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「トイレは干上がり、ゴキブリが大量発生」ゴミ部屋に愛着をもつ70歳女性の孤独

2021-03-07 15:30:00 | 日記

下記の記事はプレジデントオンラインからの借用(コピー)です

「レジ袋などに『大爆弾』を保存している室内です」
昨年12月、ある自治体の地域包括支援センターから、一人暮らしの70歳女性(Sさん)の部屋の片付け依頼が入った。あんしんネット事業部部長の石見良教さんは、「ちょっと厄介な現場かもしれない」と口にした。
「ションペット(尿を入れたペットボトル)はないと思いますが、レジ袋などに大爆弾(=便)を保存している室内です」
地域包括支援センターの職員は、依頼の経緯をこう説明する。
「数年前から当センターではSさんの様子を見守ってきました。時折、様子がおかしいことがあって、ご近所の方も心配していたからです。今回は、『カバンがなくなった』と、ここに駆け込んできました。その中に家の鍵が入っていたんですね。それで一緒に警察署に行くと、どなたかが道端に落ちていた鍵を届けてくれていたんです。警察署から鍵を受け取り、念のため私がご自宅までお送りすると、室内にゴミが溜まっていたことがわかりました」
1DKの室内を、私を含めた作業員4人で、依頼人が指示した物を捨てることになった。現場チーフは、連載第6回・7回でも一緒に仕事をした平出勝哉さん。
いつもより防臭効果の高いマスクをし、便に触れる可能性を考えて軍手でなくビニールのゴム手袋をはめる。
撮影=笹井恵里子
いつもより防臭効果の高いマスク
ノックすると、Sさんがドアを開けた。白髪交じりの長い髪をゆるやかに束ねている。口元は使い捨てマスクをしているが、なぜか上部が茶色くしめっている。
Sさんの背後に、透明なゴミ袋の山が見えた。手前に2畳程度のキッチン、奥に6畳ほどの1室があるが、床は見えない。あらゆる物が45リットルのゴミ袋におさめられ、室内はどこも“ゴミ袋の上にしか立てない”状態だ。トイレや風呂は、ドアの前にゴミ袋が積み上げられて使えなくなっていた。
室内からは「カート」が全部で7台も出てきた
「あの、片付いていなくて……」
Sさんは私たちを見ながら、おどおどと言う。平出さんが「大丈夫ですよ」と優しく声をかける。室内に「床が見えるスペース」ができるまで、「玄関付近の外にいたほうがいい」と提案した。作業を始めて数十分もすれば、室内にスペースができますから、と説明する。
依頼人のSさん。足がむくんでいた(撮影=笹井恵里子)
結局、Sさんは玄関ドアから2メートル程度離れた屋外の柱の近くにいることになった。貴重品の詰まったキャスター付きのショッピングバッグ(Sさんは「カート」と呼ぶ)を自分の前に置き、それに寄りかかるようにしている。ズボンの裾は膝のあたりまでめくれていて、そこからのぞく足がむくんでいた。以前、終末期の訪問診療の同行取材で、似た足のむくみを見たことがある。さらにどこかにぶつけたらしい傷跡もある。痛みを感じないのだろう。重度の糖尿病かもしれない、と思った。
この日は手袋、マフラー、コートでフル装備をしても、身震いしてしまうほど寒かったが、Sさんはカーディガンを羽織っているだけだった。
「寒くないですか?」
私が尋ねると、「大丈夫」とうなずき、「部屋にあるカートには、中身が入っているかもしれない」と心配そうにつぶやく。室内からショッピングバッグが全部で7台も出てきた。Sさんと一緒に中身を確認し、どれも空だったので「処分」にまわす。
「緑色のバッグはいるの!」
Sさんに断ってその場を離れ、私も室内に入った。ゴミ袋の中身は汚れたティッシュが多い。そのほか、普段から使っている様子のスーツケースやカバンなどもゴミ袋に入っている。室内には、むき出しで置いてある物のほうが少ないくらいだ。本人なりの“仕分け”なのかもしれない。
ゴミ袋の山を整理していると、布製の黄色や青色のバッグもたくさん出てきた。中身を確認しながら処分を進めていると、
「緑色のバッグはいるの!」
と、玄関付近からSさんの叫ぶ声がした。作業員同士で顔を見合わせ、
「緑ですね。わかりました。とっておきます」
