櫻井語録

惑わされずに 寄り添っていて。

毎日思うこと。

月初めの【難しい】話。時間と本能。

2005年12月01日 | 日々思う(ブログ版)
昨日言っていた書きたいテーマに関してなんだけど、大雑把に言って、
自分の懐古癖は、人が誰しも行っている「生」の確認であるというようなことだと思うんですよね。

季節感などによってある種の昔が思い出されるとき、自分がその時存在していたことを思い出す。
時間論的に言えば、未来は存在しないし、知覚することはできないのに対して、過去は歴然と存在していることを確認する、というようなことだ。
ひとりになった時、過去の領域に自分の意識を飛ばす、あるいは飛んでしまうのは、今目の前にそれだけの余裕があるからで、そうすることによって自己の存在を認識できるからなのだと思う。

そこまでいくと、今に余裕があるということとはどういう状況なのか、
また、そこまでして自己の存在を確認する行為が必要なのかという疑問が湧いてくる。


ただ今ひとつ思うことは、人間の本能的性質として、たぶん記憶というものを人間が持つ以上、過去への回帰は、多かれ少なかれ不可避的なものなのではないかなぁということなのです。
私の考えでは、人間の過去への回帰は本能的とすら思えるのです。