しましたら、
観光客がきてあれが食べたいこれが食べたいなと言うからできなくて断っているのだよ、一見様お断り常連だけの店と変なプライドがまかり通っています
(親父さんの作るつまみだけでお酒を2合もいただいて帰りましたが、僕を断るお店に少し頭にきてしまいました)
・ 【僕はこしらえているおつまみだけで飲むから大丈夫です】
こんど行くときは断らないでください
確か伊豆高原のレストラン【be】のオーナーさんもここの出身で生徒会長をおやりになったと言っていました、僕より4歳若くいつもタオルを頭に巻いて
石窯の前でピザやステーキを真っ赤になって焼いています、前回旅で新篠津村職員となって新篠津村をアピールしてくれた青年も北中出身と言ってました
(すっかり校舎も改築されて古い校舎は無くなっていまして、まるで違った学校のようでした)
・ 【50年まえには原野の中の校舎でした】
完全に住宅街に取り込まれてしまいました、昔はグラウンドから地平線が見えていたような気がします、北見は北海道でも珍しく札幌圏外でも
発展している町のように見えました、沿岸の水産都市は200カイリ問題で魚が取れなくなって、内陸部の農村は機械化し生産性は毎年上がって
雨とお天道様があれば必ず収穫が期待できるのです
(熊の出没におびえながら開拓した先人の努力が実っています)
・ 【この先に建物などなかったのです】
今でも野球部や陸上部のトラック、サッカー部が使うグランドが一度に使える広いものでした
朝の温根湯、道の駅の風景です
・ 【夏休み前なのに全国からキャンパーが集合です】
老人の皆さんは基本的に暇なのです、仕事を上がった僕も暇でやる事ない時を過ごしています
・ 【キャンパー同士ここで情報を交換していきます】
僕はやることがあるので皆さんとは比較的関わらないほうです、残念ですがスマホが使えませんから情報の交換しようがないのです
(未だにガラ携の愛用者でPCとネットが使えればスマホ段階へ行く必要がないのです)
北見の駅は少ししか変わらないような気がします
・ 【昔は蒸気機関車が雪を蹴散らし疾走してきたのです】
僕は新聞配達少年でしたから吹雪の翌日は雪のせいで朝は毎日遅刻して登校していました、先生から注意ををうけましたが、
先生が朝読んでる朝日新聞だれが届けてると思いますかと言い返したら何も言わずに許してくれました、当時の北見で朝日新聞を読む人はまれでした、
雪で列車が遅れると北見駅のホームで新聞を振り分けて出発して最後に配達するのが学校でした、雪に埋まって小川にはまる事数度です、
朝が早いので除雪もしていません、冷たい水とは感じませんでしたが泣く思いをして学校から家に帰って再び学校に向かうのでした
(あまりに遅刻が多いので、その後読者の多い北海道新聞に代えてもらって除雪されている町中だけを配るようにしてもらって遅刻はなくなりました)
綺麗な駅ですが美幌の駅はさみしい駅でした
・ 【観光の中心はバスや自動車です】
美幌峠から抜ける屈斜路湖、硫黄山、摩周湖そして阿寒湖や釧路、知床は列車で行けるような所ではないのです
(観光バスで行くと点のように存在していますが、キャンカーで景色を眺めながらいくと、なだらかな丘陵の上に摩周岳があり、摩周湖があるのが分かります)
北海道らしい畑が続いています
・ 【広大なジャガイモ畑やトウモロコシが広がります】
残念ながら初夏ですから収穫の秋までもう暫くの我慢になります、とうもろこしも売っていますが今時期トウモロコシは背の高さが50センチにもなっていません
(当然身もなっていません、北海道産でなく本州産の温室物だと思います)
女満別空港が見えてきました
・ 【千歳のように発着便は多くありません】
地方のローカル空港そのものです、この飛行機もいつ飛び立つのでしょうか
空港の周りものんびりした風景でした
・ 【昔は釧路や帯広が霧で着陸不能が多かったのです】
従って霧の少ない空港として価値がありましたが、ハイテクレーダーの出現によって雲を突き破って着陸できるよになった今は利用価値が減っています
皆さん空港に車を置き放しで旅行や仕事につくのです
・ 【駐車料金もお安いのです】
千歳になるとこうはいきません、民間の業者の駐車場に依頼することになります
ここにもパーク場がありました、女満別の高台にあって網走湖や空港が見下ろせました
・ 【やっている間飛行機が来ないかと期待しました】
飛んできませんでした、パーク場は飛行場の東京側でなく網走側にあるので見落としたと思います
・ 【女満別の地区を大空地区というのです】