と、玄関に向かって返事をした。「緑色のバッグ」はなかなか見つからない。ようやくゴミ山の下から出てきたものは、薄手のエコバッグのようなものだった。ゴミ山から出てきたくらいだから、もちろん使っている形跡はない。中をのぞくと透明なビニール袋が入っているだけだった。
「この緑色のバッグが必要なんですか?」
Sさんの近くまで行ってそれを確認すると、彼女はうなずいて無言で私の手から奪い取る。
水道が止まっていて、トイレが使えないために…
室内のゴミ袋やバッグを運びだしていくと、至るところからゴキブリが出てきた。1DKの中で、私が見ただけでも100匹はいただろう。
しかも勢いのあるゴキブリだ。物をどかして室内の照明に照らされるとサーッと動き出す。食品保存用のプラ容器の中にもゴキブリがいて元気に走りまわり、勢いあまってゴキブリ同士でぶつかっている。適度に暖かく、食べ物は豊富、ゴミ山による死角も多く、きっと住み心地が良いに違いない。大中小とさまざまなサイズのゴキブリがいて、中には半分体がちぎれていたり、物につぶされて圧死しているものもいた。
このようなゴミ袋が山積みされていた
むきだしの荷物も、ゴミ袋に入っている荷物もカビが生えている。袋同士の隙間から、未開封のサバ缶やお茶のペットボトルが大量に出てくる。なぜか消毒薬も多い。木箱に入って「新米」のシールが貼られた、未開封の米も出てきた。もちろん数年前のもので、もはや“新米”ではない。
そして予想通り、「便」も大量に出てきた。作業前はトイレの前にゴミ袋が山積みだったので中を確かめることができなかったが、室内の荷物を搬出した後にトイレのドアを開けてみると、そこにはビニールに包まれた大量の便があった。水道が止まっていて、トイレが使えないようだ。
作業員が「なんか臭うな…」とつぶやいた
水道料金を支払っていないからではない。本人は「水道が壊れている」と主張するが、どうやら元栓を閉めているらしい。「蛇口をひねると、水がびしゃーっと止まらなくなるの……」と言う。「もし水が止まらないことがあったら、また元栓を閉めればいいですから」と説得して、開栓し、水道を使える状態にしておくことになった。
生前・遺品整理会社である同社は、便の回収はできない。後日、自治体の清掃事務所に回収をお願いすることになるという。
休憩中、トラックの荷台近くで、一人の作業員が「なんか臭うな……」とつぶやいた。ゴミに紛れて少しだけ、便が処分ダンボールに入ってしまったようだった。
「サービスで1、2箱(便が)入っている」
と、平出さんが冗談めかして答える。
「フレッシュな臭い」
つらい現場もジョークに代えてしまうのが同社現場のいいところ。けれど私はこの日は、皆と一緒に笑えなかった。
Sさんはゴミ袋がなくなっていくことが不安そうだった。作業員が処分用のダンボールに入れる様子を凝視し、たびたび「それは何?」と尋ねる。物を見せて、「いりますか?」とたずねれば「いる」と答える。けれど、こちらが「汚れているから」と説明して、処分の方向に促せば、納得するものの、部屋が片付いていく様子にうれしさが感じられなかった。依頼人の満足が得られないと、作業を続けることがむなしい。
コインで床面をごしごしと削り始めた
片付けが進むとともに、室内の床がだんだん見えはじめ、Sさんは部屋の片隅に椅子を置いて腰掛け、私たちの仕事をながめるようになった。
長年、ゴミ山で覆われていた床面には、大量のカビが発生していた。それを見ると、Sさんは椅子から降りてしゃがみこみ、床に落ちていたコインでごしごしと削り始めた。だれも入り込めない、孤独な雰囲気を感じて、私はたまらない気持ちになった。
床はカビだらけだった
「こちらでやりますよ」
声をかけたが、Sさんは首を横に振る。そしてまたゴシゴシと一人、床をこする。そのまわりをゴキブリが走る。孤独死現場であれば殺虫剤を使うところだが、生活している環境では、むやみやたらに使えない。
作業が進んで物が少なくなると、室内が寒く感じた。電気が止まっているため、備え付けのエアコンは使えない。
「電気も使えるようにしたいですね。電気のない生活はどれくらいなんですか」
作業の途中で、平出さんが尋ねる。
「2年くらい……」とSさん。部屋の片隅には何年も使っていないという冷蔵庫がほこりをかぶっていた。


