連日、国会では公文書の改ざん問題で騒がしい。役人に責任を押し付けて、「政治家は責任を取らない」と野党は言っているが、そもそも政治家がこの問題に関与せず、「役人が勝手にやったもの」であるならば、政治家は責任の取りようがない。何が本当かわからないうちに、どっちかに加担することは避けたいものだ。
公文書改ざんに「役人の関与」を疑うと、それは政治家への忖度になり、時の政権を「貶めるため」にやったのではないか、と聞くと役人を信用していないのかとなる。
また、当事者が話していないことを、「こんなことを言っていた」と言うだけで、真実のようにとられてしまう。
去年、総理が「もし関与があったなら議員も辞職する」という言質をとらえて野党は色めき立った。と思ったら、今度は「だから役人は忖度をしなければと思った」に変わった。
何を言ってもこのようにとらえられるのではかなわない。
一方、民主党時代にも公文書改ざんはあったが、政治家の辞任劇には至らなかった。
なぜ、改ざんをしたり削除したりしたのに、元の文書を残している意味は何なのか。
ビフォーアフターの文書を比較できるようにする意味は何だろう。
元の文書がなければ、今ある文書が元となるのに実に不思議だ。「頭がいい」と言われている官僚がしたこととは思えない杜撰さだ。
私は官僚の中に、日本国にとって「危険分子」が入っているのではないかと思っている。
日本を「貶める」目的を持った分子が混ざっているのではないか。
反社会勢力と「禁断の恋」をして、捜査情報を流した女性警察官もいることだから。