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最期は家に帰りたい」6年間のがん闘病の末に帰宅した70歳女性は、家族に囲まれ、笑顔で逝った

2021-09-25 15:30:00 | 日記

下記の記事はプレジデントオンラインからの借用(コピー)です。

あなたは、どこで死にたいだろうか。多くの人は「自宅」と回答する。特に医療従事者ほどその傾向が強い。しかし現実は異なる。現在、日本では8割の人が病院で最期を迎える。「家で死ぬ」にはどうすればいいのか。そのとき、どのような最期を迎えることになり、家族はなにを思うのだろうか。
※編集部註:厚生労働省の「人生の最終段階における医療に関する意識調査」(平成29年度)によると、末期がんと診断され、人生の最終段階の状況において過ごす場所について、一般国民の47.4%が「自宅」と回答した。医師は66.5%、看護師は69.3%、介護職員は61.8%で、医療従事者は一般国民より自宅を希望する割合が高かった。
末期がん特有のだるさや痛みが相当あったはずなのに
「もう十分生きたわ。幸せだった」
看護師の小畑雅子さんが訪問看護をしている様子。
6年間がんと闘病した柿谷厚子さん(70歳)は、自宅の、玄関が見える位置に置いたベッドの上でそうつぶやいた。亡くなる前々日、訪問看護師の小畑雅子さんが厚子さんの体をさすっている時のことだった。
「幸せ」という言葉が、小畑さんの胸に響く。
「厚子さんは自分がこの世からいなくなることを理解されていました。しかも末期がん特有のだるさや痛みが相当あり、どんなに苦しいだろうっていう時です。私だったらそこで『幸せ』って思えるだろうか、言えるだろうか。すごい人だと思いました。恨み言も不安も口にせず、最後まで笑顔いっぱいだったんです」
次男の柿谷徹治さんは、身の回りの世話をしていた際、横たわる厚子さんから「ありがとう」と声をかけられた。
「いや、特別なことじゃないから。ありがとうなんて言わなくていいよ」
徹治さんは母親の顔を見ずに、そう答えるのが精いっぱいだったという。
その翌日の2016年10月2日が、厚子さんの命日になった。
担当医から「治療しても余命3年」と告げられた
厚子さんががんと診断されたのは、2011年11月。「腰が痛い」と、地域にある大病院を受診した。CTには肝臓に4つのがん、尿管に大きながんが映し出された。がんが尿管を圧迫していて、一つの腎臓が機能していない状態だったのだ。肺にも小さなかげがあった。入院し、時間をかけて原発がん(最初に発生したがん)を調べると、大腸がんであることが判明。肺や肝臓にあるがんは、大腸がんからの転移であり、がんがかなり進行した「ステージ4」という診断が下された。その時点で、担当医から「治療しても余命3年」と告げられた。厚子さんの夫、柿谷嘉規さんは悔しそうに振り返る。
「その年の6月にも『腰が痛い』と、以前大腸ポリープを切除した診療所にかかったんです。でも診療所の先生は『お年だから』と。女房はその時、65歳でした。あの時もっとちゃんと病歴などを調べてもらったらって……」
担当医は厚子さんに病名と病状を告げた。家族の心配をよそに、厚子さんは自分の体ががんに冒されていることをしっかり受け入れたという。
「母の姪は、30歳の時に胃がんで亡くなっているんです。それに比べて自分は、僕も兄も大きくなるまで生きることができた。兄夫婦の子供、つまり自分の孫にも出会えた。だから仕方ない、と思ったようです」(次男の徹治さん)
まもなく抗がん剤治療が始まった。
息子の徹治さんは病院に「休薬」を申し出た
家族は病院での治療だけでは心もとないと感じ、厚子さんに都心の免疫療法や温熱療法などを勧め、その治療も平行して行われることになった。
当時は、周囲が「本当にがんなんだろうか」と疑うほど厚子さんは元気だったという。さまざまな治療に通うのに、厚子さん自ら車を運転するぐらいなのである。
ところが新しい抗がん剤を試しはじめると、副作用で体調が悪化していった。
「髪の毛は抜けるし、上の血圧が200ぐらいまであがるし、全身も湿疹だらけで……。食欲も出なくなっていったんです」と、嘉規さん。「大病院の医者は女房の顔を見ずに、パソコンばっかり見ておったから」と怒る。
徹治さんは病院に「休薬」を申し出て、セカンドオピニオン(担当医以外に「第2の意見」を求めること)のために都心の病院を訪ねた。
「当時は僕も東京にいたし、兄も都会に住んでいましたから、実家のある田舎の病院で受ける治療に不安がありました。都会みたいにいろんな病院を選べるわけじゃないですから。もちろん選べないからこそ、かえってここで頑張ろうと、決断しやすい面もあるかもしれません。でも、あの時は簡単に割り切れませんでした。東京なら病院を選べるのにと思って、『僕の家に来て治療を受けないか』と提案したこともあります。でも、母は『うん』とは言わなかった」
厚子さんにしてみれば、夫を一人で残すことに不安があったのだろう。
抗がん剤を変更すると、たちまち元気になった
セカンドオピニオンでは、現在の治療方針でも問題ないといわれた。地元の病院での抗がん剤治療が再開された。
「ただし副作用の強かった抗がん剤は変えてもらいました。たとえ抗がん剤が効いたとしても、ひどい副作用に悩まされるようでは、生活の質が維持できません。そこは本人だけでなく家族が判断し、医師に伝えていく必要があるのではないでしょうか。実際に母は抗がん剤を変更してたちまち元気になったんです」(徹治さん)
70歳で亡くなった柿谷厚子さん。この写真が遺影にも使われている。
その後も抗がん剤の種類を変えながら、それなりに効果が続いていった。
4年後の2016年、腫瘍マーカーの値が下がらなくなり、食欲が急激に低下した。