「パソコンは電話がかけられない?」佐藤愛子“ネット語”学ぶも大苦戦

2021-03-07 13:30:00 | 日記

下記の記事はAERAdotからの借用(コピー)です

インターネットがわからなくたって生きていける……。この持論をある日、目にとまった書評でガラリと変えた佐藤愛子さん。数えで99歳になるベストセラー作家は、孫を先生にインターネットを学んでみることにしたのだが、「パソコンは電話がかけられない?」……。抱腹絶倒の発見を綴った特別寄稿の後編。

*  *  *

 そんなある日、文藝春秋の私の担当編集者山口女史から電話がかかって来た。用件というのは以前に文庫出版された「老い力」というエッセイ集についての相談である。山口女史はこういった。

「あの『老い力』のテキストデーターをオンラインに」

 ここまではここに再現出来るのだが、その後がいけない。山口女史が何をいおうとしているのかがわからない。わからないから返事が出来ない。彼女は返事を待っている。答えないのは聞こえないからではなく、オンラインとはどういうことかわからないからなのだ。だがそういう私の苦況は山口女史には理解出来ないだろう。この文明の世にそんなことがわからない奴がいるとは夢にも思わないだろうから。オンラインだけではない。山口女史はその後の説明の中で、私には未知のインターネット語(?)を使ったのだ。

 そのインターネット語は三つもあって、そのため私はチンプンカンプンだったのだ。

 その後山口さんに会った時、私はチンプンカンプンになったわけを説明したところ、彼女はそのインターネット語とやらは私は三つも使っていません、普通にしゃべっただけですといった。そういわれてみるとそうだったかもしれない。やっぱり私の耳は大分悪くなっているのだな、と思う。もう以前のように自分の思い込みに固執しない。しないというより、出来ない。素直なものだ。一瞬暗澹とするが、それもすぐ忘れる。

 インターネット、そんなもん、わからなくたって生きていける……。今までに何度、私はそういって来たことか。娘や孫相手ばかりでなく、心許した編集者、私を奇人変人と思っている友人、佐藤愛子らしいいつもの「放言」と聞き流してくれる人ばかりでなく、真面目なインタビュアにまで本気でいってきた。本気だ。全く本気で、真面目に私はそう確信していたのだ。

その確信が揺らいだのは、留守中に届いていた宅配便を見た時である。

「ご不在連絡がスマホに届く!」

 という貼紙が包みの上に「これ見よ!」とばかりに貼りつけてあったのだ。

 私は意味不明のその貼紙を、意味不明であることに腹を立てて剥ぎ取って丸めて捨てた。

 そんなもん、わからんかて、生きていくワイ、と胸に叫んだ。私は感情が高まると生れ故郷の言葉になる。

 そうこうして(インターネットを無視していると、生きて行けない時が来るかもよ、と誰かに言われたことがあったが)、それを切実に思い出す時が来たのである。

 ある日の朝日新聞の書評欄にぼんやり目を向けていた時のことである。

「……私はこの社長が大好きだ」

 という一行が目に飛び込んで来た。この頃の私の視力はとみに衰えて、新聞は読むというより「眺める」という見方になっている。視線を漂わせていると、向う(つまり紙面)の中から言葉、あるいは文章が飛び出してくることがあり、「おっ!」と思って改めて読み直すという読み方になっているのだ。

「一番好きなシーンは、会社のパソコンがウイルスに感染したのは自分がインストールした囲碁ソフトのせいではないかと社長が怯えるくだり。私はこの社長が大好きだ」

 それは長嶋有さんの「泣かない女はいない」という短篇小説についての歌人の山田航氏の批評である。私の目が引き寄せられたのは「私はこの社長が大好きだ」という一行だった。小説の登場人物を「大好きだ」と書く書評は珍らしい。その「大好き」の一言で私は「泣かない女はいない」を読みたくなった。書評で「大好き」といわれる社長はどんな人物なのか、私は読まないうちからもう、この「社長」を好もしく思っているのだった。


 だがその一方で、私は気がついていた。「会社のパソコンがウイルスに感染したのは自分がインストールした囲碁ソフトのせいではないかと怯える」とはどういうことなのか、私にはわからない。パソコンがウイルスに感染?

