Samyの徒然雑記


団塊世代,道産子のSamyが、
好き勝手を書き込みます。

お閑な方は、お付き合い下さい。

矢でも鉄砲でも・・・・・

2009-01-30 11:48:37 | Weblog
昨年12月19日の「エッ、そんなに高いの?」
を、読まれた方は、お解りと思います。
水廻りのリフォームを致します。
契約も終わり、2月3日より施工です。

私の予算は、300万と友人には伝えてありました。
友人もそれで収まると言いました。

然し、But Also、収まりませんでした。

家には、耳が有るのでしょうか?
今月、リフォームの打ち合わせが始まると
まず、玄関の照明器具が壊れました。
次に、台所の床と壁が一部抜け落ちました。
そしてトイレのドアノブが
一方行にしか回らなくなりました。
まるで私達を直して、と云う様にです。

仕方が無いので、壁・床・天井を直す事にしました。
「天井綺麗になったら、古い電気みっともないよね。」
「はい、はい。」
「この壁綺麗になったら、廊下の汚いのが目立つよね。」
「はい、はい。」
「廊下が綺麗になったら・・・・」
「いい加減にせい!」

なんだかんだで結局、見積金額は



451万円


予算オーヴァーもいいとこです。
泣く泣く発注いたしました。


一昨日の晩です。
妻が玄関で、佇んでいます。

「どうした?」
「下駄箱汚いよね?」

「矢でも鉄砲でも、持って来~い!」

昨晩、友人が下駄箱のカタログを持って来ました。
そして一言
「だから言ったしょ、リフォームは限が無いって。」

献杯

2009-01-27 11:12:07 | Weblog
日曜日に、オッチ君のお参りをしてきました。
両親も亡くなっていますので、当然、仏壇があるものと思っておりましたが、
小さなテーブルの上にご両親の遺影に挟まれて、骨箱が乗っているだけでした。
戒名も、勿論、位牌も無いそうです。
無神論者の私が見ても、何か侘びしさを感じました。

お姉さんが、ビールとつまみを用意してくれました。
コップを合わす時、皆が
「献杯」と呼称しています。

「今、献杯と言ったよな?」
「そうだよ、乾杯はお祝いの時、こういう時は、献杯だよ。
 もしかして、お前知らなかったの?」

恥ずかしながら、私、Samyは、全く知りませんでした。
私以外全員が知っておりました。

乾杯はお祝いの時だというのは知っていましたし、
又、献杯と言う言葉も知っていましたが、
弔事の際に使われるとは知りませんでした。

早速、「広辞苑」「新言海」「大辞泉」を調べてみました。
どれにも、敬意を表して杯をすすめる
と在りますが、弔事の際とは書いてありません。

ウィキペディアで見ると、
祝事、「乾杯」
弔事、「献杯」
と、ハッキリと書いてありました。


皆がお暇をしようとした時、
「寂しいから、帰らないでくれ。」
とお姉さんが言います。

結局、私ともう一人残り、
11時過ぎまで飲んでおりました。

家族が居る幸せを、痛感致しました。

ウソだろぅ~!!

2009-01-22 09:01:41 | Weblog
昨日、中学の同級生の女性から電話が有りました。
オッチ君と連絡が取れない、何か聞いてない?

私も電話してみました。
家電も携帯も
「只今この電話は使われておりません。」
の、アナウンスが流れるだけです。

お姉さんに電話しました。

「連絡遅れて、ゴメンネ、
 12月26日に亡くなったの。」

心臓発作だそうです。

お姉さんもショックで体調を崩して
医者に車の運転を止められている状態で
連絡が遅れたとの事でした。

彼もお姉さんも、独身です。

「私とうとう、一人になっちゃた。」
寂しそうな電話の声、
然し、ショックで元気づける言葉は出ませんでした。



オッチは、中学以来、40数年の親友です。
彼は2回、このブログに登場しています。

親ばか珍道中の時、東京で会った内の一人です。
又、友人のお母さんの葬儀の帰り
ネズミ捕りに引っ掛かった話の
友人が彼です。

友を亡くすという経験は、初めてで
昨日より意気消沈しているSamyでした。

1969年1月18日

2009-01-18 10:32:39 | Weblog
40年前の今日この日に何が有ったか
思い出せる人は少ないと思います。

と、書いている私も、忘れていました。

1月14日 日本史サスペンス劇場 「東大落城」を
見るまでは、キレイサッパリ忘れていました。

その当時、私は、大学受験を控えた高校3年生です。
然し東大紛争を支援するための
北大紛争に参加していました。



「官僚国家日本、東京大学は日本の官僚社会の頂点。
 その東京大学を改革し更には世の中の流れを
 変えようとした若者たちがいた。
 彼らの名前は、全共闘。」

この様なナレーションから始まりました。

番組の中で非常に印象的だったのは、
佐々 淳行氏の言葉です。

「実は学生達にかなり理解を持っていて
 学内について体制改革の為に
 やるのはもっともだと。」

又闘争が終わった後

「彼らの負け戦を外側からだけ見て、
 青臭い理想の為に戦う事が
 割に合わない事となったらつまらんな。
 若い奴らがみんな理想や夢を語る事が
 割に合わないと考える様に為らなければ良いが。
 
 自分が得する事だけを考える様な時代が
 来なければ良いけどな。」

今の若者に対して

「若者 怒らなきゃいけないんだ。
 そしてね、熱を出してもらわないと困るんだよね。
 熱を出して下さいよ。38度位ね。
 40度出されると、困るけどね。」


私は、共産主義者ではありませんが
番組内で何度も流れていた
「インターナショナル」が印象的でした。

♪ 起て 飢えたる者よ
  今ぞ 日は近し
  さめよ 我が同胞(はらから)
  暁は 来ぬ
  暴虐の鎖 断つ日
  旗は血に燃えて 海を隔てつ
  我ら腕(かいな) 結びゆく
  いざ戦わん いざ
  ふるいたて いざ
  インターナショナル 我らがもの ♪


何故今、「東大紛争」なの?
何故今、「チェ・ゲバラ」なの?

口取り

2009-01-14 11:09:17 | Weblog
先日、「秘密の県民ショウ」を見ていてビックリしました。

北海道では、おせち料理を大晦日に食べるという事で、
他県の皆様が吃驚していました。
ビックリしたのは、此方です。
間違っているのは、貴君方です。

本来、「お節料理」は、「年迎えの膳」ですから、
大晦日に食べるのが正しいのです。

それを勝手な解釈を付けて、
間違って伝えられていったものです。

「タカアンドトシ」、キチンと説明しなければ、駄目ではないか。

又、北海道では、「口取り」と呼ばれる
練物のお菓子を、大晦日に食べるという事で、
他県の皆様に馬鹿にされていました。

是にも北海道の歴史に基づいた
れっきとした理由がある訳です。

「口取り」、恐らくそちらでは死語に為っているでしょう。

本来、「お節料理」は、「祝い肴(三つ肴)」ですから、
響膳を、三つ揃えなければならないのです。
然し、開拓民(屯田兵)は、貧乏です。
揃えられる訳が有りません。

そこで贅沢品である、「鯛の尾頭付き」
「伊勢海老」など、全て練物で作り
響膳を三つ揃えた訳です。

是を「口取り菓子」「口取り肴」になぞらえ
「口取り」と称して、大晦日に食べて
家族皆で、新年を迎えた訳です。

何も知らない他県の皆様方に
馬鹿にされる筋合いは御座いません。

と言っておりますが、今の子供達は、
「口取り」も、「おせち」も喜びません。
今、北海道では、殆どの家庭で
大晦日には、寿司を食べるのが通例の様です。