さかいほういち@遠望楽観

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時代短編小説 お紅の渡し

2009年06月26日 17時56分19秒 | 動画
長良川の中流に「お紅の渡し」という渡し舟がある。
江戸時代からある渡しで、中仙道を行く旅人に重宝がられた。

若い下級の武士であろう、質素な着物にはつぎあてが数箇所ある。
何かの命でも受けているのだろうか、あるいは家族の元に帰るところであろうか、中仙道を急いでいるようだ。
細い道をくぐりぬけ、寺の境内をつきぬけた川原に「お紅の渡し」があった。
その若い武士は渡し賃二文を船頭に払い、渡し船に乗った。
船にはその武士と汗臭い匂いのする禅僧、商人であろう中年の男と、お伊勢参りの帰りのような風体の夫婦が乗っている。

とうとつに、禅僧が若い武士に言った。
「貴殿は悟りを得たいと思ったことはないか?」
若い武士は、ちょっとい汗臭い匂いにムッとして答えた。
「特にそのようなことは・・・・」
禅僧は哀れんだ表情で言う。
「人はこの世に生まれた限り、悟りを得ないといけません」
若い武士は答えた。
「わたしは僧侶でもないし、特に悟りなど興味はありません」
禅僧は、やれやれとでも言いたげに若者に向かっていった。
「人は悟りを得るためにこの世に生まれてきたのです、武士でも僧侶でも関係は有りませんぞ」

「しかし、私は武士ですので修行の時間を持ち合わせていません・・・」
若い武士は丁寧に禅僧に答えている。
「いやっ!武士とて悟りを得なければ生きる意味はない!」
禅僧は強い口調で言った。
「そんなものでしょうか?」武士が言う。

「そうじゃ、悟りは万人に必要なものじゃ」
禅僧がもったいぶって言う。
「和尚さま、悟りを得ると何か良いことがあるのでしょうか?」
若い武士が質問をした。
「うむぅ・・・それは、悟りを得れば幸せな人生が送れる」
禅僧は重々しい態度で、武士に言った。

若い武士は、ちょっと考えながら禅僧に、また丁寧に言った。
「私は下級の武士ですが、貧しいながらも家族みんなで幸せに暮らしています。これ以上何を望むものがあるというのでしょう!」

禅僧はにやけた面構えで、武士に言う。
「そのような幸せも幻のようなもの、すぐに消えてしまうぞっ!」
「いえ、幻だろうが何だろうが、私は妻や子供を愛しております」
若い武士は強い意志で答えた。

禅僧は、なをもネチネチと悟りを薦める。
「この傲慢な奴め!この世は幻じゃと言っておろうがっ!」
武士はむっとした気分で、しかし、きっぱりと禅僧に言う。
「幻であろうと、私はこの世が好きです!」

「この虚け者めっ!」
禅僧が恐ろしい顔で、若者を睨みつける。
「何十年も修行してきた、わしが言うことに間違いはない、わしが神じゃ!」

若い武士は悟った。
「この僧侶は完全に気がふれている、何を言っても通じることはない」
そう気がつくが早いか、若い武士はその禅僧の尻を思いっきり蹴飛ばした。

汗臭い匂いを残して禅僧は、もんどりうって川の中へ落ちていった。
ザバ~~ン!!
水しぶきが渡し舟中にかかった。
相乗りしていた商人も夫婦もずぶ濡れになったが、怒るものはいない。

そして、水面でアップアップしている禅僧に向かって隣の商人が叫んだ。
「おとといきあがれ!」

時代短編小説 桃源茶屋の旗

2009年06月26日 16時12分15秒 | 動画
江戸時代中期に禅問答が流行った。
修行中の禅僧は言うの及ばず、一般の庶民にまで禅問答が粋な趣味だともてはやされた。

旅人が峠の茶屋で団子を食べている。
茅葺の質素な茶屋であるが団子が美味いと言う評判で、中山道の旅人は必ずそこの茶屋の団子を食べ、また旅を急いだ。
杉の木の縁台に腰掛けながら、旅人は美味い団子をほおばりながら遠くの景色の山々を眺めていた。
縁台の上空には、茶屋の屋号である「桃源茶屋」の旗が風にそよいでいる。

旅人が団子を食べ終えほうじ茶をすすっていると、破れてぼろい袈裟を被った禅僧が近づいてきた。
「そこの旅のお人!」
禅僧は縁台でくつろぐ旅人に声をかけた。
「私ですか?」旅人は禅僧に向かって答えた。
名のある禅僧であろうか、禅僧はもったいぶって言う。
「そこの旗は、風が動かしているのか旗が動いているのか、どうっちかのぉ」
旅人はきょとんとして禅僧を見つめ返す。
禅僧は旅人が面食らっているのが面白そうに、また大げさに言った。
「そこの旗は、風が動かしているのか旗が動いているのか、どうっちかのぉ」
旅人は気味悪くなって、その禅僧を無視するように空をながめ、懐の財布をごそごそ捜す真似をしている。

禅僧は、なをもしつこく聞いてきた。
「そこの旗は、風が動かしているのか旗が動いているのか、どっちかと聞いておるのだ!」
旅人は、しつこさに負けたのか面倒くさくなったのか、いい加減に答えた。
「風が旗を動かしているのでしょう・・・」
禅僧は、その言葉を待っていたかのように言った。
「旗を動かせているのは、風でも旗でもない、あんたの心が動いているのじゃ!」
「はぁ・・・・・?」旅人はあっけにとられて唖然としている。

「どうじゃ、あんたの心が動いておるんじゃぞっ!」
禅僧が、ニヤニヤしながら勝ち誇った態度で旅人を見下している。
その勝ち誇った態度が癇に障ったのか、旅人は急に腹を立て言った。
「心が動いていようが、旗が動いていようが関係ねぇーぜっ!
俺は団子食ってるだけだっ!バカヤロー!」
そう言うが早いか旅人は禅僧の股間を思いっきり蹴った!

禅僧は悶絶し、地面にうずくまったまま動かない。
旅人は胸糞が悪くなった様子で、禅僧につばを吐きかけて峠の坂道を下っていった。