さかいほういち@遠望楽観

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(再)山頭火・温泉の句

2006年01月14日 22時37分44秒 | 温泉エッセイ


山頭火の温泉か銭湯の句。
どこかの温泉場か銭湯で町の人達が世間話をしている、そんな光景です。
ひょっとして湯治場の温泉にでも浸かった時の句かもしれません。

岩手県に大沢温泉という所があります。
宮澤賢治や高村光太郎が良く通った温泉です。
湯治宿の方は昔のままの風情を保ち、障子で仕切られた部屋では賑やかな世間話も聞こえてきました。
湯治場の売店も昔のままといった雰囲気で、懐かしくて色々なものを買った記憶があります。
温泉の湯船も3つほどあって、賢治や光太郎も浸かったであろうと思われる古色あふれる湯船と露天風呂がありました。

岩手の人々は世間話が好きなような気がします。
大沢温泉の道順を聞いたとき、何処から来たのかと米の出来具合とか世間話を30分ほどして、道順を教えてくれました。
また、距離感も随分と違うような気もします。
高村光太郎記念館への道程を聞いたとき、「ここの道を行けば、すぐそこですよ」と答えが返ってきました。
すぐそこ、と言われたので1kmくらいかな、と勝手に思って行ったのですが、5km行っても見つからず、10km行っても分からずじまい、結局断念した思い出があります。
「すぐそこ」って、地方によってどれくらいの距離を指すんでしょうか?
この辺りの町では100mくらいだと思うのですが、北海道とかだったら30kmくらい先でもOKなんでしょうか?
アリゾナあたりなら100km先だとか・・・・


名古屋の「画廊若林」にて2006・1・14~29日まで個展を開催します。


(再)山頭火・温泉の句

2006年01月14日 22時35分30秒 | 温泉エッセイ



放浪の俳人、山頭火の俳句。
山奥の温泉で混浴、湯船からはこんこんと暖かい温泉が湧いて溢れている、そんな光景が目に浮かぶ。
山頭火の俳句には温泉の句が結構多い。
流浪の旅を続ける山頭火には、暖かい温泉の湯が何よりもの安らぎだったのだろう。

私が若い頃、秘湯を求めて、色々なところへ足を運んだ。
温泉ブームになる以前のことだ。
奥深い山中の谷の間にある温泉や、一度大雨が降れば一瞬にして流されてしまうような温泉。
そもそも名前すら付いていない温泉なので、どんな温泉かも分からない。
特に、深夜に入る温泉は、他の人が居なくて貸切状態で気持ちがいい。

和歌山に「千人風呂」と呼ばれる天然温泉がある。
河原を掘り込んで、千人も入れるような温泉だ。
河原の石と石との間からは、プクプクと熱い温泉が湧いていた。
深夜3時頃、誰も居ない巨大な温泉は、竹林に囲まれ夜空には満月が輝いて、もうこのまま本物の仙人にでもなってしまおうかと思ったりしたものだ。

標高2000mくらいの岐阜県飛騨の山奥に、もう廃温泉となって久しい温泉があった。
露天風呂はほったらかしだったが、まだ源泉は生きていて、誰も入らない湯船に滾々と暖かい湯を供給していた。
掛け値なしの、源泉かけ流しという温泉だ。
画家や陶芸家やミュージシャン男女十数人と共に、その忘れ去られた秘湯に行ったことがある。
秋も深まって肌寒い季節だった。
皆一斉に湯船に浸かったので、ザァ・・・と熱い湯があふれ出し、山頭火の俳句そのものの情景だった。



名古屋の「画廊若林」にて2006・1・14~29日まで個展を開催します。


(再)山頭火・温泉の句

2006年01月13日 21時29分32秒 | 温泉エッセイ


ご存知、山頭火の温泉俳句。
つくづく山頭火は温泉好きだと思える。
あるいは、流浪の旅だったので風呂は温泉にしか入れなかったのかもしれない。
しかし、なんとも心地良さそうな俳句である。
温泉に入っている気分になってきた・・・・・

