一人でご飯を食べているときによく、人生について考える。
「人生の意味は?」という問いかけに対しては「人生に意味を考えているものは人間だけだ」ということが浮かんでくる。だから、考えることはあまり意味のないことなのだろうか??
人生の意味を考えることについて、いろんな人間がいろんなアプローチをとってきた。
ハイデガー、キルケゴール、ニーチェ、サルトル。実存、愛、虚無。
あるいは、そういった問いかけを直視せずに生きようと言う人間もまたいる。
『宗教』は生きることに救いを与えようとする。
あるいは、問いかけ自体が人間の存在の意義だと言う者もいる。
『哲学』は生きることの本質を見つめようとする。
大奥を見ている。DVDを借りて、最初から見ている。最初は斜に構えて見ていたけど、瀬戸朝香が出てきてからはちょっと考え方が変わった。
人間はものを持っているから、幸せということはない。美人だから幸福であるとも限らない。また、美人であるからこそ、不遇であることもある。なんだかうまくいかないものだなぁと思いながら見ている。
肝心なことは、選ぶことなのかもしれないと思う。特に最近はよくそれを思うし、そう思わされる出来事も多く起こる。
なにかのアプローチを選ぶこと、宗教も哲学も。
自分が死んだ後のことを考えて怖ろしくなる人間と、別に大したことではないと思う人間がいるらしい。自分は、長い間、大したことではないというスタンスを取ってきたが、よくよく考えるととても怖いことのような気がする時期もあった。
しかし、今考えると、やっぱりどうでもいいことのような気がする。
とても感情が平らになってきたのだと思う。
心の波が起こらないような生き方を選択したのか、あるいは気がつかないだけなのか。
ただ、自分が今の瞬間を選んでいるような気は確かにしている。
「人生の意味は?」という問いかけに対しては「人生に意味を考えているものは人間だけだ」ということが浮かんでくる。だから、考えることはあまり意味のないことなのだろうか??
人生の意味を考えることについて、いろんな人間がいろんなアプローチをとってきた。
ハイデガー、キルケゴール、ニーチェ、サルトル。実存、愛、虚無。
あるいは、そういった問いかけを直視せずに生きようと言う人間もまたいる。
『宗教』は生きることに救いを与えようとする。
あるいは、問いかけ自体が人間の存在の意義だと言う者もいる。
『哲学』は生きることの本質を見つめようとする。
大奥を見ている。DVDを借りて、最初から見ている。最初は斜に構えて見ていたけど、瀬戸朝香が出てきてからはちょっと考え方が変わった。
人間はものを持っているから、幸せということはない。美人だから幸福であるとも限らない。また、美人であるからこそ、不遇であることもある。なんだかうまくいかないものだなぁと思いながら見ている。
肝心なことは、選ぶことなのかもしれないと思う。特に最近はよくそれを思うし、そう思わされる出来事も多く起こる。
なにかのアプローチを選ぶこと、宗教も哲学も。
自分が死んだ後のことを考えて怖ろしくなる人間と、別に大したことではないと思う人間がいるらしい。自分は、長い間、大したことではないというスタンスを取ってきたが、よくよく考えるととても怖いことのような気がする時期もあった。
しかし、今考えると、やっぱりどうでもいいことのような気がする。
とても感情が平らになってきたのだと思う。
心の波が起こらないような生き方を選択したのか、あるいは気がつかないだけなのか。
ただ、自分が今の瞬間を選んでいるような気は確かにしている。