「ウイルスとは超顕微鏡的大きさ(約二〇~二六〇ミリミクロン)を有し、生物に寄生し、生きた細胞内でのみ増殖する微粒子。形は球状、棒状などの他、頭部と尾部とをもつものもある……」

 広辞苑はそう説明している。それ以外に「ウィリス」といえば「イギリスの医者、戊辰戦役に官軍のために治療に従事云々」というのがあるだけである。仕方なく(したくはないが)私は娘を書斎に呼んだ。パソコンがウイルスに感染したってどういうこと? 娘は「またかいな」という顔になった。面倒くさそうにいった。

「ウイルスってのはパソコンを壊してしまうデーターのことよ」

「ふーん」といった後、私は少し黙り、それから呟いた。「何のことか、さっぱりわからん……」そしていわでものことを言った。

「広辞苑で調べたら、形は球状、棒状などあって頭と尻尾があるって書いてあったけど」

「それって、いつの広辞苑?」

 えらそうに娘はいい、机の上の広辞苑を開いていった。

「なにこれ、昭和三十年五月に発行されてるんじゃないの。新しいのを買いなさいよ」

 それは表紙裏おもて、手ずれどころかガムテープを二重三重に貼ってそれでもボロボロは隠せないといった代物(しろもの)で、私が三十才を幾つか過ぎた頃、正式にというのもおかしいが、小説家を目ざそうと、本気になった時に買ったものである。昭和三十年じゃ、インターネットなんて影も形もないもんね、と娘はいい、「新しいのを買いなさいよ」といって部屋を出ていった。

 その後、私はインターネットの勉強を始めた。孫が先生である。新しく買って来たノートに書いた。

「ケイタイ。
 相手を呼び出し、会話する。(電話の機能)
 メールのやりとり。
 カメラ撮影」

「パソコン(パーソナルコンピューター)
 あらゆるジャンルの情報が詰っている。
 わからない文字、その意味などすぐわかる。
 文書作成。小説も書ける。
 計算も出来る」


 何しろ孫が先生だから、書き方にとりとめがない。わかったような、わからないようなハッキリしない頭で私は書く

「スマホ(スマートホン)ケイタイ電話プラスパソコン。つまり電話をかけられるパソコン」

 そこで質問した。

「じゃあパソコンって、電話をかけられないの?」

「かけられない」

「じゃあスマホは? 電話かけられる?」

「かけられるよ。電話だもの」

「でも電話だけじゃないんだよね」

「そうだよ。だってコンピューターみたいなもんだもの」

「じゃあスマホはパソコンなの?」

「違うよッ! 電話だよッ!」

 孫は怒り、私は勉強をやめた。


 私は黄土色のソファに座って今日も庭を見ている。蝋梅は散った。白梅がほころび始めている。目の前にテレビはあるが、見るためにそこにいるわけではないから、見ない。ぼんやりと私は思っている。

 ──そもそも文明の進歩とは、人間の幸福を目指すものではなかったのか?

 今は何を目指している?

 ただ思いをめぐらせているだけで、答を求めているわけではない。すぐに忘れる。それからまた思う。

 ──文明は進歩しているが人間は進歩しているのか? 劣化ではないのか? 進歩していると思いながら劣化していっているのではないのか?