柿谷家にとって、いつもケタケタと笑う厚子さんは、太陽のような存在だ。夫の嘉規さんも、次男の徹治さんも、言葉の端々に「絶対に失いたくなかった」という思いがにじむ。「がん末期にラドン温泉がいい」と聞けば、家族で湯治に出かけた。「がんに効くという水」があれば、片道4時間かけて徹治さんが何十リットルもの水をくみにいった。
しかし——2016年8月、ついに抗がん剤が効かなくなった。
厚子さんは「最期は家で過ごしたい」と応えた
「もって2カ月でしょう」
担当医は家族にそう告げた。そして「この後はどうしますか?」と問いかけた。治らない患者を前に、もう熱心に治療する気がないようだった。
「(抗がん剤が)効かないから、次は緩和治療のために緩和病棟に移ってください、と流れ作業のように言われたんです」。徹治さんは当時を振り返り、「もっと向き合ってもらいたかった」とつぶやく。
夫の嘉規さんは抗がん剤が効かなくなったことだけを妻に伝えると、厚子さんは「最期は家で過ごしたい」と応えたため、家族は担当医に「在宅診療に切り替えたい」と申し出た。
「女房の母親がずっと病気のため入院していて、手術が終わった後に目が覚めないまま帰らぬ人になってしまったんです。それが本人はすごく悲しかったみたいですね。家族が立ち会えないこともそうだし、最後の瞬間に自分の意識がないまま逝く、というのが嫌だったようです。そういう意味で在宅を希望したんでしょう。女房は介護ヘルパーをしていたんで、在宅の状況も、自分の死期もよくわかっていたと思います。本人は緩和治療に否定的だったのですが、元同僚のケアマネジャーさんに説得されて訪問看護師の方を紹介してもらい、訪問医にも来てもらう体制を整えました」
「小畑さんがうちに来るとぱっと明るくなって」
この時に出会ったのが、のちに厚子さんの心を支える訪問看護師の小畑雅子さんだ。小畑さんはいつも笑顔を忘れず、時にユーモアをまじえて周囲を和ませながら、キビキビと働く。だが陰では、患者や家族のことを案じて、たびたび涙を流す細やかな人でもある。
徹治さんも「親しみやすくて、小畑さんがうちに来るとぱっと明るくなって」と言う。
筆者撮影
柿谷徹治さん夫妻。厚子さんのことを振り返ると自然に笑顔となる。
「母が頼りにしているのがわかりました。ケアマネジャーさんもさまざまな手続きを進めてくれて、車いすや介護ベッドをすぐに用意してくれました。私たちを遠慮なく呼んでください、使ってくださいと言ってくれたんです」
厚子さんはここから2カ月間、自宅で寝たきりの生活になった。
母親っ子だった徹治さんは、兄嫁から「もって2カ月」という医師の診断を電話で聞いた時、とても受け入れられないと思ったという。その日のうちに長年勤めていた会社の上司に状況を話し、休職を申し出て実家に戻った。
「家族みんなが無理なく支えられた」
「変な話ですが、あの時は家族みんながいいタイミングだったんです」と、徹治さんは言う。
訪問看護師の小畑雅子さんがマッサージに使っていたマルチグローブ。(筆者撮影)
「その一年前でしたら仕事が忙しくて休職は厳しかった。当時は仕事が一区切りつき、ある程度蓄えもあって仕事を休んでも辞めてもいいという状況だったんです。独身だったから身軽でしたしね。兄も転職して実家近くに帰ってきていて、父も独立して自営業だったので母親をサポートできました。『家にいたい』という母の希望を、みんなが無理なく支えられる状況だったと思います」
末期がんの患者が家で過ごす場合、疼痛管理が大切になる。看護師の小畑さんが説明してくれた。
「厚子さんは腹水で体がぱんぱんで、横を向くこともつらかったと思います。それで『マルチグローブ』を使って、厚子さんの体をずっとマッサージしました。体をさすりながら、生きること、死ぬこと、家族のこと、いろんな話をして……。痛みを緩和する医療用麻薬も使いましたが、それ以外にマッサージしたり、気分が変わる話をしたりすることも重要です。そして家族みんなが厚子さんに気持ちが向いてケアを頑張れるようにサポートするのも、私たちの務めだと思っています」
自宅で過ごせて、とても嬉しそうだった
夜は徹治さんが厚子さんの隣に寝て、寝返りがうてない厚子さんの体にクッションをはさんであげたり、痛みでうんうんうなっている時は足をさすったりした。
排泄は、徹治さんの兄の妻を含む3人がかりで車いすに乗せ、厚子さんをトイレに運んだ。
「私がオムツを提案したこともあります。でも厚子さんは本当に最後まで『トイレに行きたい』とがんばっていました」と小畑さん。
「自宅で過ごせて、とても嬉しそうでした。厚子さんの寝ているベッドから、玄関が見えるんです。だから誰が来たか、すぐわかる。孫がバタバタと帰ってくると『帰ってきたー』と喜んで、『こけないでね』と心配する。玄関からさーっと風が入ってきて、私が『いい風』と口にすると、ニコッと笑う。表情がころころ変わるんです。何度も『幸せ』と言って、でもだからこそ家族とお別れしたくないんだな、死にたくないんだなと感じる時もありました」
亡くなる1週間前から小畑さんは「そろそろ覚悟したほうがいいかもしれない」と家族に伝えた。
「まるで仏様みたいに安らかな顔でしたよ」
「ずっと看護をしていると、死が近いかもしれない……という兆候を感じるんです。血圧が下がる、尿量が減るなどといった経過とあわせてサインをつかみとったら、家族の反応をみて心が乱れないように配慮しながらお話をしていきます」
亡くなる前日、厚子さんは途中まで一言、二言の会話ができたが、やがて目をかっと見開いて苦しそうな様子に変わっていったという。
「寝ていても目が開いていて……薄目ではなくギョロ目で目が合うんです。でももう意識がないようでした」(徹治さん)
日付が変わって午前0時半頃。顎で呼吸する下顎呼吸が始まった。厚子さんの隣で寝ていた徹治さんは、ひとつ屋根の下に眠る父親の嘉規さん、兄夫婦を起こしにいく。4人が見守るなか、それから30分程度で厚子さんは眠るように息を引き取った。「人間死ぬ時は穏やかな顔になるんだ」と、嘉規さんは思ったという。
「まるで仏様みたいに安らかな顔でしたよ」

