櫻井語録

惑わされずに 寄り添っていて。

毎日思うこと。

君を飾る花を咲かそう。

2006年05月16日 | 日々思う(ブログ版)
今日は告別式でした。

この「コクベツシキ」という言葉の響きが重いです。
別れを告げる。基本的に、この人生に別れを告げなきゃいけない瞬間なんて、このときくらいでいいと思う。
別れるとかいって、例えば男女の別れなんて決して究極的じゃないじゃない。
「どうせ死ぬときに別れるんだから、無理して何もかも忘れたように別れる必要なんてない」と思う時が多いし。

でも、この別れは避けられない。

あの出棺のときの音とかをイメージすると、葬儀場に向かう車の中でもう気が滅入った。
感情はニュートラルでいられるかと思ったけれど、棺の中に入れる祖母への手紙を書いていると、結構こみ上げるものがあった。

読経の声。

しかし、それ以上の瞬間は棺の中に花を入れる瞬間だ。
棺の中は一面花で飾られる。ユリ、キク。
その姿はおそろしく悲しい。たくさんの花に囲まれているのに。
たぶん多くの人があの瞬間の悲しさを知っているのだろう。
泣き声が聞こえてくる。
急に何かが振り切れたように号泣しそうしなった。
涙出るじゃん、俺。まだまともだった。
数日前、棺の中に祖母を入れたとき、ドライアイスのせいもあっただろうけれど、ものすごく冷たかった。
あの感触が蘇る。

釘の音。

想像していた出棺の車のクラクションの音が遠くまで届く。
小雨が降り出す。
位牌、遺影、喪服。

気づけば、棺の窓だけががあいている。
最後の時が近づく。
棺は奥に奥に入っていく。奥に。

変わり果てた祖母に会う。
白く。後は記憶のみが残る。悲しい。ひどく悲しい。
雨が降り出す。

雨の音。傘を叩く雨の音。

今日は予想以上に悲しかった。遥かに。
生あるものは必ず死が訪れる。
今日の僧侶が言ってた輪廻転生の話を、聞いていた。生まれ変わること。
でも私は死生観に関しては、仏教の言う輪廻転生を信じていないことは、このブログでも書いている通り。
でもひとつの考えとして聞いていた。

怨憎会苦なんてどうでもいいじゃん。

でも愛別離苦は確かにつらい。

今日という日がまた、どんどん過去に流されていってしまいそうで、これを書きました。
普段、時間は流れないと思っているけれど、時々刻々、過去に消えてしまうのが今はつらいので書きました。

5月16日。

(昨日のブログの最後に『人生の終わり』の一節を引用しました。これはTHE YELLOW MONKEYのSICKSというアルバムの最後の曲なのですが、この曲の終わりに短いファルセットだけの曲がついています。そのことは知っていたけれど、今日この曲を聞いてみて、初めていろんなことが伝わりました。すっごく泣けた。よかったら聞いてみてください。)