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HIMEYURI(ひめゆり) - 彼女達の涙 -

2018年08月15日 | 戦争遺跡への旅

沖縄県糸満市にあるひめゆりの塔…。

私が沖縄を訪ねた真の理由は、ここにあります。

私の知らない時代、

人生を歩み始めたばかりの彼女達が、戦場の中でどのように過ごしたのか?

それを知りたかった。

ひめゆりの塔に花を捧げ、

ひめゆり平和祈念資料館を訪ねた。

そこで知りえた事は、私の想像を絶するものだった。

 

 

HIMEYURI

 

"今この瞬間…死ぬかも知れない。"

そんな状況の中、

家と家族と夢を奪われ、

人格までも奪われてしまう。

 

1945年3月23日の深夜、彼女達は学徒隊として、

負傷兵を看護する為に陸軍病院の外科壕へと、軍命により動員された。

だが、彼女達が動員された場所は、陸軍病院とは名ばかりの、昼間でも暗いガマ(洞窟)だった。

ごつごつとした岩の上に、簡易ベッドが設置されているお粗末な所だ。

ガマは、日が差し込む入口付近のみが薄明るく、少し奥へ入ると、真っ暗な闇の中だった。

そしてそこには、自分達の身を守ってくれるであろう赤十字の旗は無かった。

彼女達は、戦場の前線に立たされたのだ。

それから間も無く、1945年4月1日、米軍が沖縄に上陸した。

暗いガマの中、医療用品が不足し、不衛生な環境の中で彼女達は、

傷口から蛆虫が湧いている軍人の処置を行い、

酷い悪臭を放つ死体や排泄物、手術で切断された腕や足などの処理をもする。

自分で用を足せない軍人の陰部に触れ、排泄の介助を行う。

足や腕の切断手術を麻酔無しで受け、痛みで暴れる軍人を、彼女達が押さえつける。

お腹から内臓が出ている者。

顔面に銃弾を受けて顎が無い者。

手、足、指を奪われた者。

耳や目を奪われた者。

喉の渇きに耐えかねて、自らの尿を飲む者。

排泄物を垂れ流している者。

脳が炎症し、叫び暴れる者。

ベッドの上で手榴弾を抱え込み、爆破させて自殺する者。

隣では、瀕死状態の友人が苦しみもがく。

銃弾や砲弾が飛び交う中、命がけで水を汲みに行く。

膿や血の付いた手で、おにぎりを握り、それを食べる。

昼夜を問わず、彼女達は動き続けた。

米軍がガマに近づく。

大きな声は出せない。

大きな声で泣く事すら許されない。

静まり返ったガマの中、

まだ生きている者の肉や、死んだ者の肉を、蛆虫が蝕む。

グッグッ、グッグッと音を立てて蛆虫が肉を蝕む。

その音が、暗いガマに響く。

ガマの中に充満している血の匂いが、彼女達の心を蝕んでいく。

それでも彼女達は歯を食いしばり頑張った。

お国のために、兵隊さんのために…。

やがて日本軍から、彼女達たちは解散の命令を告げられる。

1945年6月18日の夜半の事である。

今後は自らの判断で行動しろと…。

米軍が激しく抗戦してくる中、自分の身は自分で守りなさいと…。

大日本帝国は、彼女達を、沖縄を見捨てたのだ。

 

彼女達は、米軍が目と鼻の先に迫った外科壕から離れることになる。

解散命令の直後…暗い中を歩かなければならない。

自力で壕を出られない歩行困難な負傷者には、自決用の青酸カリや手榴弾が配られる。

「お前たちの為に戦い傷ついたのに、これが人間のすることか!!」と、

青酸カリを手にした負傷兵から罵声を浴びせられる。

歩けない友人が「置いて行かないで!」と涙する。

光の入らないガマは、漆黒の闇である。

その闇の中へ、置き去りにされ「いざとなれば自決せよ!」と迫られているのだから、

その恐怖は言葉では表現出来ない。

ガマに残る者、去る者、人生でこれほど辛い別れはなかったろう。

ガマを去る者も、決死の覚悟だった。

銃弾や砲弾が飛び交う中、友人と手を握り合いながら逃げる。

やがて閃光が走り、気がつくと、友人の姿が見えなくなった。

ただ、その友人の手だけが、しっかりと握り締められたままだった。

夜道にはドラム缶のように膨れ上がった沢山の死体が、腐って悪臭を放ち、道を塞いでいた。

海岸へ出て夜の海に入り、米軍の目をごまかして逃げようとする者もいた。

海では多くの死体が浮いていて、思うように動けない。

ろくに食べれず、ろくに眠れず、衰弱しきった彼女達…。

波にさらわれる者もいた。

空ではたくさんの敵機が低空飛行で飛び交い、機銃で彼女達を狙い撃ちした。

 