笹井 恵里子(ささい・えりこ)
ジャーナリスト
1978年生まれ。「サンデー毎日」記者を経て、2018年よりフリーランスに。


ピンピンコロリ″を実現するのが抗老化研究今井眞一郎ワシントン大教授が語る「NMN、抗老化効果の真実」

2021-09-25 13:30:00 | 日記

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〝ピンピンコロリ″を実現するのが抗老化研究の目的
ビタミンB₃からつくられた食品成分「NMN(ニコチンアミド・モノヌクレオチド)」の抗老化効果が、世界的に注目を集めている。その発端となったのは、米国ワシントン大学医学部発生生物学部門・医学部門の今井眞一郎教授(神戸医療産業都市推進機構先端医療研究センター・老化機構研究部特任部長兼任)らが、マウスを使って実施した研究だ。同教授は、酵母やマウス、人間の体内にある酵素「サーチュイン」が、老化や寿命を制御しているという事実を発見したことで知られる世界的な老化研究者で、現在は、NMNのヒトへの有効性をみる研究を進めている。『開かれたパンドラの箱 老化・寿命研究の最前線』(朝日新聞出版)を7月末に上梓したばかりの今井教授に、NMNなどの抗老化効果と抗老化ビジネスの可能性ついて聞いた。
ワシントン大学医学部発生生物学部門・医学部門の今井眞一郎教授(写真提供:今井教授、以下同)
NMNを飲んだマウスで明らかな抗老化効果
 NMNは、ビタミンB₃からつくられる比較的小さな化学物質だ。この食品成分が「老化を抑え、寿命を延ばす可能性がある」物質として世界的に注目を集めるようになったのは、今から5年前の2016年、今井教授らが、国際的な医学専門誌で発表した論文(※1)がきっかけだった。
 生後5カ月から1年間、マウスにNMNを飲ませたところ、ヒトの60代に相当する17カ月齢になっても、体の代謝が保たれて中年太りせず、若いときと同じように活発に動き、骨格筋、肝臓、脂肪において加齢に伴って起こる遺伝子の変化が抑えられるなど、抗老化効果がみられたというのだ。NMNを飲ませたマウスは、飲まなかった対照群に比べて、血糖値を下げるインスリン感受性が高く、老化に伴って低下する目の網膜の機能、骨密度、免疫細胞が保たれるなどの抗老化効果も確認された。
 また、他のグループによるマウスを用いたアルツハイマー型認知症の研究では、NMNを10日間飲ませただけで認知機能が回復し、記憶を司る脳の海馬の細胞死が健康なマウスに近いレベルに回復したと報告されている(※2)。
 「NMNが抗老化効果を発揮するのは、体内に入るとすぐに、NAD(ニコチンアミド・アデニン・ジヌクレオチド)という、私たちが生きていく上で欠かせない補酵素に変換されて、サーチュインの働きが活性化されるから。サーチュインは老化や寿命をコントロールする酵素で、日本ではその遺伝子は長寿遺伝子と呼ばれている。哺乳類にはSIRT1(サーティワン)から7まで7種類あるが、老化を制御する上で特に重要なのが、糖や脂肪の代謝を改善し神経細胞を守る働きがあるSIRT1だ」と今井教授は解説する。
NAMPT(ナムピーティ)による老化制御も
 今井教授らが行った実験によれば、脳の大事な司令塔の1つである視床下部でSIRT1の機能を高めた遺伝子改変マウスは、老化による症状や病気の発症が遅くなり、メスでは16.4%、オスでは9.1%、健康寿命が延びたという(※3)。マウスにおける16%の健康寿命の延長はヒトの13~14年、9%は7~8年に相当する。2016年時点での日本人の健康寿命と平均寿命の差は、女性が12.35年、男性が8.84年だ。もしもヒトの脳でSIRT1の機能を高められれば、健康寿命と平均寿命との差を最小限にできる可能性がある。
図2●遺伝子改変マウスの生存率の推移
今井教授らの実験によれば、SIRT1の機能を高めたマウスは老化による症状や病気の発症が遅くなり、メスでは16.4%、オスでは9.1%健康寿命が延びた
 ヒトの脳でSIRT1の機能を高めるにはどうしたらよいのだろうか。「マウスでの研究を基に考えると、脳でSIRT1の機能を高めるには、食事の摂取量を減らすカロリー制限、あるいは運動やNMNなどの補充によってNADを増やす方法がある。ただ、カロリー制限はつらいから長く続けるのが難しいし、感染症にかかりやすくなるリスクがあるため、お勧めできない。また、NADを増やすには、NMNの補充以外に、NADの合成に不可欠なNAMPT(ナムピーティ/ニコチンアミド・ホスホリボシルトランスフェラーゼ)という酵素を高める方法もある。私たちのグループでは、このNAMPTを高める方法についても研究を進めている」と今井教授は話す。
 血液の中のNAMPTは加齢と共に減少するが、この酵素を維持するように遺伝子改変したマウスは、老齢になっても若いマウスと同じように活動的で、眠るべきときに熟睡し、記憶力・認知機能も保たれた。オスでは普通のマウスと差がなかったものの、メスの健康寿命は13%も延びたという(※4)。NAMPTを高める老化制御法の開発は、今後の注目ポイントだ。
 今井教授が老化と寿命の研究を進めてきた目的は、「多くの人が健康寿命を延ばして、『プロダクティブ・エイジング』を実現できるようにするため」という。プロダクティブ・エイジングとは、老年学の父と呼ばれる故ロバート・N・バトラー博士の造語で、死ぬ直前まで健康を保って人生を楽しみ、生産性を維持し社会に貢献し続けながら年齢を重ねることを示す。
 「日本語で言えば、いわゆる〝ピンピンコロリ″を実現するのが抗老化研究の目的であって、私自身は、若返りや不老不死を目指しているわけではない。米国を中心に進んでいる最先端の抗老化研究の成果を社会実装することで、老化による症状や病気の出現を遅らせ、多くの人がピンピンコロリを実現できる時代がすぐそこまで来ている」と語る。
老化細胞除去薬やラパローグなども有力候補
 今井教授に、NMNとNAMPT以外で有力だと見ている抗老化研究を聞いた。返ってきた答えは、①臓器や組織にたまっている老化細胞を除去する「セノリティクス(老化細胞除去薬)」、②免疫抑制剤のラパマイシンの誘導体である「ラパローグ」、③糖尿病薬としても用いられている「メトホルミン」の活用である。ラパローグは、哺乳類の老化の制御に関わるmTORと呼ばれる遺伝子の働きを抑えることで、老化を遅らせ、寿命を延ばすことが線虫やマウスで確認されている。
