ゑびすや総本店

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らん

2005年10月11日 | 雑感
本日、早朝より名古屋出張と言うこともあり、久しぶりに実家神戸に前日戻ることに。
夕食を実家で食べた。両親と妹と私の4人。目的として、正月に着る着物の仕立てをした
かったこともある。大島の反物を今年はじめ買ったがまだ仕立てが出来ていなかったから。

まぁ、その目的も果たすには果たしたが、一番衝撃だったのはランである。

私が14歳の時に、我が家にやってきた柴犬で、皆で悩みまくった挙句名づけた名前が、ラン。
ものの本で調べたところ、なんとその当時の犬の名前ランキングトップを走っていた名称。
うちの家族って一体。平凡を絵に描いたような家族なんだろう。

うちの家族の共通の性格は、「外面が良い」につきる。

このランも素晴らしく踏襲していた。家族には愛想の欠片もないのだが、他人が家に来ると
狂ったように懐く。それはもう邪険にされている家族が見ても圧巻である。

私は東京に来て6年になるがたまに実家に帰るのだが、このラン、私を他人に間違えて、
すごく懐く。でも3秒で「わたし」だと気付いて、残念そうにリビングに戻る。憎たらしいが
憎めないラン。

そんなランと数ヶ月ぶりに会った。

びっくりするぐらい衰弱していた。そりゃあ、もう16歳で、人間で言うところの80歳を超
えている。どうも目と耳は満足に機能していないらしく、ふらふらしている。食事もままなら
ず、食事の入ったボウルに頭を突っ込んで、お袋に濡れた頭を拭いてもらっていた。

そして、夜中の3時前になると、今まで聞いた事の無いような声で鳴き始めた。悲しいとか寂
しいと言うより、感情の無い音に聞こえる。それだけに悲しみが倍増する泣き声で泣いていた。

今まで身近な「死」を言うものは色々経験したが、これほど実感を持って感じたことは正直
無かったので、翌朝ランを見るなり泣きそうになった。同時に毎日過ごしてる実家の家族に尊
敬の念と感謝を覚えた。

そう言えば16年前、犬を飼いたいと言った母と妹に対し、父は反対し続けた。理由は、
可愛いのは分かっているが、経験として、それ故に別れがそれ以上に悲しいことも知ってる、と。
その当時、その悲しみは父以外知らなかった。今は母も妹も分かっているようだ。そりゃそうだ、
たまに帰ってきた私がここまで感じているのだから。

そんな中、いつもの良い顔をしたランを写真に撮ってみた。痩せたなぁ、ほんとに。