下記の記事は文春オンラインからの借用(コピー)です
「秋篠宮家の長男・悠仁さまは来月、中学3年生になられます。つまりは受験生です。今度こそは学習院を選んでいただきたいと心から切に願っています」20201130_秋篠宮皇嗣殿下御誕生日_宮内庁提供_11月14日午前10時00分頃_宮邸(ご仮寓所)及び赤坂御用地 (1)
ある学習院大学OBは、今の思いをこう吐露する。悠仁さまが通われているお茶の水女子大学附属中学校は共学だが、お茶大の附属高校は女子校だ。このためインターネットなどでは中学ご卒業後は、お茶の水女子大学と筑波大学が相互運用する「提携校進学制度」という制度を使って筑波大学附属高校(筑附)に進まれるのではとの“憶測”や、秋篠宮さまが客員教授を務められている東京農業大学の付属校・東京農業大学第一高校(農大一高)に進学されるのではといった“観測”も散見される。今年の1月31日に文春オンラインにアップされた記事では、学習院高等科に加え「都内私立大トップの付属高校」を有力候補に挙げている。
秋篠宮ご夫妻は、なぜ学習院を避けるのか
宮内庁関係者が語る。
「そもそも秋篠宮ご夫妻は、なぜこれ程までに学習院を避けてこられてきたのでしょうか。ご夫妻は共に学習院大学在学中に知り合われ、ご結婚に至りました。秋篠宮妃紀子さまの父・川嶋辰彦さんはかつて学習院大学経済学部の教授を務め、現在も名誉教授の称号をお持ちです。秋篠宮さま
一方で長女の眞子さまは幼稚園から高校までは学習院でしたが、大学はICU(国際基督教大学)を選ばれ、次女の佳子さまも学習院大学まで進まれましたが、中退してICUに進まれました。悠仁さまに至っては、幼稚園からずっとお茶の水女子大学附属です。学習院とは一切、関係を持たれたことがないのです。
学習院の起源は幕末に京都に設けられた公家のための教育機関です。明治期に入り、華族のための教育機関として学習院が創立されました。後に大正天皇となる嘉仁(よしひと)親王が1887(明治20)年、学習院の初等学科(現・初等科)に入学した際、首相の伊藤博文が箱型のランドセルを特注し、献上したのが皮革製ランドセルの始まりというのは有名な話です。昭和天皇も学習院初等学科で学んでいます。上皇陛下は初等科から大学まで学習院ですし、天皇陛下は幼稚園から大学まで学習院です。歴代天皇が通った学習院に悠仁さまは一度も通うことなく終わられてしまうのでしょうか」
愛子さまは学習院の伝統を継承しているが、悠仁さまは…
天皇家の長女・愛子さまが2008年に学習院幼稚園から初等科に進まれたとき、学習院指定の老舗鞄メーカー「大峽(おおば)製鞄」製のランドセルが話題になったこともあった。大峽製鞄のランドセルは数々の皇族方も使用された伝統の品だ。20201130_秋篠宮皇嗣殿下御誕生日_宮内庁提供_11月14日午前10時00分頃_宮邸(ご仮寓所)及び赤坂御用地 (5)
前出の学習院大学OBが話を継ぐ。
「悠仁さまは2014年10月、生前退位前の上皇・上皇后両陛下の80歳を記念した特別展をご覧になった際に、上皇陛下が学習院初等科時代に使われていたランドセルを見学されたことがありました。愛子さまは大正天皇が始まりとなった皮革製ランドセルを背負って大正天皇、昭和天皇、上皇陛下、天皇陛下と同様に学習院に通われました。歴代天皇の伝統を継承しているという点において、愛子さまにも天皇としての資質や適性があるようにさえ思えます。
悠仁さまがランドセルを背負って学習院に通うことはもちろんもうありませんが、学習院高等科に進まれなければ、このまま学習院と縁を持つことはないのかもしれません。歴代天皇が通った学習院の雰囲気を全く知らないまま、悠仁さまが天皇になられるというのは我々学習院のOB、OGにとってとても残念なことです」20201130_秋篠宮皇嗣殿下御誕生日_宮内庁提供_11月14日午前10時00分頃_宮邸(ご仮寓所)及び赤坂御用地 (6)
悠仁さまが来春、学習院高等科を選ばなかった場合、もう一つ大きな問題が出てくる可能性がある。お茶の水女子大学側も附属校の警備について徐々にノウハウを蓄積してきていたが、それが再びゼロからのスタートとなる点だ。
悠仁さまの机の上に置かれた「刃物事件」も……