命からがらガマに逃げ込んでも、民間人を受け入れない、軍人が支配しているガマもあり、

門前払いされる。

彼女達はその度に、別のガマを求めて危険な戦場を彷徨う。

ようやくガマに入れても、迫り来る敵の恐怖で心休まる時は全く無かった。

しーんとしたガマの中、幼い子供が声を上げて泣く。

軍人が、その子の首を絞めて黙らせる…。

親が、自分の子供の首を絞めて黙らせる。

彼女達の中には、逃げ場を失った者もいた。

逃げ場を失った者は、手榴弾や青酸カリを使ったり、崖から飛び降りて自決した。

心の底から、命を振り絞るように「お母さん!」と叫び、彼女達は逝った。

陸軍病院第三外科壕では、解散命令が出た翌日、壕から脱出する直前に、

米軍が壕にガス弾を投げ入れた。

第三外科壕は地獄と化す。

あちらこちらで「くるしいよ〜。」「おかあさん!!」「せんせい!!」という叫びが聞こえた。

呼吸が出来ない中、自らの尿で布を湿らせ、それを口と鼻に当てて、

ガス弾から逃れようとした者もいた。

壕には100名ほど居たが、80名余りがこのガス弾で亡くなった。

学徒隊では生徒45名のうち、このガス弾の中で生き残った生徒は7名。

ただ、そのうちの2名は、壕から脱出した後すぐに死亡。

1945年6月23日、沖縄戦が終結した。

その時点で、第三外科壕から生還出来た生徒は、僅か5名だった。

小雨がさとうきび畑を包み込む。

沖縄の海は赤く染まり、大地には黒い風が吹く。

雨の中、15歳から19歳の若き彼女達の涙が、泥まみれの頬を伝う。

やがて雨はあがり、涙を拭いながら、彼女達は空を見上げた。

1945年8月15日、日本は負けた。

 

 

ひめゆり学徒隊(沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校)

生徒222名が動員され、123名が戦死。

内107名が解散命令後に亡くなっている。

 

 

ー HIMEYURI 完 ー

                                                                                                    作:放浪うどん人tati

 


 

沖縄戦では、ひめゆり学徒隊以外にも、多くの学生が戦死されています。

 

白梅学徒隊(沖縄県立第二高等女学校)

4年生56名が動員され、内17名が戦死

 

瑞泉学徒隊(沖縄県立首里高等女学校)

4年生61名が動員され、内33名が戦死

 

梯梧学徒隊(昭和高等女学校)

4年生17名が動員され、内9名が戦死

 

積徳学徒隊(積徳高等女学校)

生徒56名が動員され、内3名が戦死

 

なごらん学徒隊(沖縄県立第三高等女学校)

4年生10名が動員され、内1名が戦死

 

師範鉄血勤王隊(沖縄師範学校男子部)

生徒386名が動員され、内226名が戦死

 

一中鉄血勤王隊・一中通信隊(沖縄県立第一中学校)

生徒約254名が動員され、内171名が戦死

 

二中鉄血勤王隊・二中通信隊(沖縄県立第二中学校)

生徒約140名が動員され、内115名が戦死

 

中鉄血勤王隊・三中通信隊(沖縄県立第三中学校)

生徒約344名が動員され、内42名が戦死

 

農林鉄血勤王隊(沖縄県立農林学校)

生徒130名が動員され、内23名が戦死

 

水産鉄血勤王隊・水産通信隊(沖縄県立水産学校)

生徒約48名が動員され、内31名が戦死

 

工業鉄血勤王隊・工業通信隊(沖縄県立工業学校)

生徒97名が動員され、内85名が戦死


商工鉄血勤王隊・商工通信隊(沖縄県立商工学校)

114名が戦死(動員された生徒数は不明)


開南鉄血勤王隊・開南通信隊(開南中学校)

186名が戦死(動員された生徒数は不明)

 


 

