櫻井語録

惑わされずに 寄り添っていて。

毎日思うこと。

日曜の昼下がり♪

2006年05月21日 | 日々思う(ブログ版)

アクセルホッパーが好きじゃありません(笑)。

ジムにも行っていません(笑)。

だいぶ今日は調子がいい感じがしますが、睡眠不足であります。
でも珍しく書く気があんまりおきない~。慌しいからだと思うけれど。

やっぱりダ・ヴィンチ=コードは見に行こうっと(ネタで)。


平常心の結果。

2006年05月20日 | 日々思う(ブログ版)


今日はジムに通うことと、ブログの勢いとの間の相関関係について指摘された。
ジムに行くと、文章も勢いづくらしい。なるほど。

昨日は欲望の考察についてしてみたわけだけど、そうすると心が落ち着いた。
いろいろ考えてみて答えを出してみて、その答えと周りの様子が違うと「そうじゃねーだろ!」的な議論を吹っかけるような生き方をずっとしてたような気もしてて、そういうのをやめようと思う機会が最近は多い。

やめようと思うんだわ。やっぱり実際。
でもそうすると、この世の中がちょっとずつだめになっていくような気がするわけさ。
こういうのもエゴなんだけど。
シャキッとしている人を作らないと世の中よくならないような気がするんだよ。
で、その作業をあきらめて、自分の心の平和だけに執心するのって抵抗あるんだよなぁ。

私はやっぱりツイてるんだわ。たぶんむちゃくちゃ。
そして幸福な存在だと思う。
なんで今そういう状況かと考えてみると、やっぱり運だな。
運とか『縁』とかかな。
最近自然がやけにきれいに見える。花とか緑とか。
雨に濡れている姿とか。

んで、あえて、自分の心が平静かどうか、今まで見ないようにしてたものを見てみたの。
見ると心が大体すさむようなものをね。
ぜーんぜんなんともなかった。
落ち着いてた。平静。呼吸。
なんか一瞬、なーんだ、ばっかばかしいなぁとも思ったけど、ばかばかしいとか思っているようじゃだめなんだなぁって思ったから、なんとも思わないようにした。

このまま、「他人は他人」的なことばっかり考えていたら、こういう風に書いていることもくだらないことになっちゃうかもしれないかな。
他人にあんまり興味ないんだからさ。
プラスになることは興味持ちたいよ、今までどおり。
でも、自分がマイナスになるようなことは、見ててもしょうがないからさぁ。

自分が今までしゃべってきたことがいまいちだからかもしれないけれど、一時期、むちゃくちゃたくさんのことをそばで聞いていて、わかっていて、理解できていた人間が、ちょっとの間に目先のつまんないことにとらわれて、すごくきれいな想いを曇らせてしまうのを見ると悲しい。
でも他人は変えようがないし、そうしようとするから苦しいのだ。
だからそういう欲望はなくす。なくしたい。

だから祈るだけです。どうか一番いいイメージを大切に。その時だからこそわかっていたことなのに、言葉だけ取り出して、今に撒き散らすのはやめたほうがいい。今も、なにより過去も冒涜することになるから。
良かったとき、わかっていた時を大切に。反復して。思い出さずに、忘れずに。

(>自分自身に。自分がしゃべってきたことがいまいちだったから、そういう悲しい想いをするということはわからなくもない。でも、悲しい状況は今ある状況の1割にも満たない。あと9割以上はとてもいいことばかりだ。そして、そのしゃべってきたこともすべてがいまいちだったというのは悪く考えすぎだろう。もし仮にそうであったならば、今9割ものいい状況が眼前にあるわけがない。高エネルギーの人間が身の回りに残るはずがないじゃんか)


琥珀色に魅せられる。

2006年05月20日 | お題
今週のお題には、バイトについてね。

やってみたいバイトっていうような年でもないんだけど、それでもやってみたいのはコーヒーショップの店員だね。
そもそもコーヒーを飲むようになったのも、家庭教師のバイトしていたから?かな。
コーヒーをいれてもらうんだけど、いちいち砂糖とかミルクとかをもらうのが面倒くさいからブラックのコーヒーを飲むようになったのだ。

そしてそんな縁で一番やってみたいのはバリスタってやつ。
でもコーヒーショップのマスターがいいなぁ。

燃えろよ、欲望。

2006年05月19日 | 日々思う(ブログ版)

身の回りに調子の悪い人が急増中。5月病??

