ゑびすや総本店

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天使探知機

2005年10月03日 | コラム
日曜日に横浜トリエンナーレに行って来た。全体的な感想は別途書くとして、そ
の中で非常に興味を引かれた作品があった。

「天使探知機」

完全なる無音状態になると光ると言うもの。では、なぜそれが天使探知機なのか?
この作品の作者はフランス人で、フランスに昔からある一つの言い回しに由来して
いる。

それは、「天使が通った」という言葉で、会話が途絶え、沈黙が続いたときに使う
フランス語の日常的な言い回しである。天使は神の使いであり、何をお告げになる
のだろうと沈黙する。そんな素敵な言い回しから、この作品名が名づけられている。

沈黙と言うものに関し改めて考えたくなった。

私が人とのコミュニケーションに関し、意識的に取り組み始めたのは丁度二十歳
くらいだったと思う。中学高校と男子校で過ごし、大学に上がったものの中々に
初対面の人、特に女性と話すのは苦手だった。突き詰めると沈黙が苦痛だった。

そこで、お互いの共通項を増やそうと様々なジャンルの情報を身につけ、大体の
人とは会話が保てるようになった。そして会話を楽しめるようになった。そして
その先にある人を楽しめるようになり、その関係を楽しめるようになった。

アルバイトも積極的に人間関係に依存する職種を選び、Cafe、Restrant、Barと
都合5年間に渡って従事してきた。そんな中、大学最後の1年間をあるBARにて過ご
した。BARではお一人で来客されるお客様が結構いる。お客様を退屈させないよう
に話を続けるのは大変だ。盛り上がった時の充実感もあるが、一方上手くいかなか
った時の失望も大きい。基本は話すこと。互いが向き合っている時の沈黙は悪でし
かない。そんな時、題名は忘れてしまったがあるフランス映画を見る機会が合った。
その1シーンに感心させられた。

それは、「沈黙」の使い方である。それまでは「悪」でしかなかった沈黙を、その
映画のワンシーンでは上手く利用して女性を口説いていた。余白が「白」であるよ
うに、沈黙も「音」なのだと理解した。「沈黙が苦痛」からスタートした私にとっ
て、非常に心に刺さる出来事だったのだ。

そう言う観点から考えると、沈黙を上手く使える日本人は少ないなぁ、と感じる。
そして沈黙を上手く使える男になりたいと憧れる。その為、まず数年前から意識的
に取り組んでいることは、以前のように中心になって機関銃のように話すのを減ら
した。周囲から見ると変わってないかもしれないが、私の中では変わったのだ。そ
のように振舞っていたのは沈黙が極度に怖いからだが、中心にいると気付いたら自
爆して沈黙、と言う傾向が多々ある。

基本的に機関銃係りがいれば、スタンスとして聞き手に回る事にしている。

まずは上手く拾って相手に繋がるよう、心がけている。しかしながらその行為自体
も沈黙への恐れからのものかもしれないが、視野を広く持って全体を捉えていれば、
その中で発生した沈黙が沈黙として冷静に認識できる。すると、今まで悪であった
ものが、ちょっと別のものに見えてくる。無色ではなく白色として認識できる。認
識できればそれを利用できる状態にやっとなる。白色ではなく黄色に見えるかもし
れない。

まだまだ道半ばだが、じっくりと身に付けて行きたい技術だ。

しかしそれをさらっとやってのけるフランス人や西洋の方々、すごいなぁと感じる。
自然と身についている技術なのだろうけど、素直に羨ましい。

因みに、営業をしてるとアドバイスとして良く言われることがある。厳しい交渉現
場では、沈黙することだと。沈黙に絶えかねて声を発した方が得てして譲歩する事
になる。沈黙は金なり。沈黙の使い方も様々である。