・ 【このアイヌ記念館は有料なので入りませんでした】
資料的価値なら、その前に行った「アイヌの森資料館」に軍配を上げざるを得ません、「アイヌ記念館」というバス停が
あるのに「記念館」に気がつきません、近文駅の交番で道を聞いていたのに要領を得ないのです
なんとなく胡散臭そうな建物があるではないですか?無人で誰もいませんでしたので勝手にお邪魔致します
(入口で覗いていますとおばちゃんが出てきましたが、400円の料金払いたくないので入口から離れました)
バス停もあるのに、私的な「アイヌ記念館」でした、ホームページもありました
川村カ子ト アイヌ記念館
【川村カ子ト氏】
「明治末期から大正、昭和初期にかけ、旭川に、天才と呼ぶに相応しい 鉄道測量技手 がいました。
旭川は近文に生まれ育った、アイヌ人酋長でした。少年の時、旭川に現れた陸蒸気に感動したカ子ト少年は
鉄道とともに生きていく決心をしました。カ子トは、学校を卒業するや測量人夫を経て、すぐに測量技手となりました。
カ子トは、アイヌ人特有の身体能力、そして酋長であるがゆえの頭脳、リーダーシップにより、
宗谷本線、根室本線をはじめとする、北海道の鉄道敷設の測量の先頭に立ちました。
北海道に敷設された鉄道の測量の大半は、カ子トをリーダーとするチームにより成し遂げられたのです。
北海道の厳しい自然条件にも立ち向かいながら測量を行うだけの、肉体的、精神的、そして技術的素養を
持ちあわせていた川村カ子トの名は、当時の鉄道関係者ならば、必ずその名前を聞いた存在でした。
そして、このカ子トの評判を聞きつけた三信鉄道の関係者は、すぐに カ子トの下にとび三信鉄道の難所
佐久間~天竜峡 間 敷設の測量に招聘したほどです。三信鉄道とは、本ホームページ「街と鉄道」にとって・・・・・、
中間省略
川村カ子ト氏は、晩年、測量技手の命である目の障害を患い、測量技手の職をあきらめることになりました。
その後、彼はそれまでの貯金をはたき、アイヌ酋長として、アイヌ文化を後世に伝えるための、
川村カ子ト アイヌ記念館を設立しました。
カ子トは、鉄道の世界においてこれだけの偉業を成し遂げながら、彼の名前の認知度は不当に低い
という印象を拭うことができません。
それは、古くから日本国内に存在し、今でもいろいろな点でしこりとなっている、差別・偏見の問題を避けて
通ることができないのかもしれません。しかし、インターネット上で、その種の議論をすべきではない」
アイヌ人にも傑出した人物がいたのです、天竜川は良く渡ってますし、旭川出身といえどもこのHPを見るまでは知りませんでした
「アイヌ記念館」が有料で商業主義になり果てたと思ってしまいました、同じ有料なら太平洋岸の「白老」にあります
「アイヌ民族博物館」方に行きたかったねと今は思います、忘れていた「近文はアイヌの村」の記憶が少し蘇りました
個人で「アイヌ記念館」を運営するのは財政的にも難しいのです、やはり旭川市も共同して
近文:アイヌ文化を伝承して戴きたいと思いました!
茅葺屋根の家の中には祭壇が祭られておりました
・ 【川村さんはアイヌ伝統の酋長でもありました】
火がたかれていました、人の気配もありましたのに誰も出てきません、小屋に入るとミステリアスな雰囲気に浸れます
(思わず名古屋にあるという「横井正一記念館」にも行きたくなりました)
北海道の原生林でこんな生活がかつて行われていました!
小屋は茅葺で覆われていますが、真冬の旭川は当時マイナス40度を記録していました
・ 【そまつな暖房でも人間は生きて行けるのです】
現代人はなんと贅沢に出来ているのでしょうか、今回訪れた北海道のトイレはどんなに貧弱な宿でも全て洋式スタイルでした
(全国全てが一様になっていきますね、世界もフラット化が進んでいます)
炊事や調理、寝る所に子育てや教育などどうやっていたのでしょうか?
人間はしかるべき教育がないといくら優秀でも歴史を作れないのですね
(ノーベル賞を受賞した山中先生だって石器時代に生まれたら何も業績を残せなかったはずです)
===================================================================================
「アイヌ記念館」が有料で入館せず、外から見ると内容が貧弱だったために「アイヌの森、伝承のコタン、資料館」
での展示物です(百聞は一見にしかずです)
丸木舟は長い時間をかけて石器で中身をくり貫いたのでしょうね
アイヌ伝統衣装を縫い上げる繊維です
半纏のような装束が出来上がります
折り機も原始的ですが、横井さんもグアムで洋服を作りました
ママの「裂き織り」作品に匹敵しますね
台風騒動、雨と風が伊豆を襲いました、嵐が過ぎ去った伊豆からの帰り、「熱海ビーチライン」が通行止めで旧道に車が集中、
大渋滞、小回りが利くスクーターでも側道が狭くて、すり抜け走行が出来ません、途中でUターンして熱海峠に上って、
箱根新道経由で帰ってきました、「西湘バイパス」に入ると海側は波が高くて通行止めでした、台風襲来で人出や車も少なく、
道路はスムーズに流れまして、我が家にもこれといった実害はありませんでした
(ママは在来線が止まったので新幹線で小田原行きになった程度でした)
被害は無かったのですが、洪水や竜巻で被害に遭われた人達の事を思いますと簡単には喜べません、
異常気象といいます、秋の台風は毎年の事ですし海水温が高いと巷でいわれています、今年もあといくつ
台風がやって来るのかしら、季節の代わり目ですから、災害は忘れた頃やってくるのでなく、
忘れないうちやってきます、備えを万全にやっておきましょう!
