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「わずか3カ月で要介護2→5」認知症で暴れる祖母を"穏やかな人間"に戻した孫娘の奇跡

2021-03-11 15:30:00 | 日記

下記に記事はプレジデントオンラインからの借用(コピー)です

絶望感…92歳祖母の認知症は悪化、自分は人員整理でパート解雇

3年前、92歳の祖母に認知症の症状が出始めた。伯母の強い勧めもあっていったん入院することになったが、入院後、祖母の状態は悪くなるばかり。せん妄がひどくなり、大声を出す、暴言を吐く、暴力行為をするなど、悪化の一途を辿り、認知力も急激に低下していった。
介護をするのは孫娘にあたる当時37歳の雨宮桜さん(関西在住・独身)。1歳半の時に父親が駆け落ちし、一家離散状態に。育ての親となってくれた祖母は恩人だ。
祖母の入院中、雨宮さんはパートとして勤めていた会社を解雇されていた。事業縮小による人員整理だった。それでも祖母の入院中に求職活動を行い、就職先が決まったが、祖母の病状が悪化したため、2カ月も経たずに離職した。
「祖母が暴れるのは入院前からでしたが、入院という大きな環境の変化と、『もう家に帰れないかもしれない』という不安の中で、症状が悪化したようです。暴れてしまったことによって強い薬に変えられ、別人のようになってしまいました。私は、処方された薬が合っていなかったのではないか、また医師のピック病(認知症)という診断は正しかったのかと疑っています」
1歳半の自分を引き取り育ててくれた祖母の「38年間の恩」に報いたい
雨宮さんは、もともと入院させる気はなかったうえ、病院や医師への不信感がつのり、「祖母を退院させたい」「自分が家で介護したい」ということを主治医に掛け合い続けた。
主治医からは何度も「在宅介護は無理です」と反対され、「精神科の病院に転院するか、このまま入院を続けるかの2択しかない」「いずれにしても、管に繋がれたまま眠らされ、ただ生きているだけの状態になりますが……」と冷たく突き放された。
それでも雨宮さんは、「どんな状態になっても絶対に連れて帰る。覚悟は変わらない」と決意を伝えてきた。自分が歩くか歩かないかの頃から祖父とともに育ててくれた祖母を介護したい。その一心で食い下がったのだ。
その熱意が通じたのか、ほどなくして退院が決まる。しかし退院前の認定調査では、祖母は要介護5(要介護認定で最も重い段階)に上がっていた。入院前は要介護2だったが、たった3ヶ月で急に5にまで上がってしまったのだ。雨宮さんは退院後の自宅での介護生活を見据えて玄関や廊下に介護用具の設置を依頼したが、介護用具会社のスタッフも、あまりの急展開に驚いていた。
「私は最初から施設に入れる気も、入院させる気もなかったので、家に連れて帰ることは当然のこと。他に選択肢はありませんでした。祖母の退院が決まったときから、私は喜びとともに、淡い期待と希望を持っていました」
しかし、そんな期待と希望はいとも簡単に打ち砕かれた
これが要介護5の現実…リモコンを投げつけられ鼻血がダラダラ
約3カ月ぶりに帰宅した祖母は、より一層理性がきかなくなっていた。
オムツを替えようとする雨宮さんの腕を突然引っかいたり、雨宮さんのメガネを投げたりするのは序の口で、ひどいときは、髪を鷲掴みにして十数本毛が抜いたり、汚物が入ったポータブルトイレをわざと倒したり。リモコンを雨宮さんの顔めがけて投げつけた時は、鼻に命中し、鼻血がダラダラ流れ出た。その様子を見て、「アホや」「面白いな~」と笑うこともあった。
また、食事の際には、料理の皿をひっくり返したり、口に入れたものを「ぶー!」と撒き散らしたりした。
「退院してすぐの頃は、祖母の暴言や暴力行為に対して、私は声を荒げたり、手をあげたりしてしまいました。まだその頃は、入院前の祖母の記憶が鮮明に残っていたため、私も精神的に不安定だったのだと思います。突然理不尽に怒ったり、暴力行為をしたりする祖母の姿に、いちいち苛立っていました。でもそんな自分が嫌で、眠っている祖母の顔を見ながら、いつも泣きながら謝っていました……」
「大好きな祖母は、もうこの世に存在しない」と言い聞かせた
雨宮さんは、少しずつ自分の意識改革に努める。「赤ん坊の私を育てあげてくれた大好きな祖母は、もうこの世に存在しない」と自分で自分に言い聞かせ、思い込むことにしたのだ。
