昼頃に、いつもの図書館に行き、またもや本を借りようと行って来る。まあ、いつもの戸棚に本を探すが、ペラペラ本を捲って、とある二冊の本これを借りることにし、図書館を出る。本のタイトルは、
:平城京を歩く(森郁夫、甲斐弓子)
:京都の闇(関裕二)
歴史的に、順を言えば上に書くように平城時代と平安時代と続くわけで、僕は今日はこの二時代に続く歴史の図書を読もうと考えた。家に帰り、早速本を読もうと一冊目(平城京を歩く)これを開けて見ると、、
まあ読んで30分も経たないところでの感想であるが、まあシビアに言えば僕がこの一冊を選んだわけは、歴史の一冊平城京時代の事柄を読んで学ぼうと選んだわけで、その図書の扉(表紙)は読んでみようと頷けるわけである。それでいて、さあ中身を読んでみようとページを捲り、読んでみるとこれが大そう面白くなく物足りない。僕は、これでこの手の本が取った時に読んでみたい!と、思わせる看板(表紙)は幾らか出来栄えてはいるが、肝心中身についてはその面白さに触れる実がない!と、こう感じるわけである。よく僕が最近のものにいう’看板だけ掲げて中身はない(すっからかん!)’の類いの図書、これであると認識できるわけだ!要は、この本の著者森郁夫君(大学教授)と甲斐弓子君(大学研究員、講師)のその人生における経歴を表すように、二人は大学院の教授等に身分を置き、その看板だけは携えたが、肝心中身についてはすっからかん!と言う事は、一応自らの職みたいなものは持ったがそれ以外の研究には、一切捗ったことの無い、まだまだこれから~ズの所員となる一文生とこう分かる。つまり、看板(職)は持ったが、中身は詰まらんと言うこの辺のものが共通に持つ一自分の人生を表した一図書の中身に僕は、またもや触れただけ!と、こう言うことが出来るだろう!(成る程と頷けるか!!)
まあ一筆書くとすると、この本の28ページに見出しとして’官人の勤務先’とあり、多少笑うのである。官人とは何か?と言えば、天皇の下のもと、働く身分のもののことである。ここで書いてあるのは、二官八省の言う通り、まあ多少名を出すのはダサい感じもするが藤原不比等らが推し進めたと言う律令制(中間身分の発想)と言う仕組みを押し進める為、宮中に置いた役で、二官八省とあるそうだ!(例えば、二官は神祇官、太政官とか)
何をか言わんちゃ!多少、この頃の者でさえ、苦労する一国の存在としてその通り、天皇と言うお方がいらっしゃるわけだ!僕は、ここ最近このブログで指摘している事項で、
:天皇って何?
と言う一案件がある。日本には、天皇と言うものがおり、万民その天皇の名のもとに統治されるわけだが、この時代に限らず、その天皇と言うものの意味はよく分からず(その存在を)許しているところがある。700年頃の平城の地のものも、これと一緒で当時はいた天皇と言うものが良くわからない。従って、そのもとで働こう!とする僕が言う官人と言う身分のものも、何だか大そうなお人のもとで働き、使える事になった!と言うそれくらいの認識が精一杯のはずで、殆ど(と言うか全体)のものは、勘違いで生きているのである。(このことは今でも通じ、自らの官人と言う身分が大そうお偉いものとしてあり、その身分に身を置くものは大衆となる人民より優れている!と、錯覚するものだ!)
よくある古代史の読み手の本で、この時代を藤原不比等が主だった役者と書くものが多いが、その藤原不比等はと言うとどのような人物だったかと言うと、まあ大和朝廷以降の日本の歴史で、天皇(仁徳以降だ!)が表に出て日本で長老としてその座に付くと、出て来る何だか大そうなお人のもとで職にあり付こうとするこの手の一番者が、この700年頃に現れる藤原不比等と言う人物、これだと思うのである。つまり、何だか?と言うと、この時代に限らないが、日本と言うお国は、代表藤原不比等の存在が示すように、天皇と言う存在があってそれを取り巻いた人の往来図、これが描かれているのであり、いやはや、人民としては自分の精一杯の様子を見せて悪戦苦闘する図が、この藤原不比等の存在にあるようなそう言うものなのである。要は、日本人と言うのはここで言う藤原不比等と言うものが見る見方が精一杯!となる国家であり、僕から言わせると、まだまだペー子ちゃんである藤原氏の頭不比等が何を言ってもアホがられるお国と言うのが、この日本と言うお国である!と、こう評せるのである・・・。(中間身分の頭の中!)
平城時代も、この図式(平たい頭の中)からは脱せず、今と言う時代(礼和となったが)と同様、大きく日本とは何だろう?みたいな問いから脱せないものが多数を占めるまだまだこれから~ズで占められる国家、これであると僕はそう強く言うのである。
やはり、なかなかの皆の衆のものの厄介なその問いとなるだろう先手を打っているものは見るかもしれない天皇って?と言う問い、これが憚(はばか)られる。上のものの見方にすれば’中間君の発想!’と揶揄され、相手にされないこの手のものには、まだまだ日本はもとより天皇って何?から一切脱することの出来ない、いやはや歴史一つを理解する為、まずは己の存在についてよく知る!と言う一点、これを言い渡すわけである。
いやはや、縄文と言う時代があり、その直後に弥生と言う時代があった!それから、大王が君臨するヤマトの時代があるとされる日本の歴史の正確な理解は、まだこれから!