なんか最近自分の人生を空から見ているような気がする時が多くなった。

「所詮欲望の産物じゃん」
とか自分で突っ込みいれて、
「だからイライラしなくていいじゃん」
と、落ち着かせたりする。

しゃべり方をソフトにしようか、迷っているけれどこのままでいい気もして。

うっかりすると眠って、時計の針がめちゃめちゃ進んでたりするから気をつけないと。
ジムをサボってきた!!継続する秘訣は何だろう??
習慣作りだわな。

本を読みたいんだ。図書館に行きたい。絵を見たい。
永井均が「ニーチェ好きの人間は警戒したほうがいい」的なことを言っていた。
むぅ、自分は警戒されるな…。

結局何が言いたいかというと、欲望をなくしていきたいです。
できる気がします。少なくとも日常に煩わされないくらいのレベルには。
がんばります。


ご贔屓のブログ。

2006年05月19日 | お題
 今回のお題は、お勧めのブログということなんですけれど、こういうお題は携帯で見てくれている人には、ちょっとつらい記事になるかもしれませんが、コメント。

まぁ、ちょっと自分自身が忙しくなると人のブログに顔を出すのが出来なくなったりするんですけれど、このブログのブックマークに登録されている方のブログは面白いと思います。

あとそれ以外だと去年からむちゃくちゃ聞いているRie fuさんのブログがお勧めですね。
アーティストさんは、結構ホームページって形でやっている方が多いので、ブログっていう形は珍しいかも!?
http://blog.excite.co.jp/riefublog/

まぁそんなんで、皆さんのブログも紹介していただくとうれしいです。

昔のCDばかり。

2006年05月18日 | 日々思う(ブログ版)
起きる事象ひとつひとつに意味があるような気がするし、その背後にある力っていうのが存在しているような気がしています。

たとえば、アインシュタインは核の不使用を訴え続けたことの話を聞いたし。
多少雨っぽい天気は続いているけれど、自然が育っているね。緑が多くていいと思う。
くるりのTEAM ROCKはMDでしか持ってなかったので、CDで聞き直してみたら、数年前に、よく外を散歩しながら聞いていたのを思い出した。特に『リバー』を聞くとなんか懐かしくなる。

あんまり新しいCDは聞かないようになってきている。実は聞きたい曲なんて人生の間に少ししかないのかもしれないね。

手放したくない気持ち。

2006年05月17日 | 日々思う(ブログ版)

よく、そろそろ仏門に入って修行しようかと思う。
携帯とか、肉食とか、基本的になくてもいいと思っているので、向いているかもしれない。
仏教に帰依とか言って、今まで考えてきたことを全部投げ出せるのかよ?と問われても、できるような気がするから仕方ない。

そもそも「仏教の教え?へっ!」と思うことなんて、現代ではむちゃくちゃ簡単でしょ?
鼻で笑うことが現代の病気の一つだから。価値の相対化。
まわりにそういう人間が増えたから、もっと自分で何かを選びたい願望は強くなる。
心が平穏であればいいと思う。

昨日の今日で実は自分は結構落ち込んでいるのかもしれないと思った。

落ち着いて、馬鹿なことを言って、明るく振舞うことがひどく下品なことのようにも思えるし、そんなことを言っていても、徐々に日常に入っていけば、明るく考えていたほうがやりやすいとも思える。
明るく生きることを故人も望んでいるという話も聞くし、それはそうだろうなぁと思う。

実は、数日前に、自分は底なしに楽観的に考えることもできるという気がしていたのだ。
ただ、そうすると周りを配慮しなくなってしまいそうにも思えた。
だから、試験的にむちゃくちゃ楽観的にいこうかとも思っていたのだ。

でも、その数日間、自分が想像していたよりも大きな力が働いた。
厳粛な気分になった。そしてその時のほうがより多くのことが見えるような気がしたのだ。
だから、この厳粛な気分を安易に手放すのに抵抗感を感じる。
だからあと数日、黒いネクタイで通します。

(最近、よく雨が降るね。もう梅雨みたいな感じだ。漫画のワンピースを再び借りて読み始めました。エネルのあたり。あ、その前にペルだっけ?守護神っていう回のファルコン。あれは泣けるね~)


君を飾る花を咲かそう。

2006年05月16日 | 日々思う(ブログ版)
今日は告別式でした。

この「コクベツシキ」という言葉の響きが重いです。
別れを告げる。基本的に、この人生に別れを告げなきゃいけない瞬間なんて、このときくらいでいいと思う。
別れるとかいって、例えば男女の別れなんて決して究極的じゃないじゃない。
「どうせ死ぬときに別れるんだから、無理して何もかも忘れたように別れる必要なんてない」と思う時が多いし。

