高齢者となって、妻と二人暮らし。
時たま、昼食に妻がお好み焼きを焼いてくれる。
肉が敷いてある。キャベツがぽってり。
おかかや青のりがまぶさっていて、ソース、マヨネーズをまとっている。
はるか昔、終戦後、モノが乏しかったころ、私、芦屋で高校に進学した。
中学までは、外でものを食べることはしなかった。
でも、高校に入ると、遠からぬところに三八通り商店街があった。
そこにお好み焼き屋があって、同級生らと帰り道に食べに寄ったもんだ。
母からいくらか小遣いをもらっていたり、そんな懐具合を測りながら、友とお好み焼きを焼いて食べたもんだった。
豚肉の入ったお好み焼きは高くて、余り食べられなかった。
イカのはいったのとか、キャベツとメリケン粉の素焼きみたいなのも食べた。
払える範囲でたべたり、友が多めに出したり、がきどもでワイワイ楽しんだものだった。
あるとき、友のひとりが、店頭にある福助人形のまねきの顔にソースでお化粧したから、あとでおかみさんにとっても叱られた、そんな思い出があったりするのでした。
思い出して、ひとり微笑んだりするので、妻が何? というんだ。
はるか昔の話。
当時のあいつらとは、今も電話やメールでの行き来があったりする。
時たま、昼食に妻がお好み焼きを焼いてくれる。
肉が敷いてある。キャベツがぽってり。
おかかや青のりがまぶさっていて、ソース、マヨネーズをまとっている。
はるか昔、終戦後、モノが乏しかったころ、私、芦屋で高校に進学した。
中学までは、外でものを食べることはしなかった。
でも、高校に入ると、遠からぬところに三八通り商店街があった。
そこにお好み焼き屋があって、同級生らと帰り道に食べに寄ったもんだ。
母からいくらか小遣いをもらっていたり、そんな懐具合を測りながら、友とお好み焼きを焼いて食べたもんだった。
豚肉の入ったお好み焼きは高くて、余り食べられなかった。
イカのはいったのとか、キャベツとメリケン粉の素焼きみたいなのも食べた。
払える範囲でたべたり、友が多めに出したり、がきどもでワイワイ楽しんだものだった。
あるとき、友のひとりが、店頭にある福助人形のまねきの顔にソースでお化粧したから、あとでおかみさんにとっても叱られた、そんな思い出があったりするのでした。
思い出して、ひとり微笑んだりするので、妻が何? というんだ。
はるか昔の話。
当時のあいつらとは、今も電話やメールでの行き来があったりする。
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