歴史と言えど、己がよく遊ばんと分からんよ!とし、ここでこの記事を閉じておこう!!
:平城京を歩く(森郁夫、甲斐弓子)
:京都の闇(関裕二)
歴史的に、順を言えば上に書くように平城時代と平安時代と続くわけで、僕は今日はこの二時代に続く歴史の図書を読もうと考えた。家に帰り、早速本を読もうと一冊目(平城京を歩く)これを開けて見ると、、
まあ読んで30分も経たないところでの感想であるが、まあシビアに言えば僕がこの一冊を選んだわけは、歴史の一冊平城京時代の事柄を読んで学ぼうと選んだわけで、その図書の扉(表紙)は読んでみようと頷けるわけである。それでいて、さあ中身を読んでみようとページを捲り、読んでみるとこれが大そう面白くなく物足りない。僕は、これでこの手の本が取った時に読んでみたい!と、思わせる看板(表紙)は幾らか出来栄えてはいるが、肝心中身についてはその面白さに触れる実がない!と、こう感じるわけである。よく僕が最近のものにいう’看板だけ掲げて中身はない(すっからかん!)’の類いの図書、これであると認識できるわけだ!要は、この本の著者森郁夫君(大学教授)と甲斐弓子君(大学研究員、講師)のその人生における経歴を表すように、二人は大学院の教授等に身分を置き、その看板だけは携えたが、肝心中身についてはすっからかん!と言う事は、一応自らの職みたいなものは持ったがそれ以外の研究には、一切捗ったことの無い、まだまだこれから~ズの所員となる一文生とこう分かる。つまり、看板(職)は持ったが、中身は詰まらんと言うこの辺のものが共通に持つ一自分の人生を表した一図書の中身に僕は、またもや触れただけ!と、こう言うことが出来るだろう!(成る程と頷けるか!!)
まあ一筆書くとすると、この本の28ページに見出しとして’官人の勤務先’とあり、多少笑うのである。官人とは何か?と言えば、天皇の下のもと、働く身分のもののことである。ここで書いてあるのは、二官八省の言う通り、まあ多少名を出すのはダサい感じもするが藤原不比等らが推し進めたと言う律令制(中間身分の発想)と言う仕組みを押し進める為、宮中に置いた役で、二官八省とあるそうだ!(例えば、二官は神祇官、太政官とか)
何をか言わんちゃ!多少、この頃の者でさえ、苦労する一国の存在としてその通り、天皇と言うお方がいらっしゃるわけだ!僕は、ここ最近このブログで指摘している事項で、
:天皇って何?
と言う一案件がある。日本には、天皇と言うものがおり、万民その天皇の名のもとに統治されるわけだが、この時代に限らず、その天皇と言うものの意味はよく分からず(その存在を)許しているところがある。700年頃の平城の地のものも、これと一緒で当時はいた天皇と言うものが良くわからない。従って、そのもとで働こう!とする僕が言う官人と言う身分のものも、何だか大そうなお人のもとで働き、使える事になった!と言うそれくらいの認識が精一杯のはずで、殆ど(と言うか全体)のものは、勘違いで生きているのである。(このことは今でも通じ、自らの官人と言う身分が大そうお偉いものとしてあり、その身分に身を置くものは大衆となる人民より優れている!と、錯覚するものだ!)
よくある古代史の読み手の本で、この時代を藤原不比等が主だった役者と書くものが多いが、その藤原不比等はと言うとどのような人物だったかと言うと、まあ大和朝廷以降の日本の歴史で、天皇(仁徳以降だ!)が表に出て日本で長老としてその座に付くと、出て来る何だか大そうなお人のもとで職にあり付こうとするこの手の一番者が、この700年頃に現れる藤原不比等と言う人物、これだと思うのである。つまり、何だか?と言うと、この時代に限らないが、日本と言うお国は、代表藤原不比等の存在が示すように、天皇と言う存在があってそれを取り巻いた人の往来図、これが描かれているのであり、いやはや、人民としては自分の精一杯の様子を見せて悪戦苦闘する図が、この藤原不比等の存在にあるようなそう言うものなのである。要は、日本人と言うのはここで言う藤原不比等と言うものが見る見方が精一杯!となる国家であり、僕から言わせると、まだまだペー子ちゃんである藤原氏の頭不比等が何を言ってもアホがられるお国と言うのが、この日本と言うお国である!と、こう評せるのである・・・。(中間身分の頭の中!)
平城時代も、この図式(平たい頭の中)からは脱せず、今と言う時代(礼和となったが)と同様、大きく日本とは何だろう?みたいな問いから脱せないものが多数を占めるまだまだこれから~ズで占められる国家、これであると僕はそう強く言うのである。
やはり、なかなかの皆の衆のものの厄介なその問いとなるだろう先手を打っているものは見るかもしれない天皇って?と言う問い、これが憚(はばか)られる。上のものの見方にすれば’中間君の発想!’と揶揄され、相手にされないこの手のものには、まだまだ日本はもとより天皇って何?から一切脱することの出来ない、いやはや歴史一つを理解する為、まずは己の存在についてよく知る!と言う一点、これを言い渡すわけである。
いやはや、縄文と言う時代があり、その直後に弥生と言う時代があった!それから、大王が君臨するヤマトの時代があるとされる日本の歴史の正確な理解は、まだこれから!
歴史と言えど、己がよく遊ばんと分からんよ!とし、ここでこの記事を閉じておこう!!
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