 このうち、特にビジネスと投資の観点から脚光を浴びているのが老化細胞除去薬だ。米国では、ユニティバイオテクノロジーなどのベンチャー企業が、関節炎や認知機能低下など、加齢によって増える病気の治療をターゲットに老化細胞除去薬の開発を進めている。
 ただし、「老化細胞除去薬、ラパローグ、メトホルミンは、どれもプロダクティブ・エイジングを実現する上で有力な候補ではあるが、医師の処方が必要な薬として開発が進んでいる。薬という形ではなく、抗老化研究の成果を社会実装していくという意味で、現時点で最も先行しているのはNMNだ。NMNカプセルは既に市販されており、誰でも試してみることができる」(今井教授)。
 とはいえ、今井教授は「現在市販されているNMNカプセルの品質は玉石混交」であると警鐘を鳴らす。一般社団法人プロダクティブ・エイジング研究機構で数社の製品を分析したところ、生体には存在しない不純物が検出された製品もあったという。
 「厚生労働省の『医薬品効能効果を標ぼうしない限り医薬品と判断しない成分本質(原材料)リスト』に記載されている『β-ニコチンアミドモノニクレオチド(NMN)』として、ヒトへの安全性が確認されているのは、研究用のNMNとして開発されたオリエンタル酵母と、ミライラボバイオサイエンス(旧新興和製薬)の製品だけ。また、NMNの点滴療法を実施しているクリニックもあるが、経口投与以外の安全性は確認されていない。生体に存在しない形のNMNや不純物の入ったNMN、あるいは誤った使い方で健康被害に遭わないようにしてほしい」と注意を促す。
期待されるNMNのヒトへの抗老化効果の証明
 NMNカプセルを試すとしたら、いつからどのくらい飲めばよいのだろうか。
 「マウスの研究で分かっている知見から考えると、20代~30代で健康な人が使ってもほとんど何も起こらない。一般的には、体内のNADが減少し、様々な老化現象を実感し始める50代くらいから使うとよいのではないか。1日の服用量は多ければいいというわけではなく、私たちがワシントン大学で実施した第1次の臨床試験では1日250㎎を10週間飲むことによって効果が得られている。1日100~300㎎程度が妥当ではないかと考えている。NADはサーカディアンリズム(概日リズム)という体内周期に合わせて変動し、ヒトの場合は最も活動量の多い日中に上がるので、NMNカプセルは朝か午前中に飲むのがポイントだ」と今井教授はアドバイスする。
 「ただ、NMNに関しては、老化細胞除去薬やラパローグなどと同じように、ヒトへの抗老化効果はまだ証明されていない」(今井教授)。体内のNADを高めるには、筋肉トレーニングや有酸素運動を続ける、あるいは非常に微量ではあるが、NMNが含まれるブロッコリー、枝豆、アボガド、トマトを毎日の食事に取り入れるという方法もある。
 ワシントン大学のサミュエル・クライン教授と今井教授の研究グループは、糖尿病予備軍で閉経後の女性25人を対象に共同で第1次臨床試験を実施している。その結果、NMN摂取群は、骨格筋(筋肉)において、血糖値を下げるホルモンのインスリン感受性が平均25%上がり、2型糖尿病やその予備軍で低下する糖の取り込み機能の改善がみられた。またNMN摂取群では、加齢に伴って下がる血液細胞中のNAD濃度が上がり、筋肉の再構築を促す遺伝子の発現が高まったことも確認されている。インスリン感受性の平均25%の低下は、10%体重を落としたとき、あるいは、糖尿病治療薬のトログリタゾンを12週間投与したときに生じる改善に匹敵するという。しかし、マウスへのNMN投与でみられたような体重減少、血糖値の低下、エネルギー産生を司るミトコンドリア機能の改善など、劇的な変化はみられなかった(※5)(関連記事:見えてきた、MNMのヒトへの抗老化効果)。
 「第1次臨床試験の結果だけでは、ヒトに対するNMNの抗老化効果が証明されたとは言えないが、現在、私たちを含め複数の研究チームは別の臨床試験を進めている。今後いくつかの臨床試験の結果が積み重なることで、NMNがヒトに対しても抗老化作用があると言えるときが来るのではないかと期待している」と今井教授。
 ワシントン大学では、2020年10月から、糖尿病予備軍で45~75歳の男女56人を対象に、NMN1日300㎎を16週間投与する効果を検証する第2次臨床試験をスタートさせた。この研究は国防省の予算で進められている。今井教授は、日本でも、プロダクティブ・エイジング研究機構などでNMNの抗老化効果をみる臨床試験を開始する予定だ。
米国では国を挙げて老化研究を後押し
 日米を頻繁に行き来する今井教授は、「日本の抗老化研究、抗老化ビジネスは、米国に比べると規模が小さく発展していくのはまだまだこれから」と指摘する。米国は、健康寿命を延ばすことを目的として、1974年に国立老化研究所(NIA)を設立、国を挙げて抗老化研究を後押ししている。
 「NADを増やすことが健康寿命を大幅に延ばすカギを握る」ということが世界中の老化研究者の共通認識になりつつあることから、今年12月にはNIAがNAD研究の専門家を集め、今後の社会実装の在り方を議論するシンポジウムを開催することも決まっている。抗老化ビジネスをキャッチアップするためには、この分野で世界をリードする米国の動きを注視する必要がありそうだ。
 「抗老化ビジネスに関心があるなら、当該分野の学会に参加したり、最新の抗老化研究の論文を読んだりすることはもちろん、実際に研究を行っている研究者に直接話を聞くことが大切。私は、日本が健康長寿のモデル国家として、今後他国が直面するであろう重大な問題に解決策を提示し、世界に大きく貢献できると信じている」と今井教授は強調する。その解決策となる候補の1つこそが、日本で開発が進められ、品質の面でも優位に立つNMNである。NMNを巡る研究・社会実装から目が離せないのは確かだろう。
※1 Cell Metab.2016;24(6):795-806
※2 Brain Res.2016 Jul 15;1643:1-9
※3 Cell Metab,2013 Sep 3;18(3):416-430.
※4 Cell Metab. 2019 Aug 6; 30(2): 329–342.e5.
※5 Science. 2021 Apr 22;eabe9985.
今井眞一郎(いまい しんいちろう)氏
ワシントン大学(米国ミズーリ州・セントルイス)医学部発生生物学部門・医学部門教授/神戸医療産業都市推進機構先端医療研究センター・老化機構研究部特任部長