「学習院は歴代皇族方が通われたことで警衛(皇室警備)のノウハウや皇宮警察本部、地元の警察署などとの連携にも蓄積があります。お茶の水女子大学附属中学校では2019年4月、入学したばかりの悠仁さまのクラスの教室に男が侵入し、悠仁さまの机の上に刃物が置かれるという重大事件が起きました。この事件ではお茶の水女子大学関係者や警察関係者、宮内庁、皇室全体にも衝撃が走りました。お茶の水女子大学附属高校は女子校で、学習院高等科に入られないとなれば、どこの高校に行くにしても警備面で再び不安が頭をもたげてくる可能性があります。なんとしても秋篠宮ご夫妻には高校は学習院を選んでいただきたいのです」(同前)ボリビアでの眞子さま
眞子さまはICUで小室圭さんと出会われた。秋篠宮ご夫妻の、お子さまの意思を尊重される教育方針も十分理解はできるものの、その教育方針が悠仁さまの刃物事件や眞子さまのご結婚延期問題を引き起こす“遠因”になっていることも事実だろう。
男系男子の皇位継承を絶対視する人達の中にも、皇室とのつながりが深い学習院を忌避し、皇室の伝統を踏襲されない秋篠宮ご夫妻のご姿勢に疑問を感じる向きもあるようだ。悠仁さまを「(上皇・上皇后)両陛下からお預かりした大切な命」と表現されているとされる紀子さまが、警備の問題を軽視されているように受け取られるのも得策ではないはずだ。婚約内定 記者会見 JMPA
「学習院が皇室の伝統を守るために果たしてきた役割を、改めて思い起こして欲しいのです。とにかく秋篠宮家の“学習院離れ”を方針転換していただき、悠仁さまの進学先を学習院高等科にしていただきたいのひと言です」(同前)
果たして秋篠宮ご夫妻は、そして悠仁さまご本人は、どのような選択をされるのだろうか。
下記の記事は日刊ゲンダイデジタルからの借用(コピー)です
自分の死に場所は病院になるだろうと考えている人は多いのではないでしょうか。しかし、病院死と在宅死の割合が逆転し始めたのは1970年代の後半辺りから。現在では病院死が7割を超えていますが、50年ほど前までは、みんな当たり前のように自宅で家族に看取られて亡くなっていたのです。
昔の日本人はいい意味で、死を家の中で身近に感じながら生活していたわけです。今は身近な人が死ぬところを見たことがない人が大多数です。そういった人が、いざ自分の夫や親が急変し重篤となった時、慌てて救急車を呼んでしまうのは、致し方ないのかもしれません。
人間の死には4つのパターンがあるといわれています。「突然死」「経過の予後予測が比較的容易ながん末期」「状態が良くなったり悪くなったりを繰り返しながら緩やかに弱っていく臓器不全」「老衰」です。
在宅医療を受ける人には、ほとんど突然死はありません。大抵は終末期を2~3カ月間、自宅で過ごし、旅立っていきます。がん末期や徐々に落ちていく死は穏やかな死なので、自宅でも十分に診られるのです。在宅医師も大体の予後や経過が想定できます。その時の心構えなども折を見て伝えるので、ご家族も慌てることなく穏やかな看取りができます。
こんなケースがありました。60代前半の男性で肺がん末期。在宅医療に興味があるものの、当初、奥さまが在宅医療に非常に不安を抱えていたので、私たちは何度も説明を行いました。
具体的には、訪問の頻度(患者さんが歩いてトイレまで行けたら週1回、ベッド生活中心だと週2回といったふうに)、在宅医療よりも病院の方がよいとなればすぐに再入院のお手伝いができる体制であること、自宅で家族が常にそばにいる環境が患者さん本人にとってみれば一番安心であること……などです。
すると、患者さん、奥さま双方が「一度家に戻ってみよう」となり、実際に自宅で過ごし始めると、息子さんや娘さんが頻繁に訪れて賑やかな日々。このまま自宅で過ごしたいとなって、そのためにどうすればいいのだろうかという思考にご家族の考えが変わっていきました。
本格的に在宅医療に切り替えた後も、患者さんやご家族の状況に合わせて治療のやり方をそのつど柔軟に変えていきました。
奥さまが薬局に薬をもらいに行くのが大変になったなら訪問薬局を導入したり、飲み薬がつらかったら貼り薬に替えてみたり。途中、奥さまが「自宅で本当に看取りをできるのかしら」と心の内を漏らされた時は、今後の経過について、どういう状態になっていくかなどをiPadでイラストなどを見せながら説明しました。
