私は、戦後、国民学校5~6年ごろだったか、北海道の函館市に居ました。あそこは、半島になっていて、函館港を取り巻くように市街があったのです。港から、函館山に向かって坂になっており、そんな中腹ぐらいに住んでいたのだ。夏になると、北側に海があり、「ウサギ浜」という浜辺がありました。そのころ、あんまり泳げなかったのだが、ウサギ浜ではぽちゃぽちゃやりました。そこから、函館山を取り巻くように海が続いていた。し . . . 本文を読む
衆議院議員 選挙の結果は、あれこれ、今更、言うまでもなく、新聞の朝刊のごとくになりました。私ごときが、まことしやかに論評するまでもなく、朝刊のようになっているのです。自民の裏金問題への政治家の態度についての批判が、この選挙結果なのだ。 . . . 本文を読む
うちは、夫婦ともども、年輩が進んでいるので、物臭になってます。例えば、庭木。上へ上へと成長するので、困るのです。時おり、息子が、寄ってくれるので、掃除の手を貸してくれるのだ。この日曜日、次男が立ち寄ってくれ、玄関わきのドウダンツツジの植え込み。上のほうをチョキチョキしてくれたのです。それくらいのことは、わしでもできるけれど、脚立を持ち出して作業するのは、もはや、厳しいのだよね。そんなことを、息子に . . . 本文を読む
パソコンで、イラストを造るの。随分、長い間、遠ざかっていました。たまたま、山形県の名峰 鳥海山 の写真が目につきましたので、イラストを造ってみました。パソコンの取り回しが、すっかり忘れている。昔のマニュアルを見たりして、苦労して、造ってみました。作業には、苦労しましたが、やっぱり、いいね。鳥海山の絵がいいね。 . . . 本文を読む
昼間のこと。散歩の途中、路傍に紫の玉が笑っているのに出会った。ムラサキシキブというらしい。または、コムラサキというんだとか?おんなじものなのか、別種の植物なのか、よくわからない。そういえば、歴史上、平安時代、紫式部という歌人が有名だった。源氏物語という文学を作出されたといわれる。もちろん、あれとこれとは、全くの別物だ。 . . . 本文を読む
ピンポーン‼晴天、朝食前後のことでした。SADさん、自転車で来てくれました。家庭菜園からの帰り、丁度、出来た野菜をくださいました。茄子・ニラ・そして大根。どれも、とれとれの鮮度抜群です。ありがとう。いつもすみません。イオンとか、ミニストップとか、買いに行かなくても済みます。近くの公園では、はぎの花が咲いていました。 . . . 本文を読む
武蔵野というと、関東平野の中心部分だろうか。その武蔵野を取り上げた明治の作家に、国木田独歩がある。彼、明治の作家として、あの時代を先駆したのだった。その記念碑が、三鷹駅北口にあるという。明治のころ、武蔵野は、雑木林、桑畑、田畑が広がっていたという。いまや、首都圏近郊の住宅街、商工業の稠密都市に発展しているのだった。三鷹駅北口にある独歩の武蔵野碑。 . . . 本文を読む
東京は日本の首都。そのぐるり一帯は、武蔵野平野が豪壮に広がっている。随分長い間、京の都に皇居があり、天子さまがおわす日本のかなめの地で、そのことは誰も疑う余地もなかったのだ。時代は下って、江戸時代から、明治、大正の御代までは、武蔵野は、ほぼ大平原だったのだ。それが、今はどうか。JR武蔵野線が大平原だったところを、開発の急先鋒として、鼻息荒く大動脈となり、乗客・貨物とも大変な繁忙ブリになっている。駅 . . . 本文を読む
我が町に、志津コミュニティセンターというのがあります。そこには、北志津児童センターというのがあり、私ら高齢者は、そこの図書室で、好きな図書が借りられるようになっています。児童向けの図書ばかりでなく、佐倉図書館の出店として、やっています。先日、妻と本を借りに行きました。私は、警察物のサスペンス。妻は、女流作家の小説。各2冊づつ借りてきました。そのあと、コミセンの1階ホールで、地域の歌声喫茶がありまし . . . 本文を読む