12/26に感想をつけたのは
『片想フ』 永澤江里著
http://sakka.org/training/?mode=view&novno=1353&pageno=1
幾度も描写を重ねて分厚くする文体。珍しいものではない、むしろプロの作品にそういったものはよく見られ、そして量産型たりえるものだという点で羨ましいです。
また、おそらくこの人は小さい頃から小説に触れられている方なのではないかなと思います。言語で考え、言語で感じるというタイプ、したがってそれを素直に文字にしていけば自然とリズムもよくなるし、枚数の消化もプロットさえ出来れば比較的苦もなく達成できる(蛇足ですがプロット書いた方がいいというのはこういうタイプの人に特に当てはまる方法論ではないでしょうか)。
また人称関係なく主人公あるいは作者によった視点に映える文体でもあると思います。
私はどちらかと言えば直観を文字に直すのに四苦八苦しているタイプで、正直千枚クラスいや五百枚クラスの作品でさえも、それを作るときの苦しさを考えると尻込みしてしまいます。
12/29
『雨宮電気製作所(株)の忘年会(30枚)』 雨宮史典著
http://sakka.org/training/?mode=view&novno=1374&pageno=0
この作者も上の作者と同じタイプに見えました。勿論お互いそれぞれ個性をもっていますが、(私に比べて)苦もなく(小説としての)文章を生み出していくことが出来るという点で同じタイプということです。
総じて上の二作品、その分一文一文に掛ける時間が少ないのでしょう。そのため勢い、読み応え共にありますが、疵を放置しやすいし、いわゆる美文という評価は受け難いと思います。また、一文一文の的確性に必要以上には拘らないため、ある種格言めいた決め台詞的な文章も発生しにくい、そのせいで作中のフレーズをいつまでも読者の心に残すということにはなりにくく、心に残るのはあくまでイメージのレベルに留まり勝ちでしょう。フレーズでない、つまり名状できない分、明確な形をとって読者の印象に残り辛い。あえて欠点をあげればそんな感じです。
で、超有名どころを挙げれば大江健三郎なんかは、四苦八苦派とすらすら派(別の言い方をすれば詩に近いか近くないか)の長所を併せ持っていて、例えば長編「個人的な体験」なんかはひたすら重ね塗りする描写(しかもそのそれぞれが高い質を維持しています)の最後に《かつてあじわったことのない深甚な恐怖感が鳥(バード)をとらえた》という、私の顔面をしびれさせた決め台詞をもってきています。まあ、単純に次元が違うからすべてにおいてアマチュアよりも高レベルだといえばそれまでですが(^^;)
『片想フ』 永澤江里著
http://sakka.org/training/?mode=view&novno=1353&pageno=1
幾度も描写を重ねて分厚くする文体。珍しいものではない、むしろプロの作品にそういったものはよく見られ、そして量産型たりえるものだという点で羨ましいです。
また、おそらくこの人は小さい頃から小説に触れられている方なのではないかなと思います。言語で考え、言語で感じるというタイプ、したがってそれを素直に文字にしていけば自然とリズムもよくなるし、枚数の消化もプロットさえ出来れば比較的苦もなく達成できる(蛇足ですがプロット書いた方がいいというのはこういうタイプの人に特に当てはまる方法論ではないでしょうか)。
また人称関係なく主人公あるいは作者によった視点に映える文体でもあると思います。
私はどちらかと言えば直観を文字に直すのに四苦八苦しているタイプで、正直千枚クラスいや五百枚クラスの作品でさえも、それを作るときの苦しさを考えると尻込みしてしまいます。
12/29
『雨宮電気製作所(株)の忘年会(30枚)』 雨宮史典著
http://sakka.org/training/?mode=view&novno=1374&pageno=0
この作者も上の作者と同じタイプに見えました。勿論お互いそれぞれ個性をもっていますが、(私に比べて)苦もなく(小説としての)文章を生み出していくことが出来るという点で同じタイプということです。
総じて上の二作品、その分一文一文に掛ける時間が少ないのでしょう。そのため勢い、読み応え共にありますが、疵を放置しやすいし、いわゆる美文という評価は受け難いと思います。また、一文一文の的確性に必要以上には拘らないため、ある種格言めいた決め台詞的な文章も発生しにくい、そのせいで作中のフレーズをいつまでも読者の心に残すということにはなりにくく、心に残るのはあくまでイメージのレベルに留まり勝ちでしょう。フレーズでない、つまり名状できない分、明確な形をとって読者の印象に残り辛い。あえて欠点をあげればそんな感じです。