こうしてご家族の不安や不便を取り除きながら、約1カ月後に最期の時を迎えました。
在宅医療は患者さんの経過に合わせて一緒に寄り添う医療です。自宅に帰りたいという気持ちがあるなら、帰りましょう。不安があっても大丈夫。プロのチームが支えますから。
下山祐人
あけぼの診療所院長
2004年、東京医大医学部卒業。17年に在宅医療をメインとするクリニック「あけぼの診療所」開業。
追記:看取り、在宅医療については久坂部羊さんの小説「告知」幻冬舎文庫。南杏子さんの「サイレント・プレス 看取りのカルテ」が参考になります。
下記の記事は東洋経済オンラインからの借用(コピー)です
親の不仲や離婚でつらい思いをした人の話は、これまでにもたくさん聞いてきました。大人たちのせいで申し訳ない、といつも思うのですが、今回はことさらにやりきれない話でした。
連絡をくれた千尋さん(仮名)は高校生。両親はここ10年ほど別居していますが、離婚はまだです。2人とも子どもたちの親権を求め、いまも弁護士を挟んで調停を続けているのです。大好きな妹とは、もう3年近く会えていません。千尋さんは数年前に双極性障害の診断を受け、いまも希死念慮を抱きつつ日々を過ごしているといいます。
11月の休日、買い物客でにぎわうショッピングモールを抜け、約束のカフェへ。千尋さんはボーイッシュな装いの、優しい笑顔の高校生でした。毎度のこと、人の内側にある苦しみは外から見てもわからないことをかみしめつつ、彼女の話を聞かせてもらったのでした。
けんかのたび「父に似ている」と言ってくる母親
千尋さんの記憶にある限り、両親はいつも「けんかをしているか、全然口をきいていないか」のどちらかでした。
この連載の一覧はこちら
「根本的に性格が合わないな、という。父親も母親も自分がこうだと思ったことは曲げないし、母親はカーッとなると怒りが爆発しちゃうタイプで、話し合いにならないんですよね。だからもう、モノは飛び交うし、手は出るし足は出るし、みたいになっちゃう」
父親が完全に家に帰らなくなったのは、小学2年生の頃でした。仕事が忙しくなり、家では妻とうまくいかず、限界だったのでしょうか。父親が家を出たことに、千尋さんはどこか納得しつつ、また妹が両親のけんかを見ないで済むようになったことに、ほっとしていたといいます。
しかし母親は、父親が出ていったことで精神的に不安定になり、その不安や怒りを、長女である千尋さんにぶつけるようになっていきました。
「けんかをするたびに『父親に似ている』とずっと言われて、父の悪口とともに怒られる、みたいなことが結構あって。当時もふつうに傷ついていましたけど、いま考えたら、相当きついものがあるな、と思います(笑)」
親が子どもに他方の親、つまり別れた配偶者の悪口をいうことで、子どもがどれほど傷ついているか。当連載で繰り返して伝えてきたことですが、まだ世間にはよく浸透していないのでしょうか。両親が別れても子どもからしたら親は親であり、その親の悪口を言われることは子どもにとって、自分を否定されたのと同様に感じられるものですが、しかもその親に似ていると、千尋さんはたびたび言われたわけです。つらかったことでしょう。
「母とはずっとけんかが絶えなくて、それもすごく嫌でした。せっかく3人で仲良く暮らしていこうってなったのに、母親と自分がけんかしていたら意味がない。妹からしたら、結局同じもの(家族のけんか)を見ることになってしまうので」
両親のけんかを見るのをつらく感じていた千尋さんは、妹に自分と母親のけんかを見せてしまうことに、強い罪悪感を抱いていました。本来なら親が負うべき葛藤を、子どもである彼女が背負いこんでいたのです
母親は当時、父親がいつか戻ってくると思っていたようでした。いつしか父親には恋人ができたのですが、母親のなかでは「夫は以前から浮気をしていて、そのせいで出ていった」というストーリーに置き換わり、よく父親に電話をかけては「子どももいるんだから戻ってきなさい」と言っていたということです。
父のもとでの暮らしと、妹に会えなくなった理由