 かつては同じことを激越にしゃべったものだ。

 そして聞き手を困らせたものだ。今は思うだけだ。ぺらぺらしゃべると疲れる。孫が聞いたらいうだろう。劣化しているのはおばあちゃんじゃないの、と。


 だが、こうしているのも悪くないのだった。これはこれで悪くない。何をしたい、何を食べたい、誰に会いたい、どこへ行きたいということがなくなっている。脚萎えになったら人に迷惑をかけるから鍛えなければ、とも思わない。

 黄土色のソファの一部になって私は生きている。これでよい。これ以上に望むことは何もない。九十七年生きて、漸くそう思えるようになってきたことを有難いと思うことにする。(了)


大腸がんは「痛くない検査」で早期発見と根治を目指せる

2021-03-07 11:00:00 | 日記

下記の記事は日刊ゲンダイデジタルからの借用(コピー)です

年々増加しているのが大腸がんだ。がん死亡率の高さでは肺がんに次ぐ2位で、女性に限れば最も死亡率が高いがんである。

「21世紀は大腸の時代といわれています。ピロリ菌感染は終息して胃がん罹患者は減少。C型肝炎も薬で治るようになってC型肝炎による新規肝臓がんは減っていきます。一方で、大腸がんは増えているのです」

 こう指摘する広島大学病院内視鏡診療科教授の田中信治医師によれば、かつてアメリカは「大腸がん大国」といわれていた。しかし、現在は死亡率が減少。それは食生活改善が功を奏したのではなく、50歳以上は無償で大腸内視鏡検査を受けられるという国策によって、検診が普及したからだ。便潜血と内視鏡を合わせると受診率が約7割になり、死亡率減少につながった。

 一方、日本では便潜血検査が大腸がんの1次検診となっているが、便潜血の受診率は、職場での検診62.8%、人間ドック68・7%、自治体など地域検診が32.6%。大腸がんは50代から増え始め、加齢とともにハイリスクになるのに対し、定年退職後の受診者が多いだろうと考えられる地域検診が3割と非常に低い受診率だ。

「アメリカの7割と日本の3割の差は大きい。しかも日本では、便潜血検査で陽性になっても、その次の精密検査である大腸内視鏡検査の受診率は6割程度。4割の人が受けていないのです」(田中医師=以下同)

 大腸がんは早期に発見すれば内視鏡で根治できる。大腸内視鏡検査を受けないのは、早期発見のチャンスを逃していることになる。

 大腸がんは前述の通り50代から発症リスクが上がる。50歳を越えたら便潜血検査または大腸内視鏡検査を受けるべき。大腸がんは親や兄弟姉妹に発症者がいる場合にリスクが高くなる。特に家系にがん患者がいて、50歳未満で大腸がんなどを発症していたり、複数のがんを発症している人がいればリンチ症候群の可能性がある。これは、常染色体優性遺伝で約8割が生涯の間に大腸がんを発症するといわれている。疑わしいようなら50歳未満でも大腸がん検診を受けたほうがいい。


「大腸内視鏡検査が恥ずかしいという人がいますが、どこの病院でもお尻部分に切れ目の入ったトランクスをはき、その上に術衣を着て検査を行います。実際に受けてみれば恥ずかしいということはないと思います」

■カプセル内視鏡なら飲み込むだけでOK

 大腸内視鏡検査は痛いから受けたくないと考える人もいるだろう。その場合、大腸カプセル内視鏡という手がある。

 2014年に保険適用取得。これまでは、大腸内視鏡検査では腹腔内の癒着や器質的異常で全大腸の検査が十分に行えなかった場合に適用だったが、昨年4月から適用拡大。3剤の異なる降圧剤を用いても血圧コントロールが不良の人や、高度肥満症で糖尿病、高血圧症、脂質異常症、閉塞性睡眠時無呼吸症候群を1つ以上合併している人などが保険適用で大腸カプセル内視鏡を受けられるようになった。

「大腸カプセル内視鏡は2センチほどで、くるくる回りながら大腸内を撮影します。視野角が内視鏡より広く、カプセルの両サイドにカメラが付いているため、内視鏡では見落としやすいひだの裏側にできた病変や平らな病変も撮影でき、診断能は非常に高い」

 メリットとして、口からのみ込むので痛みがなく、検査中も自由に行動できる。X線被曝がなく、大腸内視鏡検査に伴う偶発症の穿孔も発生しない。

 デメリットは、大腸内視鏡は病変が見つかったらそのまま治療できるが、カプセルではできない。改めて大腸内視鏡検査が必要だ。それでも便潜血検査に続く検査法として、受診のハードルが低い意味は大きい。

