富岡町の震災日記 「桜里園(オリオン)」

福島県富岡町は原発事故により町民は避難中。一部地域は解除、故郷に戻る町民も。桜の町の復興が叶うまでの日々をお伝えします。

守谷のお父さん…ありがとう…

2023-07-27 19:39:02 | 震災日記
東日本大震災から12年ケケ月が経過…
震災当時、とてもお世話になった方がいる。
私は「守谷のお父さん」と心の中で呼ばせて頂いていた。

その方がこの冬に闘病のうえ亡くなられていた事を、昨日知った。
事業所へ電話をかけても繋がらず、個人携帯電話も繋がらず…
大病されてたのは知っていたので、もしかしたらとは思っていましたが、
共通の知人を訪ね、詳細を聞くと、この冬に亡くなられたと言う。
でも、亡くなる2週間前まで精力的に仕事をこなしていたとの事。
「最後まで、その方らしく、元気に人生を生ききってたよ」と。
涙がこぼれて止まらなかった…

「守谷のお父さん」は、小さな不動産屋の社長さんで、
震災後の4月1日、夫の仕事が決まり、避難していた妹宅から自立し、
アパートを借りに訪ねた不動産屋で出会った。
事情をひと通り話し、手頃なアパートを紹介され、契約の段になったら、
突然、「俺が保証人になるから」と言って、契約書の保証人の所に
自分の名前と印鑑を押してくれた。
「いいんですか?今日さっき会ったばかりの人の保証人だなんて…」
と言うと、
「これが俺に出来る震災支援だよ!と。
「避難先の妹さん達に、頭下げて住民票や印鑑証明、準備して貰わなくていいさ」と。
「守谷のお父さん」の心意気に感激しました。

その日のうちにアパートを借りる事が出来、
住所が決まったので娘の中学校の学区も決定し、教育委員会と中学校へ、
転校の相談にもすぐに行けました。

震災の年のクリスマスには、私が元気になれるようにと
額をサプライズでプレゼントしてくれました。
私の宝物です。形見になってしまいましたが…

その後も、自分で作ったお米を、年一回30㎏届けてくれて…
2年に一回の賃貸契約更新の時にお顔を見に行くのを楽しみにしてたけど
これからはお会い出来なくなってしまい残念です。
でも、「守谷のお父さん」が最初に助けて下さったから
震災後の避難生活がなんとか過ごせていましたよ。
本当に感謝しています。ありがとうございました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます…

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