千尋さんは当初、父親のもとで暮らすことは考えていませんでした。父親がどんな生活をしているのか、まったく想像がつかなかったからです。しかし、小6のときに父親に買ってもらった携帯で連絡をとり合うようになってから、徐々に状況が変わっていきました。
「父親と会ったとき、『母とけんかしちゃう』みたいな話が、ぽろっと出ちゃったんです。父親は心配したのか、(親権をとれる)チャンスと思ったのかわからないけど、『そんなに大変なの?』みたいな話をするようになって。
中1の冬頃、母とめちゃめちゃでかいけんかをして、そのとき初めて父親の家に行ったんです。そうしたらちょうど彼女さんがいて、初めて挨拶することになったんですね。感じ悪い人ではなくて、自分はけんかのショックで泣いたりしてたのを慰めてくれて。その日はそれで帰ったんですけれど」
問題は、数カ月後に起きました。千尋さんは「彼女さん」と会ったことを母親に黙っていたのですが、それがたまたまバレてしまったのです。予想どおり母親は怒りを爆発させ、千尋さんを「父親側」とみなし、ますます厳しくあたるようになりました。千尋さんは何も悪くないのですが、こうなるともう、どうしようもありません。
千尋さんが父親のもとで暮らし始めたのは、中2の春でした。この頃にまた母親と激しく衝突し、「どちらかがケガをするまでけんかが終わらない」ような状況に陥ったのです。当時相談していた学校の先生から、「もしまたけんかをして危ない状況になったら、父親のほうに逃げなさい」と言われていたこともあり、父親に連絡して迎えにきてもらい、そのまま父の家に「帰る」ことになったのでした。
父の家での生活は、千尋さんにとって「すごく穏やか」なものでした。幸い転校もせずに済み、また父親のパートナーの女性も家族のことで悩んだ経験があったため、千尋さんの話をよく受け止めてくれたのです。父親と暮らすのは約10年ぶりでしたが、このときやっと「父親ってこんな人なんだ、と認識した」といいます。
大きなけんかを繰り返したものの、その後も千尋さんは母親と連絡をとっており、誕生日やお正月など、ちょくちょく母と妹のもとを訪れていました。ところが高1の春、そんな関係も途切れてしまうことになります。
ある日、母と妹の家から千尋さんが帰ろうとしたとき、母が離婚調停の資料をもち出してきたのです。そこには、千尋さんが父の家に身を寄せるきっかけとなった母とのけんかや、そのとき彼女が負ったケガのことなどが書かれていたのですが、母親はそれを取り消すように求めてきたのでした。
「母親は『こんなことなかったでしょ? うそでしょ?』みたいなことを言っていました。わからないんです、母が本当に忘れているのか、なかったことにしたいのか。そのときは妹もいたし、楽しい気持ちのままで帰りたかったから、『そんな話をしにきたわけじゃないから』ってずっとなだめていたんですけれど、母はその話しかしないし、帰らせてもくれない。
それで最終的に私が警察に『家庭内暴力です』みたいな電話をしました。来てくれた警察の人に事情を説明したら、親身に聞いてくださって。それで父に迎えに来てもらって帰る、みたいな感じでした」
以来、千尋さんは母親との連絡を絶っているということです。帰り際、ドアの隙間から泣いている妹の姿が少しだけ見えたことを、彼女は申し訳なさそうに振り返るのでした。
「自分が生まれてきたせい」で親は離婚できないのか
それから数カ月後。千尋さんの苦しみは、飽和状態に達していました。
「もう、本当につらくなってしまって。でもそのつらいのを周りに見せるのはすごく苦手なので、とにかく明るくふるまっていました。夏休みもいろんな友達と遊びまくって、すごい充実した休みを送った後に、決めたんですよね、そこで死ぬというのを。でも結局、その日たまたま落雷とかの影響で、行こうと思っていた橋が閉まっていて。近くでボーッとしていたら、父が頼んだ警察の捜索で見つかって、今に至るんですけれど。
そこから何度も、生きていくことがつらくなっちゃうときが、どうしてもあって。死にたいっていう気持ちと、それはダメだ、という気持ちが自分のなかで闘うんですよね。その闘いをずっとやっていて、けっこうきついので、自分で心理学の勉強とかするようになりました。自分で勉強して、自分を治療していく、みたいな」
彼女の苦しさはやはり、両親の争いから生じている部分が大きいようです。