骨粗しょう症は早めに予防 生活習慣病で男性も発症

2021-09-25 12:00:00 | 日記

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骨がもろくなって骨折しやすくなる骨粗しょう症。閉経期以降の女性に多い病気だが、男性も決して油断はできない。生活習慣病が原因で発症する場合もあるからだ。男女を問わず、早めの予防を心がけよう。
骨粗しょう症は骨の量が減少したり、質が劣化したりすることで、骨の強度が低下して骨折しやすくなる病気。北里大学北里研究所病院(東京・港)整形外科部長の金子博徳氏によれば「骨の強度には骨量と骨質が7対3の割合で影響する」という。
骨は新陳代謝を繰り返している。破骨(はこつ)細胞が古い骨を壊す「骨吸収」と、骨芽(こつが)細胞が新しい骨を作る「骨形成」のバランスがとれていると、丈夫な骨が保たれる。しかし、加齢や生活習慣などでそのバランスが崩れると、骨が過剰に溶けて量が減るなどして、もろくなってしまう。
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日本の骨粗しょう症の推定患者数は約1280万人。女性が約8割を占める。女性が多いのは閉経により、骨を壊す破骨細胞の働きを抑える女性ホルモンのエストロゲンの分泌が急激に低下することが大きな要因となっている。
帝京大学ちば総合医療センター(千葉県市原市)内分泌代謝内科の井上大輔教授は「男性患者は約300万人で、少ないように思われるが、その約半数は何らかの病気に起因する続発性骨粗しょう症であることに注意したい」と指摘する。
高血圧や糖尿病、慢性閉塞性肺疾患(COPD)、慢性腎臓病などの生活習慣病がある人は、骨量の指標となる骨密度がある程度維持できていても、骨質の劣化の影響で骨折するリスクが高まる。
骨粗しょう症で骨がもろくなると、転倒などをきっかけに骨が折れやすくなる。背中や脚・腕の付け根、手首が特に骨折しやすい部位だ。中でも背骨は、自分の体重で徐々に押しつぶされていき、骨折に気づかないこともある。「背中や腰の痛み、2~3センチメートルの身長低下といった兆候があれば、『いつのまにか骨折』となっている可能性があるので、整形外科を受診して相談を」(金子部長)
女性は40歳、男性は60歳以上になったら、自治体の骨粗しょう症検診や人間ドックなどで定期的に骨密度検査を受けることが望ましい。「生活習慣病がある人は、骨粗しょう症の早期発見のために、一度は骨の精密検査を受けておくとよい」(井上教授)
検査で骨粗しょう症と診断されたり、そのリスクがあると判断されたりした場合は、骨の状態に合わせた薬物治療が必要になる。そうなる前に予防対策を心がけたい。
予防対策の基本は日光浴、運動、食事が3本柱になる。日光浴は骨に必要なカルシウムの吸収を助けるビタミンDの体内合成を活性化する。骨に重力をかける運動を習慣化することも大切だ。
新型コロナウイルスの感染拡大で外出を自粛する生活が続いているが、日中に運動を兼ねて20分程度の散歩をする、ベランダや庭で日光を浴びるなど、できる範囲で工夫したい。金子部長は筋肉も強化できるスクワット運動を勧める。「足腰に不安があれば、テーブルに手をついて、イスから立ち上がる動作を繰り返してもいい」
食事はカルシウムだけでなく、カルシウムの吸収や骨への沈着を高めるビタミンDやビタミンK、筋肉や骨の材料になるたんぱく質などもバランス良くとる。「魚や肉、乳製品、大豆製品、野菜をまんべんなく食べることを意識してほしい」(金子部長)
井上教授はコロナ禍で糖尿病が悪化する中高年が増えていることを懸念する。「生活習慣病を悪化させないことが、丈夫な骨を維持することにもつながる」と呼びかける。
(ライター 田村知子)

かかと落としで骨粗しょう症防ぐ カルシウムも補給を

骨がもろくなり、骨折しやすくなる骨粗しょう症。閉経期以降の女性がかかりやすく、日本の患者数は男女合わせて約1280万人とも見込まれる。早期に自分の骨の状態を知り、適切な予防・治療を心がけよう。
骨は硬いので、ずっと変化しないという印象を持っている人が多いだろう。実際は、破骨細胞と骨芽細胞という2つの細胞が、絶えず古い骨を壊して(骨吸収)新しい骨を作る(骨形成)という新陳代謝を繰り返している。
加齢や生活習慣などによって、骨吸収と骨形成のバランスが崩れる。骨吸収が骨形成を上回ると骨粗しょう症になる。骨がスカスカになり、骨量が減って折れやすくなる。
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発症すると手首や背中、腰、腕や脚の付け根などで骨折のリスクが高まる。中でも脚の付け根を骨折すると、寝たきりになる可能性があり、認知症を招くことも。長生き時代に最後まで自立し、元気に過ごすためには、早期の骨粗しょう症対策が不可欠だ。
伊奈病院(埼玉県伊奈町)整形外科部長の石橋英明氏によると、発症するかどうかは「0~20歳の成長期にどれだけ骨が増えたかと、50代以降にどれだけ骨を減らさないかで決まる」。
骨量のピークは20歳ころ。20~40歳ころまで骨量はほぼ変わらないが、その後は男女とも徐々に減っていく。特に「女性は閉経を迎えて、骨を強くする働きがある女性ホルモン『エストロゲン』の分泌が低下する50歳前後から、急激に骨量が減るケースが多い」(石橋氏)。対策を講じないと、60代以降の女性は骨粗しょう症になりやすくなる。
「まずは検診で骨密度を測定し、自分の骨の状態を知って」と石橋氏は話す。40~70歳の女性を対象に、40歳、45歳、50歳…と5年おきに骨粗しょう症検診を実施する自治体が増えている。骨密度が正常値でない場合は、医療機関で精密検査を受ける。
骨粗しょう症の予防は、運動や食事など生活習慣の改善が基本になる。山王メディカルセンター(東京・港)女性医療センター長の太田博明氏がすすめる運動は「かかと落とし」。両足をそろえてまっすぐ立ち、かかとを上げる。つま先立ちの姿勢から、かかとをストンと落とす。2秒に1回のペースで50回繰り返す。
姿勢が不安定になる場合は、いすの背などにつかまるとよい。大切なのは、ストンと一気に着地するときの骨への衝撃だ。「体重の3倍の負荷が骨芽細胞を活性化し、骨を丈夫にする」(太田氏)
食事では骨の主成分であるカルシウムとタンパク質を積極的にとろう。牛乳やチーズ、ヨーグルトなどの乳製品はカルシウムが豊富で吸収率が高く、タンパク質も含む、骨強化のための必須食品だ。
「カルシウムの吸収を助けるビタミンDも、骨粗しょう症予防には欠かせない」(太田氏)。サケやウナギ、イワシの丸干し、干しエビなどに多く含まれるので、意識してとるとよい。ビタミンDは日に当たると体内で合成されるので、適度な日光浴も有効だ。
骨粗しょう症または予備群と診断されたら、薬物療法を始める。太田氏は「骨量を増やして骨を若返らせ、骨折をしっかり防ぐには、薬による治療が不可欠」と話す。骨粗しょう症の薬は近年、飛躍的に進化しているという。骨に必要な栄養素を補う薬、骨を壊す破骨細胞の働きを弱める薬、新しい骨を作る骨芽細胞の働きを高める薬などが続々と開発されている。
骨粗しょう症は実は、高齢女性だけの病気ではない。太田氏は「糖尿病などの生活習慣病の影響で骨質が劣化し、骨粗しょう症となる中高年男性が増えている」と指摘する。老若男女問わず、日ごろから骨の強化を心がけよう。
(ライター 松田亜希子)