「カプセル内視鏡という選択肢があることを知らない人も珍しくない。ぜひこれで、大腸がんを早期発見してほしい」

 早期発見できる人がもっと増えれば、大腸がん死亡率は減少していくことは確実である。


「大腸がん」早期段階ならほぼ100%完治 見つける方法とは


便秘や下痢が続く。腹痛がある……。いずれもよくある症状で、“様子見”しがちだが、忘れてはいけないのは、大腸がんの症状でもあるということ。大腸がんは死亡数が年々増加しているがんだ。命を落とさないために何を知っておくべきか?

■便秘、下痢、腹痛でチェックしてはいけない

「大腸がんの典型的な症状が、便秘や下痢、お腹が張る、残便感、便に血が混じる、腹痛などです。しかし、これらの症状が出てきたら、もはや早期ではありません。進行した大腸がんです。大腸がんは、早期ではほぼ症状がありません」

 こう指摘するのは、大腸癌研究会会長で、光仁会第一病院院長の杉原健一氏。

 大腸がんは早期で発見すれば、治癒の目安である5年生存率が97・7%だ。がんによっては5年を経過しても再発・死亡するリスクが高いものがあるが、大腸がんの場合、5年を経過して再発・死亡するケースはまれ。つまり、早期発見なら“完治可能ながん”とも考えられる。

「前述の通り、大腸がんは早期ではほぼ症状がありません。そのため、早期に発見しようと思えば大腸がん検診を受けるしかありません」

 大腸がん検診には、便に血液が混じっていないかを調べる便潜血反応がある。

 2日分の便を少量取るだけなので簡単、かつ苦痛を伴わない方法だが、残念ながら検診率は50%を切っている。

 さらに、陽性と言われて精密検査(内視鏡検査=大腸カメラ)に進む人は70%弱。つまり、3割強の人が「大腸がんの疑いがある」という結果が出てもスルーしてしまっているのだ。

 その理由のひとつとして杉原氏は、「大腸がんになるはずがないと思っている人が多い」ことを挙げる。

 確かに、便潜血反応で陽性となっても、実際に大腸がんが見つかる人は2~3%。「便潜血反応は陽性でも、多くが異常なしだから、受けなくてもいいのでは」と考えている人もいる。

しかし、便潜血反応の感度(大腸がんの発見度)は、あえて今のレベルに設定されている。腸の粘膜が剥がれ落ちる関係で便にはすべてヘモグロビン(血液中のタンパク質の一種)が含まれているので、感度を高くすると便潜血反応があった人全員が陽性となる。一方で感度を低くすると、疑いがある人を見逃す。ちょうどいいあんばいで感度が設定されているのだ。

 早期では症状がないことを考えると、便潜血反応を受けるべきだ。

■家系に発症者がいる人は要注意

 もし、「自分はもっと感度がいい検査を受けたい」というなら、検査費はかかるものの、最初から内視鏡検査を受けるという手もある。

「特に、家系に大腸がんを発症した人がいて、40歳以上であれば、一度は内視鏡検査を受けるべきです。検査技術が向上して、検査器具も進歩したことから、“思っていたより楽”という人も少なくない。かつて内視鏡検査を受けて痛くて嫌な経験をした人も、現在は違うかもしれません」