「離婚は全然、ずっと進まないんですよ。それは『子どもがいる』っていうせい。親権を決めなきゃいけない、とかってなるから。本来なら3年くらい別居が続いたら別れられると思うんですけど、『子どもがいるから別れられない』ってなっている。
そういうのをずっと経験してくると、やっぱり『自分が生まれたせいだな』って思っちゃうんですよね。そうするとだんだんと、自分が生きていることに対する嫌悪感が芽生えちゃってつらい。周りも自分の存在のせいでいろいろ大変になっているんだったら、『なんで生まれてきたんだろ』みたいな感覚になるし、どうしても自分のことが好きになれなくて」
子どもにこんなふうに感じさせてしまう状況を、この社会をつくる大人の1人として、とても申し訳なく感じます。離婚をめぐって両親が争い続け、子どもがそれを「自分のせい」と感じてしまうような状況は、早く改めていかなければなりません。
千尋さんは「妹に会いたい」と強く願いながらも、その気持ちも押し殺していました。なぜなら、もし父にその気持ちを伝えれば、親権をめぐる調停の交渉材料として使われてしまうとわかっていたからです。もし2人の親権を父親がもつことになれば、母と仲がいい妹が苦しむことにもなりかねません。それは千尋さんにとって、いちばん避けたいことでした。
「妹に関してだけは、本当に自分の感情関係なしに、妹の気持ちを優先で動きたいな、というところがあります。妹も、自分のことを考えて動いてくれる大人が周りにいなかったと思うので。自分と同じだと思うので」
千尋さんはつい最近まで「妹と会いたい」という自分の気持ちさえ、肯定できなかったといいます。信頼する高校の担任に「それは思っていいよ」と言われて初めて「会いたいと思ってもいい」と思えるようになったそうで、いまも「先生たちにはすごい支えてもらっている」と話します。筆者も、先生たちにお礼を言いたい気持ちになりました。
「離婚するっていうのは親の人生の話ですけど、自分がこの世に生んだ子どもは、親の影響を真に受けるので、そこはもう少し気にしてあげてほしいなって思います。親が精いっぱいなのは子どももわかっているけど、子どももそれ以上に精いっぱいで、何もできないので」
この春で高校を卒業する千尋さんの両親が、どうか早く、争いを終わらせてくれますよう。どうか早く、千尋さんが妹さんに再会できますよう。せめて彼女の思いだけでも、妹さんに届くことを、願わずにいられません。
下記の記事はデイリー新潮オンラインからの借用(コピー)です
どれほど食生活に気を配り、適度な運動を心掛けても、「老化」自体を避けることはできない。今年1月に発表されたのは、そんな常識を覆す衝撃的な研究結果だった。新薬を用いて老化細胞を除去する革新的な抗加齢療法は、人類を「不老」という夢に導くのか――。
***
人類は古来、「不老不死」という見果てぬ夢を追い求めてきた。秦の始皇帝は徐福に命じて長生不老の仙薬を探させ、「竹取物語」のかぐや姫も同様の薬を帝に残して天に帰ったとされる。
無論、それらは人間の切なる願いを投影したフィクションに過ぎない。現実には、いかに科学が進歩を遂げようと「不死」を実現するのは至難の業だろう。
しかし、「不老」については話が別のようである。現代の医学は老いの正体に迫り、それを克服しようとしているのだ。
「人間の寿命を120歳以上にすることはできません。しかし、人生の最期の瞬間まで元気に過ごせるよう、健康寿命を延ばす薬は作れるのではないか。今回の発見はその糸口になり得ると考えています」
東京大学医科学研究所(癌防衛シグナル分野)の中西真教授はそう語る。
中西教授をはじめ、東大、慶應大、九州大などからなる研究チームは今年1月15日、老いの概念を大きく変えるかもしれない論文を米・科学誌「サイエンス」に発表した。
それによれば、
〈人間は加齢に伴って、動脈硬化や糖尿病といった疾患を引き起こす“老化細胞”を体内に蓄積していく。研究チームは、この老化細胞が生存するために不可欠な“GLS1”という遺伝子を特定。老齢のマウスにGLS1の働きを妨げる薬剤を投与したところ、老化細胞の大半が除去された〉
中西教授は今後も研究を進め、5~10年後には臨床試験をスタートさせたいとしている。