でも、この別れは避けられない。

あの出棺のときの音とかをイメージすると、葬儀場に向かう車の中でもう気が滅入った。
感情はニュートラルでいられるかと思ったけれど、棺の中に入れる祖母への手紙を書いていると、結構こみ上げるものがあった。

読経の声。

しかし、それ以上の瞬間は棺の中に花を入れる瞬間だ。
棺の中は一面花で飾られる。ユリ、キク。
その姿はおそろしく悲しい。たくさんの花に囲まれているのに。
たぶん多くの人があの瞬間の悲しさを知っているのだろう。
泣き声が聞こえてくる。
急に何かが振り切れたように号泣しそうしなった。
涙出るじゃん、俺。まだまともだった。
数日前、棺の中に祖母を入れたとき、ドライアイスのせいもあっただろうけれど、ものすごく冷たかった。
あの感触が蘇る。

釘の音。

想像していた出棺の車のクラクションの音が遠くまで届く。
小雨が降り出す。
位牌、遺影、喪服。

気づけば、棺の窓だけががあいている。
最後の時が近づく。
棺は奥に奥に入っていく。奥に。

変わり果てた祖母に会う。
白く。後は記憶のみが残る。悲しい。ひどく悲しい。
雨が降り出す。

雨の音。傘を叩く雨の音。

今日は予想以上に悲しかった。遥かに。
生あるものは必ず死が訪れる。
今日の僧侶が言ってた輪廻転生の話を、聞いていた。生まれ変わること。
でも私は死生観に関しては、仏教の言う輪廻転生を信じていないことは、このブログでも書いている通り。
でもひとつの考えとして聞いていた。

怨憎会苦なんてどうでもいいじゃん。

でも愛別離苦は確かにつらい。

今日という日がまた、どんどん過去に流されていってしまいそうで、これを書きました。
普段、時間は流れないと思っているけれど、時々刻々、過去に消えてしまうのが今はつらいので書きました。

5月16日。

(昨日のブログの最後に『人生の終わり』の一節を引用しました。これはTHE YELLOW MONKEYのSICKSというアルバムの最後の曲なのですが、この曲の終わりに短いファルセットだけの曲がついています。そのことは知っていたけれど、今日この曲を聞いてみて、初めていろんなことが伝わりました。すっごく泣けた。よかったら聞いてみてください。)

血が泣いてる。

2006年05月15日 | 日々思う(ブログ版)

祖母の件に関してのコメント・メールありがとうございました。

今は私自身体調不良なので、思い切ったことは何も考えられないんだけど、「死」にはいろんな側面があるよね。
自分自身はそんなに悪いものじゃないのかもしれないと思ったりします。いろんなものが終わり、また始まる。
22歳の告別式に出たことがあり、88歳の告別式に出ることになる。純粋に4倍かもしれないし、そうじゃないかもしれない。
この二つの生は等価かもしれないし、そうじゃないかもしれない。

いずれにせよ、終わったことを悔やんでも嘆いても仕方ないのだと思う。
なら喜ばしいことと思おう。

少し前に自分は「みんなに愛されている」と言ってくれた人がいた。
すぐにみんなには愛されていないと思ったし、その例を挙げることもできる。
でもそれに反論するよりも、その反例を挙げることよりも、
今ある状況と、
そして、
その言葉をくれた人への感謝が大切なんだろうと思う。

君の愛で育ったから、これが僕の愛の歌
          『人生の終わり~FOR GRANDMOTHER』
                                     THE YELLOW MONKEY


甘酸っぱいものなんて…。

2006年05月14日 | 日々思う(ブログ版)
風邪が重くなった。
とにかく鼻が痛い。物理が少し解けるようになってきた。それ以外にやらなきゃいけないことがあるんだけど。今は日程が立て込んでいる。
やたら甘いものが食べたくなるのが、いつもと体調が違うことのひとつなのかもしれないなぁと思った。むちゃくちゃチョコのエクレアが食べたくなって買った。あと、自分が好きじゃないところてん…。なんだろう?この奇妙な行動パターン。


最近、この時間に更新しているのもいいことじゃないような気がしています。
なんか押し迫っているから。でもここ数日、ちょっと具体的じゃないかな?

明日もいろいろあります。
優しい人々、ありがとう。