で、超有名どころを挙げれば大江健三郎なんかは、四苦八苦派とすらすら派(別の言い方をすれば詩に近いか近くないか)の長所を併せ持っていて、例えば長編「個人的な体験」なんかはひたすら重ね塗りする描写(しかもそのそれぞれが高い質を維持しています)の最後に《かつてあじわったことのない深甚な恐怖感が鳥(バード)をとらえた》という、私の顔面をしびれさせた決め台詞をもってきています。まあ、単純に次元が違うからすべてにおいてアマチュアよりも高レベルだといえばそれまでですが(^^;)
トラックバックって何なんでしょう。正直言って私にはよくわかりません。いや、わかることはわかるのですが、全然関係のないところからいきなりトラックバックされても困るのです。うんうん。
さて、記事の話に移りますが、どちらも読み応えのある作品なのかな、という印象を受けました。まだ未読ですが。この年末シーズンになって、読みたい作品がてんてこもり? なので困っているというのが正直なところなんですけどね。
未読なので詳しい話が出来ないのが残念なのですが、これから読んでみようかな、とは思っています。
それにしてもさっくんさん、最近読むペースが早いですね^^ ライジングさんなみですよ、これは。
私的には、さっくんさんとライジングさんのそれぞれの見解が読み比べられるので嬉しいんですけどねw
そういえば、忘年会をやったそうですね。一年の嫌なことは忘れ、教訓は生かし、来年もがんばりましょう!
最後に。
リンクをクリックしたら、新しいウインドウを開いてリンク先に飛ばす、という方法はあるのでしょうか。私の所だと、リンク先をクリックすると、今のブラウザのままリンク先に行ってしまうのです^^;
素敵だったー!
ううむ、さっくんさんの解説を読むとうまく言葉に出来ないことを説明していただけるので勉強になりまする。
どちらも読み応えありますよ。
鍛練場の作品の多くは文章にアマチュアくささというものがどうしても付きまといがちですが、この二つの作品は、これぞプロ予備軍という感じの文章です。それはよく計算されているとか洗練されているというのではないですが、単に書きなれているというのよりはちょっとだけ上のものです。
読む数は以前の状態に戻りつつあります。それは、おそらく中途半端に暇な時間があるためでしょう。創作するほどの、ある種精神統一的なものをする程の時間はないけど、何か自分の糧になることに当てるべき、そんな時間です。
忘年会は……微妙でした。漫画喫茶はせまっくるしくて、ほんと肩が凝る。いやなことは、そうですね。今は結構忘れていられそうです^^
リンクですが、編集画面の《ブックマーク》メニューの下の方に
ブックマークリンクの設定
同じWINDOW 新しいWINDOW
↑こんな感じのがあるので、新しいWINDOW の方をチェックすればOKです。
さんさんへ
片思フ、素敵ですよね。冒頭の文章は改良すべきでしょうが。
>うまく言葉に出来ないことを説明
これは、謙遜ではなく誇りを持って言うのですが、「ぶっちゃけ、私のやっていることはただそれだけに尽きます!」
何はともかく、今年もあと二日で終わりです。今年は鍛錬場に出会った、記念すべき年で、例年以上に充実した感があります。さっくんさんにも、大変お世話になりました。
そんなことで、来年もどうぞよろしくお願いします。
リンク、新しいウインドウを開くように設定できました。ありがとうございます^^
「片思フ」は読まねば!とは思っています。
ぱっと見た感じ、オイラと正反対の文体ですね。
今年は大変お世話になりました。
さっくんさんに「貧乏神」を褒めてもらわなかったら鍛錬場に居残ったかどうかアヤシイものです。
来年もよろしくお願いします。
お互いがんばりましょう!
私が最初に鍛錬場に投稿した作品、一番に感想を頂いたのはさっくんさまでございます。
ありがとうございました。
それが、今の沢山の人々とのつながりに結びついているのだなあ、と思うと感謝至極でございます。
来年もよろしくです!
闘う小説家、さっくん氏に幸あれ!
よいお年を。
今年はたくさんの魅力ある方々と出会えました。さっくんさんとも少しですがお話ができて、とっても楽しかったです☆
来年もさっくんさんにとって素晴らしい一年になりますように!
それでは良いお年を!
私にとってさっくんさんはよき友であり、よきライバルです。
これからも一緒に切磋琢磨して、高みを目指して行きましょう!
来年もよろしくお願いします。
それでは、よいお年を♪