目下、日本の総人口のうち65歳以上の高齢者が占める割合は28・7%。2位のイタリア(23・3%)を大きく引き離し、ダントツの世界一である。そんな超高齢社会にあって、寝たきりや、病院のベッドでチューブに繋がれた状態ではなく、健康を伴ったまま「不老」をもたらす薬はまさに福音に他ならない。しかも、いま世界中を震撼させる新型コロナウイルスに至っては、高齢であること自体が重症化リスクに繋がってしまう。「不老」を望む声はより切実さを増している。
とはいえ、人間はこの世に生まれ落ちた時から日々刻々と老いていくもの。にもかかわらず、老化を食い止めるとは一体どういうことなのか。
カギを握る「P53遺伝子」
GLS1阻害剤(他の写真を見る)
それを知るためにも、まずは、細胞の老化について中西教授に解説頂こう。
そもそも、細胞は「分裂」、「休止」、「遺伝子を乗せたDNAの複製」という一連の周期を繰り返しながら増殖を続けていく。
これが“細胞周期”だ。
「ただ、細胞は分裂を繰り返し、ある回数、人間の場合はおよそ50~60回を超えたところで分裂をやめてしまうのです。このように細胞が分裂寿命を迎えて正常な周期を外れ、不可逆的に増殖をストップさせることを“細胞老化”と呼びます。また、この分野の研究が進むにつれて、細胞老化は加齢だけではなく、がん遺伝子の活性化や酸化ストレス、DNAの損傷といったさまざまな要素によって誘導されることも判明しました。こちらは“ストレス性の細胞老化”と呼ぶことができます」
専門家の間では、こうした細胞老化のプロセスや弊害は知られていた。
だが、「細胞の老化はどのようにして進むのか」というメカニズムが解明されたのは、つい最近のことだという。
その背景には、2000年代半ば以降に相次いだ技術革新がある。
大量の遺伝子情報を短時間で読み解く「次世代シーケンサー」の登場や、実験動物に対する遺伝子操作技術の発展、さらに、理化学研究所の宮脇敦史氏が開発した、微細なタンパク質を可視化する「蛍光イメージング」技術――。
研究環境が整ったことで、細胞老化に関しても、数多くの成果が報告されるようになった。
そうした蓄積を経て、がんの抑制遺伝子である“P53遺伝子”が、細胞老化のカギを握っていることが分かってきた。
「これは“ゲノムの守護神”とされる遺伝子で、その名の通り、損傷したDNAの修復や細胞分裂の調整に携わっています。さらに、DNAの傷が修復できないほど深い場合には、細胞老化を促進させて排除するなど、まさに、正常な細胞を守る司令塔と呼ぶべき存在です。しかし、このP53遺伝子が特定の時期に活性化すると、細胞が増殖サイクルを外れて、老化が始まってしまうのです」
中西教授らの研究グループは、“P53遺伝子”を人為的に活性化させ、純粋な老化細胞を作り出す培養法を独自に開発した。
「実は、組織や臓器によって老化細胞は性質が異なるため、どんなタイプの老化細胞にも効果的な薬剤はこれまで開発に至っていませんでした。その点、私たちが作製した純粋な老化細胞は、分裂寿命を迎えたものにも、ストレス性のものにも共通する特徴を有しています。そこで、この独自に作製した老化細胞が生存するにはどのような遺伝子が必要なのかを探ることにしました」
要は、培養した老化細胞を用いて、その急所を見つけ出し、狙い撃ちにしようと考えたのだ。
そして、度重なる実験の末に浮上したのが、冒頭で述べた“GLS1”という遺伝子だった。
老化細胞を兵糧攻めに
「人間の細胞はリソソームという細胞小器官を備えていて、その内部は、古くなったタンパク質を取り込んで分解するために強力な酸性で満たされています。老化細胞の場合は、リソソームの膜に傷ができてしまい、その傷口から水素イオンが染み出して細胞全体が酸性に傾いていく。問題はここからです。正常な細胞は、内部が酸性になるとやがて細胞死を迎えますが、老化細胞はそうではありません。細胞内にあるGLS1のスイッチをオンにして死滅するのを防いでしまう。より具体的に説明すると、GLS1はグルタミンをグルタミン酸に変換する働きがあり、同時にアンモニアを産出します。このアルカリ性のアンモニアによって、酸性に傾いた細胞内を中和するのです。そのことを見出した私たちは、GLS1の働きにストップをかけ、老化細胞内の酸性を維持しつつ、自然に細胞死へ導く方法を考えました。いわば補給線を絶って、老化細胞を兵糧攻めにするわけです」