眞子さまは守谷絢子さんの結婚披露宴で「すごく可愛い、幸せそう」…“決定的な亀裂”が生じた紀子さまのご発言とは

2021-09-25 11:00:00 | 日記

下記の記事は文春オンラインからの借用(コピー)です。

秋篠宮家には「3つの誤算」が
 2018年は、翌年に御代替わりを控えた大事な年だったが、秋篠宮家には、「3つの誤算」があったという。
「まず圭さんが婚約を辞退しなかったこと。2つ目に、お金がないから無理だろうと思っていた圭さんの留学も、支援者が現れてニューヨークの大学に留学することになったこと。そして何よりご夫妻にとってショックだったのは、金銭問題について眞子さまが圭さんの側についてしまわれたことでした」(宮内庁関係者)
「X氏には借用書がない」
「(小室家とX氏が)借金問題について話し合った際の音声データもある」
「返さなくても法律的に問題ない」
 小室家側はそう説明しているというのだが、秋篠宮家にとって大事なことは、当初から法律的な是非ではなかった。皇族の結婚相手に金銭トラブルがあることそれ自体が問題なのだ。結婚するのなら、その前に解消しなければならないというのが秋篠宮家の考えだった。しかし、こうした秋篠宮家側の説明も小室家の母子には通じず、むしろ眞子さまが小室家側に立ってしまわれた。
なぜ小室家側に…職員たちも驚き 
「眞子さまは音声データの存在を知っています。それが小室さんを信じる自信の1つになっているのです」(眞子さまの知人)
 眞子さまが小室家側に立ったことは、職員にも意外なことだった。
「眞子さまは秋篠宮家の中で、しっかり者として知られています。2016年の三笠宮さまの葬儀の時、秋篠宮殿下の意見に対して、紀子さまは『そうですね』としか言えず周囲が困っていたところ、眞子さまは『こうしたほうがいい』とはっきり申し上げたことがあった。そのしっかり者の眞子さまが小室家側についてしまったことは職員たちにとって驚きでした」(宮内庁関係者)
 圭さんは翌2019年1月22日に発表した文書でも、金銭的な支援の問題は〈解決済み〉とし、〈支援を受けたことには今も感謝しておりますので、今後は元婚約者の方からご理解を得ることができるよう努めたいと考えております〉と従来の主張を繰り返した。
 その内容は、「到底秋篠宮さまの要求を満たすものではありませんでした」(秋篠宮家の知人)。
「この文書は、眞子さまと圭さん二人の話し合いで決めたもの。秋篠宮さまは何も知らされていませんでした。『借金』と認めなくとも、これまでの『感謝の気持ち』として解決金を払う方法もあったのに、佳代さんはまったく払う気がないようなのです」(同前)
眞子さまが不信感を強めた、紀子さまのご発言
 眞子さまと紀子さまとの間に、さらに「決定的な亀裂」が生じたのは、2018年11月30日に公表された秋篠宮さまの誕生日会見だったと秋篠宮家関係者は明かす。
 この日、秋篠宮さまは、「納采の儀」を行うための2つの条件を語った。
〈やはり、今いろんなところで話題になっていること、これについてはきちんと整理をして問題をクリアするということ(が必要)になるかもしれません。そしてそれとともに、やはり多くの人がそのことを納得し喜んでくれる状況、そういう状況にならなければ、私たちは、いわゆる婚約に当たる納采の儀というのを行うことはできません〉
 つまり「金銭問題の解決」と「国民の祝福」である。眞子さまと圭さんには、事前に伝えたうえでのご発言だった。眞子さまが不信感を強めたのは、同席した紀子さまの次のご発言だ。2015年、新年一般参賀での紀子さま、眞子さま、佳子さま 
〈昨年の夏から、様々なことがありました。そして折々に、私たちは話合いを重ねてきました。そうした中で、昨年の暮れから、だんだん寒くなっていく中で、長女の体調が優れないことが多くなりました。そうした状況が長く続き、長女は大丈夫だろうか、どのような思いで過ごしているだろうかと、私は、大変心配でした〉
 一見すると、娘思いで母親らしいご発言に思えるが、眞子さまの受け止め方は違った。
眞子さまの受け止めは「世間体を気にしているだけ」
「眞子さまが一時、体調を崩されていたのは事実です。紀子さまも心配され、6月に眞子さまは宮内庁病院で検査を受けられた。幸い異常はなく、『心因性のもの』という診断だったので、眞子さまは予定通り海外公務に行かれたのです。
 むしろ、その頃体調を崩されていたのは実は紀子さまでした。紀子さまが自分の不調を『娘を心配している』という表現で糊塗していると眞子さまは感じられたのです。結婚賛成から反対に回り、眞子さまを悩ませているのは他でもない紀子さま。眞子さまは、母親は世間体を気にしているだけで、本当に娘を守ろうとしているわけではないと受け止めてしまわれたのです」(宮内庁関係者)
眞子さまの味方についた佳子さま
 妹の佳子さま(25)は、眞子さまの結婚を応援されてきた。婚約延期会見から約1年後の2019年3月22日、ICUご卒業に際して、次のような意見を表明して話題となった。
〈結婚においては当人の気持ちが重要〉
〈姉の一個人としての希望がかなう形になってほしいと思っています〉
 父と母には、明確に反対する姿勢を示されたのだ。この文書には、もうひとつ意味深長な一文があった。
〈メディア等の情報を受け止める際に、情報の信頼性や情報発信の意図などをよく考えることが大切だと思っています。今回の件を通して、情報があふれる社会においてしっかりと考えることの大切さを改めて感じています〉2020年、佳子さまお誕生日に際してのご近影 宮内庁提供
 一見メディア批判に見えるが、よく読むと情報を受け止める者への批判となっている。「しっかりと考えることが大切だ」とは、誰に向けられたメッセージだったのか。
「眞子さまの紀子さまへの不信感を考えると、佳子さまがお母さまに向けたメッセージとも受け取れるのです」(皇室担当記者)
秋篠宮さまの誕生日を祝う内宴に、眞子さまと佳子さまはご欠席
 同年11月30日、赤坂東邸で現役職員や旧奉仕者が集い、秋篠宮さまの誕生日を祝う内宴が開かれた。そこに、眞子さまと佳子さまが姿を見せることはなかった。
「その時のスケジュールで来られないことはこれまでもありましたが、眞子さまと佳子さまが揃っていらっしゃらないのは珍しいことでした」(出席者)
 それから10日後の12月10日、眞子さまと佳子さまはお揃いで「アナと雪の女王2」を鑑賞された。映画の主人公であるエルサとアナは姉妹だ。姉は一人で生きることを決め、妹は結ばれる――銀世界の冒険譚を見ながら、お二人は何を思われたのだろうか。2020年、佳子さまお誕生日に際してのご近影 宮内庁提供
眞子さまは、守谷絢子さんを「すごく可愛い、幸せそう」
 眞子さまの婚約内定会見から約10カ月後に、日本郵船勤務の守谷慧さん(33)と婚約内定を発表された高円宮家の三女、守谷絢子さん(29)は、11月に第1子となる男児を出産されている。元皇族の男児出産は、実に29年ぶりのことだった。
「慧さんも義父の治さんも病院に駆けつけたそうです。元気いっぱいの男の子で、お顔立ちは絢子さんにそっくり。絢子さんはお二人に『これで守谷家の嫁の務めを果たせました』とおっしゃったそうです。今どきそんな古風な言葉を使うことに驚きましたが、結婚は『家と家のもの』と久子さまがご教育されてきたのだなと感じました。名前は『穣(じょう)』。海外の方にも呼びやすい名前をと熟考されて決めたと聞いています」(高円宮家の知人)
 眞子さまは当初、2018年11月4日に帝国ホテルで結婚式を挙げられる予定だった。もうお子さまが産まれていてもおかしくない歳月が流れている。守谷慧さん、絢子さんの結婚披露晩餐会で、談笑される眞子さまと黒田清子さん 
 2018年10月30日、ホテルニューオータニで開かれた守谷絢子さんの結婚披露宴には、眞子さまの姿があった。
「眞子さまは、少しはしゃいでいるようにも見えました。無理をされていたのかもしれません。絢子さんのことを『すごく可愛い』『幸せそう』とおっしゃっていた。眞子さまのご心中を思うと何と声をかけたらよいかわかりませんでした」(出席者)2018年10月30日、結婚披露晩餐会での守谷絢子さんと守谷慧さん 
 宮内庁関係者によれば、秋篠宮家の家族のなかで、「お考えがいちばん一貫しているのは眞子さま」という。結婚にしろ、破談にしろ、秋篠宮ご夫妻が何らかの決断をしなければ、この難題を解決することはできないのではないだろうか。
 秋篠宮ご夫妻と、眞子さま、圭さん。平行する2本の線が交わることなく、その距離をさらに広げてしまうような2年間だった。2020年2月、はたして眞子さま、圭さんの二人から新たな「発表」はあるのだろうか。