「祖母は、厳しくも優しくもあり、しっかり者ですが、お茶目なところもたくさんあって、一緒にいると楽しい人。どんなときも私の味方でした。でも、私の知っている祖母はもういない。目の前にいる祖母が、別人のような感覚になるのがあまりに辛すぎました。『もういない』とでも思わなければ心がバラバラに張り裂けてしまいそうでした」
そうした心の持ち方の工夫により、雨宮さんはだんだん気持ちが楽になっていった。
3年後、荒れ狂っていた祖母が穏やかな人間になったワケ
それから3年経ち、雨宮さんは39歳。95歳になった祖母は、デイサービスやショートステイ、訪問看護を利用している。
以前、入院中に処方されていた抗精神病薬や睡眠薬は、退院後はのんでいない。別の病院で血液検査などを受け、新たに処方された認知症薬などを服用している。
「喉が詰まりやすい」症状は、訪問医に相談したところ、「逆流性食道炎ではないか」とのことで、薬をのむようになってからは格段に良くなった。
雨宮さんの介護の甲斐あってか、祖母は徐々に穏やかになっていった。歩くことはできないが、話すことや座って食べること、つかまれば立ち上がることもできるようになっていた。
認知症の症状には「中核症状」と、「BPSD(行動・心理症状)」と呼ばれるものがある。
「中核症状」は、脳の神経細胞が壊れることによって直接起こる症状で、記憶障害や判断力の障害などがあり、認知症になれば誰にでも現れる。
一方、周囲の人との関わりのなかで起きてくる症状を「BPSD」という。暴言や暴力、興奮、抑うつ、不眠、昼夜逆転、幻覚、妄想、せん妄、徘徊、もの取られ妄想、弄便、失禁などはいずれもBPSDだ。人それぞれ表れ方が異なるが、背景には必ず理由がある。それが何かを考え、本人の気持ちに寄り添った対応をすることで、改善できる場合も少なくない。
「祖母のお世話をすることが、私の生きがい。奇跡を起こしたい」
雨宮さんの祖母の場合、本人が望まなかった入院をきっかけにBPSDが強く出てしまった可能性があるのではないか、と雨宮さんは考えている。
「祖母は先日、『助けてぇ! 助けてぇ!』と叫んでいるので、『どしたん?』と訊ねると、『ちゃあちゃん(自分のこと)売られていくねん』と言います。そこで、『私が悪いやつは退治したるで安心しや!』と言うと、すぐに納得してくれました。見違えるように穏やかになり、昔の祖母に戻ったように感じる時が稀にあります。一昨日は、私が部屋の電気をつけっぱなしにしていたら、『誰も居ない所は消しとかんともったいない』と注意されました。入院していた病院の医師に、今の祖母を見せてあげたいです」
暴言や暴力行為は、嘘のようになくなった。祖母の入院を強行した伯母との仲は、完全に元通りになることは難しいが、回復はしている。
「正直、伯母のことは恨みました。もちろん自分のことも責めましたが、『あの入院さえしなければ』という思いがずっとあり、一時は避けていました。でも、時間の経過とともに、『伯母を恨んでいても、元の祖母には戻らない』と思うようになり、普通に話をするようになりました」
最近の祖母は、寝ている時間が長くなった。その間に雨宮さんは家事を済ませ、自分の時間を持つ。
「在宅介護を始めたばかりの頃は難しかったですが、1人の時間を少しでも作ることを心掛けています。自分の楽しみを見つけること。見つけた楽しみを諦めないこと。イライラしたり、『もう無理だ!』と感じたりしたときは、一旦その場から離れることにしています。介護は体力的に大変ですが、私の場合は、大好きだった昔の祖母にはもう二度と会えないという精神的な面で、本当に苦しい時期がありました。今では心の整理ができていますが、まだ心の片隅で、『奇跡を起こしたい!』と思っています」
デイサービスが終わり、車から降りてくる祖母を出迎えると、祖母は雨宮さんの顔を見るなり「桜ぁ~! 会いたかったぁ!」と号泣することがある。それを見たスタッフは、「何十年かぶりの再会みたいやなぁ」と大爆笑。しかし祖母はおかまいなく、「長いこと会わへんかったなぁ! 大きくなったなぁ!」と言いながら雨宮さんに抱きつく。
「今は、祖母がただそこで穏やかに笑ってくれているだけで、すごく嬉しいです。祖母のお世話をすることが、私の生きがいになっているように思います」
「長生きが幸せ」とは限らない。また、被介護者が重度の認知症の場合、幸せかどうかを本人に確認することは難しい。だが、雨宮さんの祖母のように、誰かに幸せを与えられているならば、「長生きは幸せ」だと言えるのかもしれない。