資料的価値なら、その前に行った「アイヌの森資料館」に軍配を上げざるを得ません、「アイヌ記念館」というバス停が
あるのに「記念館」に気がつきません、近文駅の交番で道を聞いていたのに要領を得ないのです
なんとなく胡散臭そうな建物があるではないですか?無人で誰もいませんでしたので勝手にお邪魔致します
(入口で覗いていますとおばちゃんが出てきましたが、400円の料金払いたくないので入口から離れました)
バス停もあるのに、私的な「アイヌ記念館」でした、ホームページもありました
川村カ子ト アイヌ記念館
【川村カ子ト氏】
「明治末期から大正、昭和初期にかけ、旭川に、天才と呼ぶに相応しい 鉄道測量技手 がいました。
旭川は近文に生まれ育った、アイヌ人酋長でした。少年の時、旭川に現れた陸蒸気に感動したカ子ト少年は
鉄道とともに生きていく決心をしました。カ子トは、学校を卒業するや測量人夫を経て、すぐに測量技手となりました。
カ子トは、アイヌ人特有の身体能力、そして酋長であるがゆえの頭脳、リーダーシップにより、
宗谷本線、根室本線をはじめとする、北海道の鉄道敷設の測量の先頭に立ちました。
北海道に敷設された鉄道の測量の大半は、カ子トをリーダーとするチームにより成し遂げられたのです。
北海道の厳しい自然条件にも立ち向かいながら測量を行うだけの、肉体的、精神的、そして技術的素養を
持ちあわせていた川村カ子トの名は、当時の鉄道関係者ならば、必ずその名前を聞いた存在でした。
そして、このカ子トの評判を聞きつけた三信鉄道の関係者は、すぐに カ子トの下にとび三信鉄道の難所
佐久間~天竜峡 間 敷設の測量に招聘したほどです。三信鉄道とは、本ホームページ「街と鉄道」にとって・・・・・、
中間省略
川村カ子ト氏は、晩年、測量技手の命である目の障害を患い、測量技手の職をあきらめることになりました。
その後、彼はそれまでの貯金をはたき、アイヌ酋長として、アイヌ文化を後世に伝えるための、
川村カ子ト アイヌ記念館を設立しました。
カ子トは、鉄道の世界においてこれだけの偉業を成し遂げながら、彼の名前の認知度は不当に低い
という印象を拭うことができません。
それは、古くから日本国内に存在し、今でもいろいろな点でしこりとなっている、差別・偏見の問題を避けて
通ることができないのかもしれません。しかし、インターネット上で、その種の議論をすべきではない」
アイヌ人にも傑出した人物がいたのです、天竜川は良く渡ってますし、旭川出身といえどもこのHPを見るまでは知りませんでした
「アイヌ記念館」が有料で商業主義になり果てたと思ってしまいました、同じ有料なら太平洋岸の「白老」にあります
「アイヌ民族博物館」方に行きたかったねと今は思います、忘れていた「近文はアイヌの村」の記憶が少し蘇りました
個人で「アイヌ記念館」を運営するのは財政的にも難しいのです、やはり旭川市も共同して
近文:アイヌ文化を伝承して戴きたいと思いました!
茅葺屋根の家の中には祭壇が祭られておりました
・ 【川村さんはアイヌ伝統の酋長でもありました】
火がたかれていました、人の気配もありましたのに誰も出てきません、小屋に入るとミステリアスな雰囲気に浸れます
(思わず名古屋にあるという「横井正一記念館」にも行きたくなりました)
北海道の原生林でこんな生活がかつて行われていました!
小屋は茅葺で覆われていますが、真冬の旭川は当時マイナス40度を記録していました
・ 【そまつな暖房でも人間は生きて行けるのです】
現代人はなんと贅沢に出来ているのでしょうか、今回訪れた北海道のトイレはどんなに貧弱な宿でも全て洋式スタイルでした
(全国全てが一様になっていきますね、世界もフラット化が進んでいます)
炊事や調理、寝る所に子育てや教育などどうやっていたのでしょうか?
人間はしかるべき教育がないといくら優秀でも歴史を作れないのですね
(ノーベル賞を受賞した山中先生だって石器時代に生まれたら何も業績を残せなかったはずです)
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「アイヌ記念館」が有料で入館せず、外から見ると内容が貧弱だったために「アイヌの森、伝承のコタン、資料館」
での展示物です(百聞は一見にしかずです)
丸木舟は長い時間をかけて石器で中身をくり貫いたのでしょうね
アイヌ伝統衣装を縫い上げる繊維です
半纏のような装束が出来上がります
折り機も原始的ですが、横井さんもグアムで洋服を作りました
ママの「裂き織り」作品に匹敵しますね
台風騒動、雨と風が伊豆を襲いました、嵐が過ぎ去った伊豆からの帰り、「熱海ビーチライン」が通行止めで旧道に車が集中、
大渋滞、小回りが利くスクーターでも側道が狭くて、すり抜け走行が出来ません、途中でUターンして熱海峠に上って、
箱根新道経由で帰ってきました、「西湘バイパス」に入ると海側は波が高くて通行止めでした、台風襲来で人出や車も少なく、
道路はスムーズに流れまして、我が家にもこれといった実害はありませんでした
(ママは在来線が止まったので新幹線で小田原行きになった程度でした)
被害は無かったのですが、洪水や竜巻で被害に遭われた人達の事を思いますと簡単には喜べません、
異常気象といいます、秋の台風は毎年の事ですし海水温が高いと巷でいわれています、今年もあといくつ
台風がやって来るのかしら、季節の代わり目ですから、災害は忘れた頃やってくるのでなく、
忘れないうちやってきます、備えを万全にやっておきましょう!
これが本当の「冷えとり」の手引書 | |
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