「お母さまは変わってしまった」眞子さまの反発は紀子さまへ…根強い不信感、母娘の隔絶はなぜ広がったのか

2021-09-25 10:00:00 | 日記

下記の記事は文春オンラインからの借用(コピー)です。

長く続くご心労で痩せた秋篠宮さま
〈昨年の2月に今の気持ちというのを発表しているわけですので、何らかのことは発表する必要があると私は思っております。(略)(長女の眞子さまと)結婚のことについては話をする機会はありません〉
 2019年11月20日、皇嗣殿下として初めての誕生日会見で、秋篠宮さま(54)はこう述べられた。
 眞子さま(28)と小室圭さん(28)の「婚約延期」が発表されて、20年2月でまる2年。「今の気持ち」とは、他ならぬ長女眞子さまの今のお気持ちのことだ。
「眞子さまと圭さんのご結婚話は依然として進展がありません。会見のお言葉にあったように、秋篠宮ご夫妻と眞子さまは、日常生活についてのお話はできても、ご結婚に関しては一切話をしなくなっている。眞子さまは、特に母親である紀子さまに対して根強い不信感を抱いているようで、母娘の隔絶はこの2年間、広がるばかりでした。現状では、修復の糸口さえ見えない状況です」(宮内庁関係者)
 この日の会見は秋篠宮さまお一人。立ち会った宮内記者たちの間では「殿下は痩せられたのではないか」と話題になった。長く続くご心労が察せられたという。紀子さま(53)は9月のお誕生日に際し、宮内記者会からお一人の会見を要望されていたが、それに応えることなく〈(延期に関し)現状や今後についてお伝えすることは、控えたい〉と文書で回答された。2018年、記者会見に臨まれる秋篠宮さまと紀子さま 宮内庁提供
 秋篠宮ご夫妻が圭さんに初めて会ったのは、いまから6年以上前の2013年頃のことだ。圭さんが眞子さまにプロポーズしたのはその年の暮れとされる。
 そのとき紀子さまは、圭さんを心から歓迎された様子だったという。
「秋篠宮さまは、まだ22歳の娘のご結婚話を、当初から冷静に受け止めていましたが、紀子さまのほうは、圭さんをすぐに気に入られ、絶賛されていました。『こんなに素晴らしい方はいない』『(結婚相手として)理想的』とまでおっしゃっていた。眞子さまは恋人を認めてもらえたことに、心から喜ばれていました」(秋篠宮家関係者)
 婚約内定会見が行われたのは、それからしばらく後、眞子さまが英国レスター大学留学を終えたあとの2017年9月だ。その年11月の秋篠宮さまお誕生日会見に同席した紀子さまは、圭さんの「第一印象」をこう述べられた。
〈初めてお会いし、話をしましたときに、丁寧で穏やかな印象を受けました。そして今も、同じような印象を持っております。(略)ピアノを聴きたいと話をしましたところ、快く応じてくださり、小室さんの優しいピアノの音色を聴きながら、私たちは心和むひとときを過ごしました〉
 しかし、その高い評価は一変する。そのきっかけは、圭さんの母親、佳代さん(53)と婚約者だったX氏との400万円超の金銭トラブルが『週刊女性』(2017年12月26日号)で報じられたことだ。
「400万円は、佳代さんが婚約期間中にX氏から提供されたものでした。この“借金”(小室家は“贈与”と主張、編集部注)に圭さんの大学の入学金、授業料、米国への留学費用も含まれていたことから報道は過熱した。事実を知らされていなかった秋篠宮家、宮内庁は騒然となりました」(皇室ジャーナリスト)
 雑誌が発売された12月12日から年明け2月6日に「婚約延期」が発表されるまで、圭さんと佳代さんは複数回、秋篠宮邸を訪れ、説明を求められている。
突然「ハワイ大学に留学して弁護士資格を取りたい」
 秋篠宮家関係者が振り返る。
「ご夫妻に紹介されてから4年もたつのに、圭さんは金銭問題もふくめ、大切なことを説明していなかった。父親の自殺や祖母の新興宗教信仰なども、秋篠宮家が知ったのは週刊誌で報じられたあとです。秋篠宮さまは『誠実とは言えない』と不満をおっしゃるようになりました」
 そうした話し合いの中で、圭さんが突然、「ハワイ大学に留学して弁護士資格を取りたい」と言い出したことで、秋篠宮ご夫妻はさらに困惑したという。勤務先で取材に応じた小室圭さん 
「秋篠宮ご夫妻は数カ月後の18年6月に、日本人の移住150周年の記念式典に出席されるため、ハワイ訪問を予定されていました。大学関係者と会う予定もあり、留学に便宜をはかったのではと誤解を招くから、控えてほしいと伝えたようです。そもそもハワイに留学しながら、納采の儀や結婚の準備はどうするのか。ご夫妻の不信感は募るばかりでした」(宮内庁関係者)
 18年2月6日、宮内庁記者クラブで加地隆治宮務主管が緊急会見を開くことになったとき、記者の多くは破談を予想していた。だが、発表されたのは「延期」だった。
〈納采の儀を始めとするご結婚関係儀式等は、後日に延期することとなりました。一連の(即位関連)儀式等が滞りなく終了した再来年(20年)になる見込みです〉