[クローズアップNEWS] 自画撮り、盗撮...児童ポルノ犯罪から子どもを守る セコム

2021-03-11 13:30:00 | 日記

下記の記事はセコムのホームページからの借用(コピー)です


[クローズアップNEWS] 自画撮り、盗撮...児童ポルノ犯罪から子どもを守る

セコムの舟生です。
今回の[クローズアップNEWS]は、このところ増え続けている「児童ポルノ被害」を取り上げます。
警察庁の発表によれば、今年上半期に検挙された児童ポルノ事犯は過去最多の831件。
被害児童数も383人で過去最多になりました。小学生以下の被害者は60人にのぼります。
児童ポルノの製造手段として多いのは、子ども自身に体を撮影させてメールなどで送信させる「自画撮り」。無防備な子どもを狙った悪質な「盗撮」も横行しています。
このような児童ポルノ被害から子どもを守るために、どうしたらいいのでしょうか。
実際に起きた事犯を取り上げながら、対策を考えてみたいと思います。

* * * * * * * * *

▼ SNSや無料通話アプリに注意!巧みな「自画撮り」の手口
子どものスマホ利用率が高まる一方で、子ども自身に写真を送らせる「自画撮り」による児童ポルノ被害も増加しています。ここ数カ月間に起きた事犯をご紹介しましょう。
・無料通話アプリのチャットで小6女児に「顔写真をネット上にばらまく」と脅し、裸の画像を送らせた男を逮捕。女性を装って女児に近づき、顔写真を交換していた模様(神奈川県 8月)
・小学生女児に裸の写真を送らせた30代男を逮捕。11歳女児に携帯電話で自身の裸の写真を撮らせ、無料通話アプリを通じて送信させた疑い(富山県 7月)
・小6と中1の女児にスマホで自分の裸を撮影させ、写真や動画を送らせた男を逮捕。女児らは「しつこく言われて従った」「スタンプをもらったので言うとおりにした」と話している(愛知県 6月)
・SNSで知りあった小学生女児に裸の画像を自画撮りさせ、スマホに送信させた男を逮捕(埼玉県 1月)
無料で利用でき、手軽に誰でも登録できるSNSや無料通話アプリは、小学生にも利用者が増えています。しかし、子どもに近づく目的でこうしたサイトやアプリを利用する悪意ある大人がいることも、忘れてはなりません。
同性になりすまして「友情の証」に写真を要求したり、悩み相談に応じて弱みを握って言いなりにさせようとしたりする事犯があとを絶ちません。
その手口は巧みで、だまされても不思議ではありません。
子どもの利用状況を把握するとともに、子どものSOSを早めに察知することが大事です。
■ 保護者がすべきこと
○ 子どもが利用するサイトやアプリは必ず保護者が確認する
○ 誰とどのようなやりとりをしているか利用履歴をオープンにさせる
○ わが家のルール(利用時間や場所など)を決め、守らせる
○ 悪用される可能性のある個人情報について、子どもと話し合う
○ 子どもの様子をよく観察する
■ 子どもとの約束
○ 裸や下着姿の画像を要求されても、絶対に送らない
○ 裸に限らず、インターネット上にアップされたら困る写真は友だちにも送らない
○ インターネットで知りあった人には絶対に1人で会わない
○ 名前や年齢、住んでいる場所や学校名、携帯電話番号・IDなど、個人情報にあたるものは、他人には絶対に教えない
○ 困ったときや、おかしいと思ったときは、すぐに親に相談する

