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長引く「親の離婚争い」に死を考えた少女の絶望

2021-03-27 15:30:00 | 日記

下記の記事は東洋経済オンラインからの借用(コピー)です

親の不仲や離婚でつらい思いをした人の話は、これまでにもたくさん聞いてきました。大人たちのせいで申し訳ない、といつも思うのですが、今回はことさらにやりきれない話でした。
連絡をくれた千尋さん(仮名)は高校生。両親はここ10年ほど別居していますが、離婚はまだです。2人とも子どもたちの親権を求め、いまも弁護士を挟んで調停を続けているのです。大好きな妹とは、もう3年近く会えていません。千尋さんは数年前に双極性障害の診断を受け、いまも希死念慮を抱きつつ日々を過ごしているといいます。
11月の休日、買い物客でにぎわうショッピングモールを抜け、約束のカフェへ。千尋さんはボーイッシュな装いの、優しい笑顔の高校生でした。毎度のこと、人の内側にある苦しみは外から見てもわからないことをかみしめつつ、彼女の話を聞かせてもらったのでした。
けんかのたび「父に似ている」と言ってくる母親
千尋さんの記憶にある限り、両親はいつも「けんかをしているか、全然口をきいていないか」のどちらかでした。
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「根本的に性格が合わないな、という。父親も母親も自分がこうだと思ったことは曲げないし、母親はカーッとなると怒りが爆発しちゃうタイプで、話し合いにならないんですよね。だからもう、モノは飛び交うし、手は出るし足は出るし、みたいになっちゃう」
父親が完全に家に帰らなくなったのは、小学2年生の頃でした。仕事が忙しくなり、家では妻とうまくいかず、限界だったのでしょうか。父親が家を出たことに、千尋さんはどこか納得しつつ、また妹が両親のけんかを見ないで済むようになったことに、ほっとしていたといいます。
しかし母親は、父親が出ていったことで精神的に不安定になり、その不安や怒りを、長女である千尋さんにぶつけるようになっていきました。
「けんかをするたびに『父親に似ている』とずっと言われて、父の悪口とともに怒られる、みたいなことが結構あって。当時もふつうに傷ついていましたけど、いま考えたら、相当きついものがあるな、と思います(笑)」
親が子どもに他方の親、つまり別れた配偶者の悪口をいうことで、子どもがどれほど傷ついているか。当連載で繰り返して伝えてきたことですが、まだ世間にはよく浸透していないのでしょうか。両親が別れても子どもからしたら親は親であり、その親の悪口を言われることは子どもにとって、自分を否定されたのと同様に感じられるものですが、しかもその親に似ていると、千尋さんはたびたび言われたわけです。つらかったことでしょう。
「母とはずっとけんかが絶えなくて、それもすごく嫌でした。せっかく3人で仲良く暮らしていこうってなったのに、母親と自分がけんかしていたら意味がない。妹からしたら、結局同じもの(家族のけんか)を見ることになってしまうので」
両親のけんかを見るのをつらく感じていた千尋さんは、妹に自分と母親のけんかを見せてしまうことに、強い罪悪感を抱いていました。本来なら親が負うべき葛藤を、子どもである彼女が背負いこんでいたのです
母親は当時、父親がいつか戻ってくると思っていたようでした。いつしか父親には恋人ができたのですが、母親のなかでは「夫は以前から浮気をしていて、そのせいで出ていった」というストーリーに置き換わり、よく父親に電話をかけては「子どももいるんだから戻ってきなさい」と言っていたということです。
父のもとでの暮らしと、妹に会えなくなった理由
千尋さんは当初、父親のもとで暮らすことは考えていませんでした。父親がどんな生活をしているのか、まったく想像がつかなかったからです。しかし、小6のときに父親に買ってもらった携帯で連絡をとり合うようになってから、徐々に状況が変わっていきました。
「父親と会ったとき、『母とけんかしちゃう』みたいな話が、ぽろっと出ちゃったんです。父親は心配したのか、(親権をとれる)チャンスと思ったのかわからないけど、『そんなに大変なの?』みたいな話をするようになって。
中1の冬頃、母とめちゃめちゃでかいけんかをして、そのとき初めて父親の家に行ったんです。そうしたらちょうど彼女さんがいて、初めて挨拶することになったんですね。感じ悪い人ではなくて、自分はけんかのショックで泣いたりしてたのを慰めてくれて。その日はそれで帰ったんですけれど」
問題は、数カ月後に起きました。千尋さんは「彼女さん」と会ったことを母親に黙っていたのですが、それがたまたまバレてしまったのです。予想どおり母親は怒りを爆発させ、千尋さんを「父親側」とみなし、ますます厳しくあたるようになりました。千尋さんは何も悪くないのですが、こうなるともう、どうしようもありません。
千尋さんが父親のもとで暮らし始めたのは、中2の春でした。この頃にまた母親と激しく衝突し、「どちらかがケガをするまでけんかが終わらない」ような状況に陥ったのです。当時相談していた学校の先生から、「もしまたけんかをして危ない状況になったら、父親のほうに逃げなさい」と言われていたこともあり、父親に連絡して迎えにきてもらい、そのまま父の家に「帰る」ことになったのでした。
