goo blog サービス終了のお知らせ 

禁制!)北花園さな競馬ブログ

競馬日記です!!難易度高いかも知れません!

もう一つ、小話し!!

2019-06-14 17:55:33 | 歴史
700年頃、天皇家がありそれに纏うまあ要は一般民で、藤原氏と言うのが最初出で天皇家に近づくのである。不比等が直接言っているかどうかは僕的にもう一度確かめてみるしかないが、不比等君らの発想で、’律令制’と言うものを取り入れようとするわけである。
元来、僕は日本の縄文たるやその内実をよく理解しているわけではないが、そもそもまあ常識的に始め縄文と言うのがあり、人々は単人暮らしをするわけである。歴史用語で、狩猟・採集とあるように人々はそのように暮らしていくわけだが、基本この狩猟・採集と言う’生活’が示すよう、人々と言うのはそもそもこう言った存在なのである。これが、弥生時代の幕開けとともに、とある国家の元首とも言うべき卑弥呼女帝の現れによって、
:卑弥呼を頂点とする日本(当時邪馬台国)国家!
と言うものが出来上がると言う現実が、あるわけだ!

実は、これが物事の出発点!(覚えるしかない!)

それで、日本の行く末はその女帝卑弥呼の君臨によって幕開けし、日本(倭あるいは邪馬台国)と言う国が国としてスタートするわけだ!

この卑弥呼が牛耳った時代がある。その後、覇権をヤマトのものに移し、日本は今度は大和朝廷時代へと、その時代を移り変わらせるが、(この辺難しい。多少、教えて貰うに限る)この歴史的(当たり前の)順番、

1、卑弥呼時代(邪馬台国時代)
2、大和朝廷時代(現天皇家)

と言う時代(の幕開け)は、かなり一般のものには理解がし辛い案件であるようだ。
日本は、この2案件が示したように、ニ時代を通過していくが実は、この二時代とは違った考え方(僕が中間君と揶揄する)が出現していくのがここで取り上げている700年頃の律令制を押し進めると言う平城時代だ!卑弥呼がいて、ヤマト王がいて始まることになるそれ以降にあった律令制は、無論その初めの卑弥呼とヤマト王をしっかりと理解した上で出て来た代物ではない。天皇と言うのがあるようになり(仁徳だ!)、その天皇の名の下動いていくことになった人民たちが、その先手を切って日本を動かそうと天皇の名のもとに行動し始めたのが、藤原氏から始まるか日本を律令国家(決まりことを設ける)としようと、企み始めた時代これなのである。
僕が借りて来た’平城京を歩く’と言う本の中の一節、早くも元正天皇の治世で律令制にある矛盾と言うのが表面化し、制度も政治も混迷を来すことになったと言うのは、まあこの日本を作った歴史者(卑弥呼、ヤマト王)からすれば当然の帰結である。

さてさて、物事と言うか日本と言うものは天皇家があって国が成り立っているものと思われている。流石に、僕がここで言いたいのは700年ころの日本の時代、律令制を用い国の運営を押し進めようと頑張る輩が、気が付かない世の中(日本)の仕組み、これが見えずとも押しぶつかり、不比等らと言うか藤原氏が切る日本の舵取り、これを嫌が負うともなで切って行く!藤原氏は、日本の舵取りは我らがやるものでありその王権は我れ手中に収まった!と、思っていたに違いない!だがしかし、そうは問屋が下さず、絶体絶命の壁に必ず行き当たり、世の中は必然混乱する!
いやー、卑弥呼と天皇がいて、その後に続くものは一切必ずこうなるであろう!不比等が目論む日本国家とは、律令で縛り上げる国作り、これではないわけだ!
いやー、不比等が代表を務めるか藤原氏の目算もまだまだ甘い先手論(あるいは国家論)に過ぎない、まあ僕から言わせるとまだまだこれから~ズ(初心者!)が精一杯の奈良・京都時代そして、現礼和時代となる元年の人民たち!

ではでは、どうやったら自分と言う物差しを通じ、世の中(日本)を確かに見ることが出来るか?大掛け、天皇家が日本を牛耳っているように見える時代の難局では、いやーまだまだ四面楚歌を感じざるを得ない、そんな人民(日本国家民)で溢れているだろう!


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。