桟橋に停泊しているフェリーボート。
島と広島市(本土)を結ぶ海路はいくつかあるが、ここ切串の町からは。二つの桟橋がある。
広島市に向かう航路と呉市天王を結ぶ航路だ。
島を南下し、倉橋島とつながっている早瀬大橋を通り、音戸大橋を渡り、呉市を経て自動車道をひた走り広島市へと向かうには、1時間半はかかるだろう。
この切串桟橋からフェリーで渡れば、およそ30分で広島市内に着く。
フェリーボートを見ると、ああ、島へ帰ったなとしみじみ思う。
同じ陸続きであるが、生まれ育った能美島とはまた違った島の風景を毎日楽しんでいる。
遠く見えるのは、古鷹山。切串港から海伝いに走ると、江田島青年の家や海上自衛隊第一術科学校がある。
空き家情報からご縁があって、この新天地に住むことになった。
1か月余りかかって、新居を片づけ、何とか日々落ち着いて暮らせるようになった。
中古住宅とはいえ、リフォームして新しくなった床を歩き、照明や電気設備の整った台所で食事を作り、洗濯し、テレビを見ながら居間でくつろぐ・・・この新しい生活は快適で気に入っている。
当たり前のようなこの生活を手にするために、夫と二人よく頑張ってきたなと思う。
知り合いも少しずつでき、雑草はびこる荒れ地を開墾しながら、どこに活路を見出そうかと日々夫と二人つぶやきあう毎日だ。
福島での生活がとても貴重な体験となっている。
福島県白河市の田園地帯に空き家を借り、畑を開拓し、古い蔵を利用したカフェを開いたことも今では宝物のような思い出である。
家の裏にブルーシートで覆われ、あちこち雑草が生い茂っていた土地を借りることにした。
持ち主は、もう親もいないため都会で暮らし残された土地は荒れ放題。
夜中にイノシシが餌をあさりに来るようなところである。
夫といっしょにシートをはがし、草を刈り、ごみを拾った。
耕運機で耕すと立派な畑に早変わり。
通りがかる人が、にこにこと声をかけてくれる。
「大変ですね。」
「きれいになったね。」
「何を植えるんですか?」
町の人々は、新しく越してきた者たちが何をするのだろうと、興味津々だ。
畑ができてよかった。
花を植えよう。
通りがかりの人が喜んでくれるだろう。
でも、少しは野菜を植えたい。
イノシシの来ない作物はないだろうか?
金網の囲いがないと、作物は作れないだろうな。
一歩ずつやりたいことが見つかり、形となっていくのが楽しみである。
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