▼ 狙われるのはどんなとき?悪質な「盗撮」の手口
次に、ここ数カ月で起きた「盗撮」の事犯をご紹介しましょう。
・商業施設の試着室で、小1女児2名が着替える様子を盗撮した男を追送検。「抵抗せず、周囲に保護者のいない女児を狙った」と供述。自宅PCからは、盗撮した女児480人の映像を確認(京都府 9月)
・書店で小5女児のキュロットスカートの下にスマートフォンを差し入れ、盗撮した男を逮捕(広島県 8月)
・商業施設のゲームコーナーで小3女児のショートパンツの裾をめくって下半身に触れ、デジタルカメラで撮影した男を逮捕。「抵抗しないと思った」と供述(京都府 8月)
・小学校体育館に侵入して女児の着替えを盗撮しようとした20代男を逮捕。児童が床にあったビデオカメラに気付いて発覚(埼玉県 8月)
・書店で本を選んでいた小6女児のスカートの中をスマートフォンで撮影した男を逮捕。不審な男に気付いた女児が、一緒にいた父親に相談し、防犯カメラで犯行が発覚(京都府 6月)
盗撮の犯行場所に選ばれているのは、商業施設をはじめ不特定多数が出入りする場所が多いですね。
家族連れが多い健全で楽しい場所でも、盗撮の場として選ばれることがあるのです。子どもは目の前のことに夢中になっていると、背後の気配に気付かないことがあるため、本を選んだり、ゲームに興じたりしているときは、特に狙われやすいと言えます。
「抵抗せず、周囲に保護者がいない子を狙った」という供述からもわかるように、子どもだけでいるときは狙われる可能性があると考える必要があります。
保護者が一緒に外出するときは保護者が注意を払い、子どもにも盗撮の危険について教えていただきたいと思います。
■ 保護者がすべきこと
○ 過度にかわいらしい服装や露出の多い服装はさせない
○ スカートのときはスパッツをはかせる
○ 公共の場では子どもの姿勢や座り方などにも注意を払う
○ 子どもの身辺をよく見て、不審な動きをする人が周囲にいないか常に注意する
■ 子どもとの約束
○ 階段やエスカレーターでは、後ろに注意する
○ 遊びに夢中になりすぎず、ときどき後ろを振り返る
○ 不審な動きをする人や、近寄ってくる人がいないか注意する
○ 写真を撮らせて欲しいと言われても決して応じない

* * * * * * * * *

警察庁の調べによれば、児童ポルノ事犯の約8割がインターネットに関連しているそうです。
写真データはパソコンやスマホに保管されることが多いため、盗撮の画像も、自画撮りの画像も、いつインターネット上に流出してもおかしくはありません。
インターネット上に一度流出した画像は削除が困難です。
児童ポルノ被害を未然に防ぎましょう。 


眞子さま浮上した“釈明会見”必要論…陛下の初言及で急務に

2021-03-11 11:00:00 | 日記

下記の記事は女性自身オンラインからの借用(コピー)です


「秋篠宮さまは結婚を認める考えを示されましたが、陛下はどのようにお考えですか」

天皇陛下の61歳の誕生日を前に開かれた記者会見。眞子さまの結婚に関する質問が投げかけられると、会場にピンと張り詰めた空気が漂った。柔和な陛下のご表情が引き締まる。そして、陛下はこうお答えになった。