眞子さまご自身が書かれた「私たちの未熟さ」
 その場で配られた別紙には、眞子さまと圭さんの「お気持ち」が綴られていた。
〈色々なことを急ぎ過ぎていたのだと思います。(略)二人で結婚についてより深く具体的に考えるとともに、結婚までの、そして結婚後の準備に充分な時間をかけて、できるところまで深めて行きたいと思っております。本来であれば婚約内定の発表をするまでにその次元に到達していることが望ましかったとは思いますが、それが叶わなかったのは私たちの未熟さゆえであると反省するばかりです〉
 眞子さまご自身が書かれた文書だった。秋篠宮家関係者は、眞子さまとご両親の認識の違いはこの頃からあったと言う。眞子さま 
「眞子さまは、この文書の通りスケジュールだけが問題だと思われていた節があります。しかし秋篠宮ご夫妻は、圭さん関連の報道を問題視していました。ただ、眞子さまに対しては、あまり深刻な話はせず『1度立ち止まって考えてみては』といった感じで説得したようです。当時はまだ金銭問題の詳細も確認中で、これほど長引くとも考えていなかったのでしょう。金銭問題を解決しないとダメだという厳しい話もしていなかったのです」
「眞子さんと圭さんの関係はどうなっているのだろう?」
 この後、秋篠宮ご夫妻は、結婚に反対する意向に傾いていったとみられる。もちろん圭さん関連の報道の影響は大きかった。だが、それだけではなかったと秋篠宮家関係者は打ち明ける。
「秋篠宮ご夫妻は、圭さんのことで複数回皇居を訪れ、上皇上皇后ご夫妻と4人で話されたと聞いています。美智子さまはそのとき、秋篠宮家としての見解を出して国民に説明したほうがいいとご意見を述べられたようです。美智子さまは1度ご判断されると、繰り返しおっしゃる方。秋篠宮さまは、実の母親ですから慣れていらっしゃいますが、時に厳しい言葉もあったようで、紀子さまはそれを重く受け止められ、落ち込んでおられました」十二単をお召しになった眞子さま 
 こうした状況を裏付けるように、延期の発表から2カ月後の18年4月、上皇上皇后と親しい友人の一人は小誌に対してこんな話をしていた。
「紀子さんと美智子さんの関係がいま微妙になっている。数年前までは、紀子さんはどんなことでも美智子さんに相談されていたのだが……。初孫の眞子さんは、陛下にとって特別。陛下が眞子さんのお話をされるときは、声のトーンが一段上がるのがわかるほどだった。
 お二人とも眞子さんのことはとても心配されている。英国留学中に眞子さまのところへ小室さんが訪ねて行ったという記事もあったが、実際のところ、眞子さんと圭さんの関係はどうなっているのだろう? 本当に二人は向こうで会ったのか、わかったら教えてほしい」
眞子さまの婚約延期について、宮内庁が上皇上皇后(当時の天皇皇后)のお考えを公表したのは、この友人の話の約1カ月後のことだった。
〈両陛下が第一に考えられたことは、これは眞子さまの内心に触れる事柄であり、何人といえども、恐らくはご両親殿下でさえ眞子さまのお考えを待つ以外おありでないということでした〉2018年、秋篠宮さまお誕生日に際してのご近影 宮内庁提供
〈皇后さまは、これまでもご家族のどなたかが苦しい状況におありの時は必ず、それは家族全体の苦しみだからと言われ、心配しつつ見守ってこられました〉(「眞子内親王殿下に関する最近の週刊誌報道について」、2018年5月25日)
 実際、宮内庁関係者によれば、上皇后は孫の気持ちを配慮し、“ご意向”を直接お話しになることはなかったという。
「ただ、上皇后さまが秋篠宮ご夫妻にさまざまな注意をされたのはたしかです。それで紀子さまは、この結婚は無理だと考えを変えられた。でも、上皇后さまが眞子さまのお考えを待つと仰っている以上、上皇后さまの“ご意向”は眞子さまにお伝えできない。それで紀子さまは板挟みのようになってしまわれた。
眞子さまの反発は紀子さまへ「お母さまは変わってしまった」
 いま眞子さまの反発は、母親である紀子さまに向かっている。父である秋篠宮さまは、最初からもろ手を挙げて賛成していたわけではないし、お立場的にも慎重な姿勢でいなければならないことは眞子さまも承知されている。でも紀子さまは、圭さんのことを賛成していたはずなのに、どうして変わってしまわれたのか、わからないでおられる。
 おそらく眞子さまは、上皇后さまのお気持ちをご存知ないのでしょう。『週刊誌報道でお母さまは変わってしまった』『小室さんのお金の問題がどうあれ、結婚してはいけないというストーリーを作っている』と思われているようなのです」
 秋篠宮ご夫妻は、こうしたことがあった後、「小室家から辞退することを期待していた」(別の宮内庁関係者)という。
「これだけ世間を騒がせていれば、普通なら自分たちのほうから引いてくれるだろうと楽観視していたようです。ところが圭さんは秋篠宮家を訪れても持論を展開するばかりで、秋篠宮ご夫妻は苛立ちを募らせたようです」(同前)