今はママを迎えに千歳にいますが、濃霧の中次から次へと飛行機が飛来しています、ますます女満別空港の価値は落ちているような気がします
・ 【駐車場に徳島ナンバーのキャンカーがありました】
ご夫婦で仲良くパークを楽しんでいました、このご夫婦は女満別の駅近くにアパートを借りて4か月住むそうです、昨年まではニセコで同様の生活です
町はこんな夏だけ移住民をあっせんしてアパートも紹介してくれるシステムが出来上がっているそうでした
(僕も夏だけならキャンカーを捨てて考えますが、ママは九州出身ですから反対するでしょう)
・ 【すみません伊豆から一人旅なんですが】
一緒に回ってくださいとお願いしました、毎日のパーク三昧で体力が多少ついてきました
・ 【徳島の人からパーク場情報を入手です】
東藻琴に綺麗なパーク場があって無料なんだよ、ぜひ行ってください、東藻琴なら芝桜公園のあるとこですから知っています
(この説明で言ってはみますが、結局見つかりません、コンビニまで戻って道を聞きました)
・ 【本来は5コースもある広いパーク場なのですが】
現在芝の養生のためA,Bコースしか使えません、広すぎるのも困ったものです
・ 【丘の斜面を利用して作られていました】
登りはきつく、下りは球がよく転がります、バンカーや小山が少なく広く眺めがよいだけで面白くないと贅沢を言わせていただきます
(日頃は狭い伊東のグランパル公園を使ってるくせにどんどん贅沢な欲求が出て参ります、僕の悪い癖です)
・ 【最近スコアが少し良くなって来たような気がします】
28-34-30-28の合計120で回れました、明日の東藻琴が楽しみになります
パークの後は温泉です、ここのホテルの日帰り温泉もつるつるで美肌の湯でした、男ですから美肌は関係ありません
・ 【ホテルの日帰り温泉を楽しみました】
ここの日本そばも美味しかったですが、おばちゃんの真心がにじみ出る接待もうれしかったです、きっとそばもあのおばちゃんが打ってると思いました
(北海道のそばは田舎そばばかりで美味しくないと言っていましたが更科系の美味しいお蕎麦もありました)
・ 【湖畔の綺麗なキャンプ場でした】
キャンプ場には居酒屋や歓楽街はないのです、ここも後ろ髪さされつつ退散です、健全なキャンプ場には残念ながら居所がないのです
・ 【女満別の代表的な畑の風景です】
ここの写真はTVコマーシャルにも使われました
・ 【網走湖呼人地区にあります夕日の家です】
かつてバイク時代にライダーハウスとして2度利用しました、オーナーさんは女満別でタクシー会社をやっていてリタイア後ここに別荘を作って民宿としていました
久しぶりです!元気なお母さんはいますかとお聞きしましたら、おばあは昨年亡くなったですと寂しい回答でした、じゃお父さんはと聞きますと
言いづらそうに苦しそうに一息ついて、おばあの死後すぐに後を追ったと悲しいお知らせでして、あとは娘さんが意志を次いでやっているそうです
じゃお父さんが作っていた五右衛門風呂はどうなったの?と聞くと五右衛門風呂の事を知っている人はもう25年も前の事ですと
改めて月日の経つのが早かった事を思い浮かべました
(僕はどんなに気にいったライダーハウスでも2度はいきません、この「夕日の家」だけが居心地がよく唯一2度行った所なのでした)
道の駅あばしりに入ってきました、網走ならば居酒屋はあるはずです
・ 【早速道の駅にキャンカーを止めて町へ行きました】
昼間の網走はシャッター街でした
通りを歩く人がいません、折からの参院議員選挙で人口減少を嘆く候補者のラジオ演説がありました
・ 【本当にここが中心地なのです】
広報を担当するおばさんが今はシャッター街になったけれど、ここが網走の中心ですと力説しておりました
このお店に入りました、ここの親父からもパーク場の隣が温泉の所がありますと言われました(緑町と言ってました)
・ 【明日の東藻琴は決まっているのでとやんわりお断りでした】
斜里方面に戻る事になりましたが結局は行くことになったのです、あそこの斜め前の居酒屋、のれんが出ているのに入店を断られたと申しましたら、
観光客がきてあれが食べたいこれが食べたいなと言うからできなくて断っているのだよ、一見様お断り常連だけの店と変なプライドがまかり通っています
(親父さんの作るつまみだけでお酒を2合もいただいて帰りましたが、僕を断るお店に少し頭にきてしまいました)
・ 【僕はこしらえているおつまみだけで飲むから大丈夫です】
こんど行くときは断らないでください
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