「眞子内親王の結婚については、国民の間で様々な意見があることは私も承知しております。このことについては、眞子内親王が、ご両親とよく話し合い、秋篠宮が言ったように、多くの人が納得し喜んでくれる状況になることを願っております」

陛下が、眞子さまの結婚問題について初めて言及された瞬間だった。この回答に、宮内庁関係者は驚いたという。

「秋篠宮さまの言葉を引用されながら、現状では“多くの人が納得し喜んでくれる状況”には程遠いとの認識を示されたといえます。陛下は、現時点でこの結婚には心から賛成しているわけではない、ということを示唆されたのだと感じました。事前に雅子さまにも相談されたうえでのご回答のはずですから、雅子さまも陛下と同じお考えではないでしょうか」

歴史学者の河西秀哉・名古屋大学大学院准教授は、陛下の「眞子内親王の結婚については、国民の間で様々な意見があることは私も承知しております」とのお言葉に注目すべきだと語る。

「天皇陛下は、国民のなかに反対論や疑念があることを十分に認識されているということです。象徴天皇制は国民の支持なくしては存立しえないものですから、現状では結婚を認めることはできないと考えているのでしょう。“多くの人が納得して喜んでくれる状況”に近づけるためには、やはり本人たちが国民の前にきちんと出てきて、疑念を生んでいるトラブルについて説明し、自分たちの気持ちを伝える必要があるでしょう。そうすることで、強硬的になっている人々の考えも変わってくるのではないかと考えます」
■小室さんが帰国しない場合、単独で会見の可能性も

’17年9月の婚約内定会見以来、お二人からは文書での説明こそあったものの、会見は開いていない。皇室担当記者は「今回の陛下の発言で、会見を開催する必要性が高まった」と話す。

「陛下が求める“多くの人の納得”を得るためには、単に小室家の金銭トラブルについて説明するだけでは不十分といえます。眞子さまは、事態を打開するために小室さんと二人で会見を行う必要性をお感じになっているのではないでしょうか」

だが小室さんは現在、ニューヨークに留学中。しかも、5月にロースクールを修了し、7月にはニューヨーク州の司法試験を受験するとみられている。金銭トラブルへの対応も、代理人弁護士に一任している状態だ。

「もし、会見のために帰国するとなれば、出入国のための隔離期間も生じます。弁護士資格取得のために猛勉強を続ける小室さんにとっても大きなロス。しばらく帰国の予定はないようです。これまで秋篠宮さまから説明を求められても十分に応じず、逃げ続けてきた小室さんに、天皇陛下からの発言の“重み”が伝わっているかどうかも疑問です。天皇陛下の“問題解決指令”に焦燥感を抱いていらっしゃる眞子さまとは、深刻な温度差が生じているのではないでしょうか……」(前出・皇室担当記者)

小室さんがあくまで帰国しないという選択に固執するならば、それは眞子さまにとって“釈明会見を開くなら独りで”という非情な宣告に等しいものだ。

「眞子さまと小室さんは10月には30歳の誕生日を迎えます。コロナ禍もあって断念されましたが、眞子さまは昨年中に入籍する計画を練っていたほど。どうしても20代のうちに結婚したいという願望をお持ちのようです。眞子さまは、小室さんが帰国しないのならば独りでも会見を行うおつもりもあるのではないでしょうか」(前出・宮内庁関係者)

ただ、すでに結婚延期決定から3年もの月日がたっている。ここから国民の評価を覆すのは並み大抵のことではないだろう――。


医療者は軽症でも重症でも患者に「希望」を提供することが大切

2021-03-11 08:30:00 | 日記

下記の記事は日刊ゲンダイデジタルからの借用(コピー)です


自ら死を願う筋萎縮性側索硬化症(ALS)の女性患者(当時51)の望みを、SNSで知り合った2人の医師が薬物を投与して殺害したとされる嘱託殺人について思うところを前回お話ししました。法律上も倫理上も認められていない医療行為を個人的な考えで実行したルール違反は絶対に許されません。