果たして、中西教授らが開発したGLS1阻害剤をマウスに投与すると、老化細胞は一網打尽となったのである。
この研究結果が示唆する可能性は計り知れない。
老化細胞が人間の健康にとって、極めて厄介な存在なのは間違いないからだ。
「老化細胞は増殖機能こそ失われているものの、炎症性タンパク質を分泌する“SASP”と呼ばれる特徴を持っています。そのせいで臓器や組織で慢性炎症を引き起こし、さまざまな加齢性疾患の原因にもなる。具体例を挙げると、脳ではアルツハイマー病をはじめとする認知症、目では白内障や緑内障、血管に由来するものだと動脈硬化など。心臓においては心不全や心筋梗塞、さらに、血中のインスリンに対する感受性が低下して糖尿病の悪化リスクも高めます。また、最近では、サルコペニアという加齢性の筋力減退の原因になるとも指摘されている」
動脈硬化、心筋梗塞、糖尿病など、新型コロナの重症化リスクや死亡率を高め、高齢者の健康を脅かす疾患の背後には、常に老化細胞が潜んでいるわけである。
しかも、老化細胞が分泌する炎症性タンパク質は遺伝子をも傷つけ、組織の“がん化”まで促してしまうというから厄介なのだ。
だが、重要なのは「細胞の老化=悪」と単純に言い切れない点だ。
これまで述べてきたことと矛盾するようだが、細胞の老化は人体に有益な側面もある。
スイッチをOFF
通常の細胞(他の写真を見る)
「細胞老化のプラスの作用として挙げられるのは、がんを防ぐ役割です。がん細胞は正常な細胞の遺伝子に2~10個ほどの傷がつくことで発生し、体からの命令を無視して増え続け、大切な組織を壊してしまう。これに対し、人間の体はがん細胞とその周囲の細胞を老化させることで増殖に歯止めをかけてきました。つまり、細胞の老化はがんを防ぐために人体に組み込まれたプログラムということができます」
老化細胞が“がん化”を促すとしながら、その一方で、細胞の老化はがんを防ぐプログラムであると聞かされると、少々混乱されるかもしれない。
ここまでの話を総合すると次のようになる。
「がんを防ぐ意味では細胞老化のプロセスを抑制してはいけない。しかし、SASPが引き起こす加齢性疾患から人体を守るために、老化した細胞は取り除いた方がいいのです」
つまり、細胞老化のプロセスと老化した細胞そのものを切り離して、アプローチするということだ。
実は、GLS1阻害剤はすでに抗がん剤として臨床試験が進められている。
「というのも、ある種のがん細胞は、GLS1に依存して増殖することが分かっています。がん細胞は活発に細胞分裂を行うため、DNAの基となる核酸を大量に必要とする。そこで、GLS1のスイッチをONにして、グルタミンを分解し、核酸を作るための材料にしているのです。そのスイッチをOFFにすることができるGLS1阻害剤を利用して、がん細胞の増殖をストップさせるという考え方ですね。実際に、海外の製薬会社が中心となって、去年からヒトに対する臨床実験が始められています」
抗がん剤としての臨床試験で明らかな副作用が認められなければ、GLS1阻害剤を、老化を防ぐ薬として用いていくための道も開けてくる。
「実際に老化の分野でGLS1阻害剤が使えるようになったら、いの一番に投与したいのは早老症の患者さんたちです。この病気は日本人に多い遺伝性の難病。一般の人に比べて老化細胞の蓄積が速く、20~30代から老化が始まってしまう。有効な治療薬も見つかっていません。早老症の患者さんで効果が確認できれば、加齢性疾患に悩む高齢者に投与していくこともできる。最終的には、老化を防ぐために恒常的に薬の投与を続け、健康寿命を大きく延ばすことを目標にしています。誰もが加齢による疾患や身体の機能低下に悩まされることなく、健康なまま寿命を迎える。真の意味で、長く健康に生きられる世界にしていきたいですね」
老いを憂えたり、恐れたりすることなく、健やかに天寿を全うする――。
中国全土を掌中に収めた秦の始皇帝ですら叶わなかった夢が、いま現実のものとなりつつある。
中西 真(なかにしまこと)