なお、便潜血反応であれば、ほとんどの自治体が補助費を出している。無料で受けられることが多いので、受けなければ損だ。

 実は大腸がんは進行した状態、具体的にはステージ3で発見されても、5年生存率は85%と悪くない。

 しかし逆に言うなら、早期なら100%近くの人に完治が期待できるのに、ステージ3では15%が命を落とす。

「早期であれば内視鏡で治療も行えるので、2~3日で元の生活に戻れます。しかし、手術となると、入院期間も長いですし、元の生活に戻るまで1カ月半ほどかかるでしょう」


「眞子さま・小室さん結婚」に「天皇陛下」が異例の言及をされた理由とは

2021-03-07 11:00:00 | 日記

下記の記事はデイリー新潮オンラインからの借用(コピー)です

「説明を受け入れられた」
 天皇陛下は61歳になられた2月23日のお誕生日に先立つ会見で、秋篠宮家の長女・眞子さま(29)と小室圭さん(29)の「結婚問題」に言及された。言及自体が異例のことで、しかも内容が内容だけに物議を醸し続けている。
速報天皇陛下も苦言を呈された、眞子さまのご結婚問題“強行突破” 会見でのお言葉を分析
 宮内記者会に所属する記者からは眞子さまの結婚に関連して、以下のような質問があった。
〈秋篠宮さまは結婚を認める考えを示されましたが、陛下はどのようにお考えですか〉
〈このご結婚に関して国民の間で様々な意見があることについて、どのように捉えていらっしゃいますか〉
 これに対して天皇陛下は、こう回答された。
〈眞子内親王の結婚については、国民の間でさまざまな意見があることは私も承知しております。このことについては、眞子内親王がご両親とよく話し合い、秋篠宮が言ったように、多くの人が納得し喜んでくれる状況になることを願っております〉
 宮内庁担当記者に聞くと、
「天皇陛下にとって弟宮とはいえ、基本的には“よその家のこと”であり、それに触れられるというのは想像を超えていました。その後に各方面に確認したところ、陛下の会見の前に、陛下と秋篠宮さまとがやりとりをされたことは間違いありません。お2人だけの会話ですので、その中身を100%再現することは難しいですが、それぞれのお考えやスタンスがわかってきました」
 それは、具体的にどういったものだったのか?
「まず、秋篠宮さまのお考えから見て行くことにしましょう。去年の誕生日に関連して行われた会見(11月20日)で、“結婚することを認めるということです”とお話になられていて、結婚には反対されていないという風に捉えられてきましたが、実はそうではないようなのです。眞子さまは同じ月の13日に『結婚宣言』を公にされました」
「説明を受け入れられた」
 そこには、《お互いこそが幸せな時も不幸せな時も寄り添い合えるかけがえのない存在であり、結婚は、私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択です》とあった。
「結婚へのゆるぎない意思を伝えるものですが、この内容について、秋篠宮さまに前もってほとんど相談がなかったようなのです。秋篠宮さまはそういった経緯に不信感を抱かれつつも、本人同士の思いを強引に断ち切ることはできないとも考えられている。去年の会見で、《憲法にも結婚は両性の合意のみに基づいてというのがあります》と付け加えられましたが、憲法を自ら持ち出されたことに“驚いた”という反応が宮内庁内で少なくなかったですね。ある種の『諦め』に似た感情ではなかったかとも推察されます」
 同じ昨年の会見で、秋篠宮さまは、〈あくまで私の主観になりますけれども,感じとしては決して多くの人が納得し喜んでくれている状況ではないというふうに思っています〉と付言されている。
「結婚には賛成ではないが、憲法に規定される通り、表立って反対することはできない。『両性の合意』以上に結婚の条件はないけれど、特に小室さんに対し、世論の反応に耳を傾けてもらいたいというメッセージがあったと言われています」
 これに対して、陛下の反応はというと、
「陛下は秋篠宮さまのお気持ちや説明を受け入れられたということです。今回の会見で、秋篠宮さまの言葉を引用されていることからもそれがわかります。去年の『結婚宣言』で眞子さまは、“天皇皇后両陛下にご報告し、気持ちを尊重して静かにお見守りくださっている”と綴っておられ、その時点で陛下は、『結婚容認』というスタンスでいらっしゃったとされています」
 お2人の婚約は平成の御代のことであり、令和を迎えて、改めて天皇皇后両陛下の裁可を仰ぐ必要があったという。
「天皇皇后両陛下の裁可をもって眞子さまも、そして小室さんも安心されたようなのですが、この3カ月の間に、陛下のお考えも微妙に変化したのかもしれません。その理由があるとすれば、依然として続く『世論の強い反発』だということです」
 昨年末には、宮内庁長官も「国民への説明」を公に求めていた。そして今回、天皇陛下による異例の言及を、小室さんはどのように受け取ったのだろうか。