父の家での生活は、千尋さんにとって「すごく穏やか」なものでした。幸い転校もせずに済み、また父親のパートナーの女性も家族のことで悩んだ経験があったため、千尋さんの話をよく受け止めてくれたのです。父親と暮らすのは約10年ぶりでしたが、このときやっと「父親ってこんな人なんだ、と認識した」といいます。
大きなけんかを繰り返したものの、その後も千尋さんは母親と連絡をとっており、誕生日やお正月など、ちょくちょく母と妹のもとを訪れていました。ところが高1の春、そんな関係も途切れてしまうことになります。
ある日、母と妹の家から千尋さんが帰ろうとしたとき、母が離婚調停の資料をもち出してきたのです。そこには、千尋さんが父の家に身を寄せるきっかけとなった母とのけんかや、そのとき彼女が負ったケガのことなどが書かれていたのですが、母親はそれを取り消すように求めてきたのでした。
「母親は『こんなことなかったでしょ? うそでしょ?』みたいなことを言っていました。わからないんです、母が本当に忘れているのか、なかったことにしたいのか。そのときは妹もいたし、楽しい気持ちのままで帰りたかったから、『そんな話をしにきたわけじゃないから』ってずっとなだめていたんですけれど、母はその話しかしないし、帰らせてもくれない。
それで最終的に私が警察に『家庭内暴力です』みたいな電話をしました。来てくれた警察の人に事情を説明したら、親身に聞いてくださって。それで父に迎えに来てもらって帰る、みたいな感じでした」
以来、千尋さんは母親との連絡を絶っているということです。帰り際、ドアの隙間から泣いている妹の姿が少しだけ見えたことを、彼女は申し訳なさそうに振り返るのでした。
「自分が生まれてきたせい」で親は離婚できないのか
それから数カ月後。千尋さんの苦しみは、飽和状態に達していました。
「もう、本当につらくなってしまって。でもそのつらいのを周りに見せるのはすごく苦手なので、とにかく明るくふるまっていました。夏休みもいろんな友達と遊びまくって、すごい充実した休みを送った後に、決めたんですよね、そこで死ぬというのを。でも結局、その日たまたま落雷とかの影響で、行こうと思っていた橋が閉まっていて。近くでボーッとしていたら、父が頼んだ警察の捜索で見つかって、今に至るんですけれど。
そこから何度も、生きていくことがつらくなっちゃうときが、どうしてもあって。死にたいっていう気持ちと、それはダメだ、という気持ちが自分のなかで闘うんですよね。その闘いをずっとやっていて、けっこうきついので、自分で心理学の勉強とかするようになりました。自分で勉強して、自分を治療していく、みたいな」
彼女の苦しさはやはり、両親の争いから生じている部分が大きいようです。
「離婚は全然、ずっと進まないんですよ。それは『子どもがいる』っていうせい。親権を決めなきゃいけない、とかってなるから。本来なら3年くらい別居が続いたら別れられると思うんですけど、『子どもがいるから別れられない』ってなっている。
そういうのをずっと経験してくると、やっぱり『自分が生まれたせいだな』って思っちゃうんですよね。そうするとだんだんと、自分が生きていることに対する嫌悪感が芽生えちゃってつらい。周りも自分の存在のせいでいろいろ大変になっているんだったら、『なんで生まれてきたんだろ』みたいな感覚になるし、どうしても自分のことが好きになれなくて」
子どもにこんなふうに感じさせてしまう状況を、この社会をつくる大人の1人として、とても申し訳なく感じます。離婚をめぐって両親が争い続け、子どもがそれを「自分のせい」と感じてしまうような状況は、早く改めていかなければなりません。
千尋さんは「妹に会いたい」と強く願いながらも、その気持ちも押し殺していました。なぜなら、もし父にその気持ちを伝えれば、親権をめぐる調停の交渉材料として使われてしまうとわかっていたからです。もし2人の親権を父親がもつことになれば、母と仲がいい妹が苦しむことにもなりかねません。それは千尋さんにとって、いちばん避けたいことでした。
「妹に関してだけは、本当に自分の感情関係なしに、妹の気持ちを優先で動きたいな、というところがあります。妹も、自分のことを考えて動いてくれる大人が周りにいなかったと思うので。自分と同じだと思うので」
千尋さんはつい最近まで「妹と会いたい」という自分の気持ちさえ、肯定できなかったといいます。信頼する高校の担任に「それは思っていいよ」と言われて初めて「会いたいと思ってもいい」と思えるようになったそうで、いまも「先生たちにはすごい支えてもらっている」と話します。筆者も、先生たちにお礼を言いたい気持ちになりました。
「離婚するっていうのは親の人生の話ですけど、自分がこの世に生んだ子どもは、親の影響を真に受けるので、そこはもう少し気にしてあげてほしいなって思います。親が精いっぱいなのは子どももわかっているけど、子どももそれ以上に精いっぱいで、何もできないので」
この春で高校を卒業する千尋さんの両親が、どうか早く、争いを終わらせてくれますよう。どうか早く、千尋さんが妹さんに再会できますよう。せめて彼女の思いだけでも、妹さんに届くことを、願わずにいられません。



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