東京大学教授。41985年、名古屋市立大医学部卒業後、自治医科大助手、米国ベイラー医科大留学、国立長寿医療研究センター老年病研究部室長を経て、2016年から東京大学医科学研究所教授。細胞における老化とがん化の研究の第一人者。
下記の記事はデイリー新潮オンラインからの借用(コピー)です
司法試験は今年7月
天皇陛下はお誕生日に先き立つ2月19日の会見で、ついに秋篠宮家の長女・眞子さまと小室圭さんの「結婚問題」にも言及された。あらためて“現状では難しい”との見方を示されたのだが、当の小室さんはアメリカでどのような生活を送っているのだろうか。
***
「婚約内定者」の小室さんは、目下ニューヨークで勉学に勤しんでいる。現地の関係者によれば、
「小室さんが在籍するフォーダム大のロースクールでは現在、オンラインと対面授業とが併用されています。学生は教室全体に広がって座り、互いに6フィート(約1・8メートル)離れるよう指示されていて、各座席にマイクロフォンが装備され、マスクをかけた状態でも学生の発言がクリアに聞こえます。授業以外にも、Zoomを利用して週に2回、学生相談会などの催しが行われています」
JD(法務博士)コースの3年に在籍する小室さんは、先ごろ全米のロースクール生を対象とした論文コンペで準優勝したとも報じられた。
「小室さんが受験を予定しているニューヨーク州の司法試験は次回、7月27、28日に実施される予定です。願書の出願期間は4月いっぱいですが、コロナの状況が好転しなければ、あるいは“リモート試験”になる可能性もあります」(同)
いずれにせよ、5月にロースクールを無事修了したところで、小室さんは当面、不安定な暮らしが続くことになるのだ。
参考になるノルウェー王室のケース
宮内庁担当記者が言う。
「2月5日の皇嗣職大夫の会見では『金銭トラブルを小室さんが説明する場合、眞子さまもご一緒されるのか』との質問が出ました。これに大夫は『基本的には小室さん側から説明があるという理解。秋篠宮殿下は会見で“結婚の際には二人で”と仰いましたが、トラブルについてはあくまで小室さん側から、と考えています』などと明言したのです」
今回、大方の予想に反して陛下が二人の結婚に“お墨付き”を与えられなかったことで、およそ1億4千万円とされる一時金を狙う小室さんへの風当たりは一層強まりかねない。皇室制度に詳しい名古屋大学大学院の河西秀哉准教授は、
「5問のやり取りの後にアドリブで行われた関連質問では“多くの人が納得し喜んでくれる状況になるには何が必要でしょうか”というお尋ねがありました。これに陛下は、お答えを差し控えられたわけですが、つまりは秋篠宮さまが仰ったように“相応の対応をしてほしい”ということに尽きるのでしょう。これを踏まえ、お二人がどうボールを返すのかが注目されます」
としながら、
「ここで参考になるのは、ノルウェー王室のメッテマリット王太子妃のケースでしょう。2000年末にホーコン王太子との婚約が決まったのですが、交際が報じられると、彼女が3歳の男の子を持つ未婚の母で、子の父は麻薬取引で逮捕歴があり、また彼女自身も夜毎のディスコ通いやドラッグパーティーに参加していたことなどが、次々に明らかになりました」
“悔い改めたシンデレラ”
この結婚に国民は猛反対。当時、9割近くあったノルウェー王室の支持率は、半年間で58%まで下落する事態となったのだが、
「民間人として臨んだ婚約会見でメッテマリット妃は自らをさらけ出し、“私の過去を受け入れるのは難しいという人がいることは理解できます。でもこれからの私を見守ってほしい”と懺悔し、涙ながらに訴えたのです。ここからメディアは“悔い改めたシンデレラ”と報じ、7割の国民が結婚を支持するに至りました」
妃の連れ子は王室の養子となったが、王位継承権を有さず「王子」も名乗れない。が、王太子との間に、いずれも王位継承権のある1男1女をもうけたメッテマリット妃は現在、国民の人気も上々だという。河西氏が続ける。
「小室さんが雲隠れを続ける限り、国民の理解を得るのは難しいでしょう。自ら姿を現し、さまざまな疑問に直接答えることで疑惑を払拭し、思いの丈を広く国民へ伝える。それ以外に手立てはありません」
誠実な妃の言葉は国民の心に響き、一発逆転を引き起こした。小室さんはそれにあやかれるのだろうか。日頃の行いが災いし、すでに手遅れかもしれないが……。