「HIMEYURI」は事実に基づいたフィクションです。

読者の皆様が、通勤、通学時に読んでもらえると良いなと思い、

このようなスタイルの記事にしました。

今回、この記事を作成するにあたり、参考にさせていただいた本があります。

「ひめゆり平和祈念資料館ガイドブック」です。

この本には、ひめゆり学徒隊の証言が多く掲載されています。

私はこの本に掲載されている、ひめゆり学徒隊の証言を参考にして、今回の記事を作成しました。

本当は、この本に掲載されている証言を原文のままで、当ブログに公開したかったのですが、

関係先に問い合わせたところ、著作権の問題もあり、

残念ながら許可を得ることが出来ず、断念しました。

今回の「HIMEYURI」を読んでいただいて、さらにひめゆり学徒隊の事を知りたいと、

そう思われた方は、是非、ひめゆり平和祈念資料館へ足を運んで頂くか、

ガイドブックを読んで頂ければと思います。

ガイドブックの中には、活き活きと学生生活を過ごす、

現在の若者と何ら変わりない、彼女達の写真も掲載されています。

 

沖縄戦による死亡者数 総計200,656人

沖縄県出身 122,228人(一般人94,000人、軍人軍属28,228人)

本土出身軍人 65,908人

米軍 12,520人

 

沖縄戦において、尊い命を捧げた戦没者の御霊に、謹んで哀悼の意を表するとともに、

ご遺族の方々には心よりお悔やみ申し上げます。

 

 


 

【旅の記録】

 

ひめゆりの塔へ向かう前に、

ひめゆりの塔から近い場所でひっそりと佇む「梯梧之塔」を訪ねました。





そしてひめゆりの塔へ。

↓↓「ひめゆりの石像」

石像横の説明文には以下のことが書かれていました。

「静岡県湖西町の瓦職人鈴木啓治氏寄贈の石像。

 想像でつくられたため、当時の学徒の姿とは異なっている。」

↓↓「女神の像」

「鳥取県倉吉市の医師伊藤博氏から寄贈」と説明があります。

現在は「女神の像」と呼ばれていますが、以前は「姫百合の女神像」と呼ばれていたそうです。

↓↓画面右側「沖縄戦殉職医療人之碑」、左側「陸軍病院第三外科職員之碑」

↓↓「ひめゆりの塔」

下の画面右側「ひめゆりの塔」と彫られている碑が、ひめゆりの塔です。

ひめゆりの塔の傍らに、沖縄陸軍病院第三外科壕跡があります。





↓↓「ひめゆり平和祈念資料館」

ひめゆりの塔から少し離れた場所にある、沖縄陸軍病院第一外科壕跡を訪ねました。

周囲はさとうきび畑です。

↓↓沖縄陸軍病院第一外科壕跡

上の画像から少し下った場所に外科壕入口があるのですが、

独特の空気が漂っていて、ひとりで下る勇気が出ませんでした。

それに、これだけ草が生い茂っていると、ハブが出る危険性もあります。

沖縄を訪ねる前、沖縄出身の知り合いから、

「草の生い茂った場所には絶対に近寄ってはだめですよ。ハブが潜んでますから」

と忠告を受けました。

第一外科壕跡を訪ねる時は、ひとりでは訪問せずに、複数人で訪ねることをおすすめします。

そして、くれぐれもハブにはご注意下さい。

最後に、文中のイラストで「旧海軍司令部壕」の画像を使っています。

それが↓↓こちらの2枚です。



「旧海軍司令部壕」については、後日、紹介させていただきます。

 


 

ひめゆり平和祈念資料館公式HP
http://www.himeyuri.or.jp/JP/top.html

 


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3 コメント

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Unknown (terucchiteruteru)
2021-05-31 23:46:26
はじめまして。記事読まさせていただきました。とても良かったです。自分もひめゆりの塔にいった時の事をブログで書きたいなと思ってるんですが、こちらのHIMEYURiの物語引用させてください。勿論こちらの記事のリンクも貼らさせていただきます。どうかお願いいたします。

https://note.com/teruteruteruchi/m/mfd1efac1cc18
Unknown (管理人tati)
2021-06-01 11:58:57
terucchiteruteruさんへ

はじめまして。
コメントありがとうございます。
ひめゆりの記事を読んで下さり大変嬉しく思います。
ひめゆり学徒隊の話は、多くの人に伝わると良いなと常々思っています。

terucchiteruteruさんのブログで、この記事を使っていただけるのは、大変有り難い事です。
どうぞ宜しくお願い致します。m(_ _)m
Unknown (terucchiteruteru)
2021-06-01 13:05:10
ありがとうございます!
記事の真ん中にバーンと載せさせて頂きます!

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