 常に患者を守る側に立つ。医師としての大原則です。しかし、医療の現場では、病気と闘っている患者さんが「もう死にたい」という思いを抱く場面が実際にあるのは事実です。それでも、医師は患者さんに「死」ではなく「光」を見せられるように尽力するものです。

「頑張りましょう」などと励ます行為そのものが治療に反する行為になるような精神疾患がある患者さんに対しては、それに類する言葉や行為は控える必要があります。こうしたケースは例外として、一般的に患者さんが病気や治療によって身体的にも精神的にも苦痛を感じていて死を望むような状況では、まず、そうした思いを抱かせないような医療環境やコンディションをつくることが前提になります。たとえば、尿管結石のようなとんでもない痛みを感じたことがある人ならば、「こんなに痛むのならば死んだ方がましだ」と思った経験があるのではないでしょうか。

そういった患者さんが感じている苦痛を少しでも取り除けるような手だてを模索し、実践することで、治療に対する前向きな姿勢を生み、生きる権利を見いだしてもらうのです。

■医療は確実に進歩している

 それでも、患者さんの思いが変わらないようなら、「希望」を見つけられるような可能性を伝えます。そのためには、医師と患者さんがお互いに共有している現時点での医学的な知識や情報よりも、先=未来にあるものを患者さんに理解してもらわなければなりません。

 たとえば、末期がんで残された時間が少ないことを自覚している患者さんが、「一日でも早く楽になりたい……」といった思いを口にした場合、まずはいまよりも痛みやつらさを少なくする治療法を一緒に考えます。そのうえで、新しい治療法によって、がんは消滅しないまでも共存しながら日常生活を送れる時間をつくれるようになる可能性がある、といったお話をします。がんの縮小が見られたらすぐに画期的な特効薬を使える可能性について話すのもよいでしょう。

分子標的薬のオプジーボが登場したように、近年はそれに近いことができるような新しい治療法がどんどん出てきています。たとえばインフルエンザを考えてみても、50年ほど前まではワクチンも急性期治療薬もなく、たくさんの人が亡くなっていましたが、いまは助かるようになりました。抗がん剤にしても、かつては定期的に投与しながら日常生活を送ることができるケースは少なかったのですが、いまは抗がん剤治療を受けながら、それまでと変わらないように仕事をしたり生活を送っている患者さんが当たり前になっています。

 長いスパンで見ると、それくらい医学は進歩しているのです。しかも、いまはテクノロジーが急速に進化しているので、これまで何十年もかけて実現させてきたことが、たった1日でできるようになる可能性もゼロではありません。医療者側は常にそうした最新の知識や展望を持ち、患者さんに提示できるようにしておかなければなりません。現状に絶望してしまう患者さんには、いかに希望や光を見せられるかが重要なのです。

残された時間が少ない患者さんの中には、「将来的に実現するであろう医学の進歩を自分は受けられないけれど、自分が亡くなったあとに病理解剖して、同じ病気で苦しんでいる人たちを救うための新たな治療法のヒントを見つけてほしい」と、自身の体を未来の医学のために提供される方がいらっしゃいます。

 そうした患者さんは、医師との間に十分な信頼関係が築かれているうえ、自分の人生の総括として自分自身を医学の発展のために捧げようという思いになるのでしょう。人間愛の究極の形といえるでしょう。

 もちろん、すべての患者さんにそうした思いを抱いてもらう必要はありません。ただし医療者は、どんなに軽症だろうが重症だろうが、患者さんが少しでも未来を意識できるような「希望」を提供することが大切です。患者さんが訴える苦痛やつらさ、いわれもないクレームまでひっくるめて、すべて受け入れられるだけの器の大きさが求められます。それこそが患者さんを守る「医療安全」の文化といえるのです。

天野篤
順天堂大学医学部心臓血管外科教授