岐阜県の世界遺産・白川郷に入る途中に平瀬温泉がある。
白山の麓にある温泉である。
その昔には、銭湯のような温泉場があったが、今もあるのだろうか。
平瀬温泉も良い温泉なのだが、そこから一時間半くらい白山を登っていった所に「大白川温泉」がある。
平瀬温泉からの山中の道程は、険しい崖の上にある細い道を、クネクネと登らねばならない。
対向車など来たならばすれ違いが出来るかどうか、はなはだ疑問も残る、それは危険な山道だった。
幸い対向車など来る事も無く、その山道を走っていったのであるが、所々に見える景色は最高で、原始の風景でもあるかのようなブナの林は壮観だった。
大白川温泉に到着する寸前に、キャンプ場がある。
あまり知られていないキャンプ場だと思うのだが、そこの近くにあるブナの林は圧巻だった。
大の大人が3人くらいが手をつないでも回せきれないくらいの太いブナの樹木が何本も乱立し、それはそれは人の心を揺さぶる景色だった。
その奥に大白川温泉がある。
登山道の入り口なのだろうか、山小屋風の温泉小屋は風情があり、湯船も昔のままの雰囲気だった。
その小屋の外には、新しく出来た露天風呂があった。
男女に分かれてはいるが、とりたてて塀なども無く見晴らしも抜群に良い。
とくに遠景にみえるダム湖の水の色が尋常ではない色だった。
水の色は、まったく「水色」なのである。
変な言い方だが、普通、水の色は外部の景色や岩の色や空の色によって変化する。
だが、そのダム湖の水は、水彩絵の具の水色を溶かしたような、まったくの「水色」だったのだ。
水の成分なのだろうか、理由は分からないが、あのような水色の水は、それからも見たことはない。



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(再)山頭火・温泉の句

2006年01月13日 21時26分39秒 | 温泉エッセイ



流浪の俳人、山頭火の自由律俳句。
また、温泉の俳句で恐縮です(笑)
やはり日本中を歩いて旅を続ける山頭火にとって、温泉は心身共に休まる癒しの湯だったのだろう。
それに昔は温泉ブームなどありはしないので、源泉かけ流しの露天風呂は無料の所が多かったと思う。

温泉ブームになる以前の、つい20年前くらいでも無料の露天風呂は結構あった。
名前は忘れたが、山深い場所に良い露天風呂が有るというので、真冬で雪も降っているというのに出かけたことがある。
麓の駐車場までは車で行けたが、温泉の場所までは積雪がひどく歩いていくしか方法がなかった。
もう深夜近くなっていたが、月明かりと雪の反射で道のりは明るかった。
1時間近く、寒さに震え雪を踏みしめながら温泉に到着した。
服を脱ぎ、さぁ温泉の湯船に浸かるぞっ!と思った時、ザブンと湯船の向こうから音がした。
ギクッとして見て見ると、こんな場所でこんな時間に先客がいたのだった。
このような状況で温泉にやってくるとは酔狂な人もいるもんだ、と自分のことを棚に上げ、気を使って女湯の方に入った。
女湯といっても、当然誰も居ないので貸切状態の雪見温泉だった。
しかし、あの時の入浴していた人物はどんな人だったのだろう、暗くて見えなかったが、後に有名になった温泉作家だったかもしれない・・・。
あるいは、猿か幽霊か妖怪か、ひょっとして雪男?


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(再)山頭火の俳句 よい湯から~

2006年01月13日 19時45分05秒 | 温泉エッセイ



流離の俳人、山頭火の俳句です。
またまた温泉の俳句をお題にした書ですが、山頭火が温泉好きなのか、私が温泉好きなのか、あるいは両方ともなのか、定かではありませんが。
古今東西、日本人なら温泉で命の洗濯をするというのが、最上の休暇ではないでしょうか。


10数年前に、養老の滝で有名な岐阜県養老町に温泉が湧いた。
養老の滝というのは、貧乏な親孝行の息子が酒が欲しいという親の我ままを満たそうとおもい、滝の水を汲んだら、その水が酒になったという伝説の有る滝である。
その滝のほど近くに、その怪しげな温泉はあった。
怪しいといっても、いかがわしいという訳ではない。
まぁ、超現実的といった方が適切かもしれない。
我々芸術家仲間は「タルコフスキー温泉」と勝手に銘銘していた。
タルコフスキーとは、あのSF映画「ソラリス」や「ノスタルジイ」「ストーカー」「サクリファイス」などの、現実とも夢ともつかない素晴しい映画を作った監督の名前である。
その監督の名前を、勝ってにつけてしまったのには、それ相応の訳があるのだ。
その温泉は、唐突に牧歌的田園風景の中に突如として現れた、といっても地面からニョキニョキと生えてきた訳ではないが。
ようするに、業者が試しに切削したならば、1発でビンゴ!してしまった温泉のようなのだ。
そんな急ごしらえの温泉なので、掘っ立て小屋のような工場のような粗末な建築物の中にあった。
しかも、温泉と同時に天然ガスまで噴出したらしく、その粗末な小屋の横の煙突からは、まるでゾロアスター教の炎のように、ゴウゴウと火が燃えているのだった。
そして肝心な温泉の内部といえば、何かを貯蔵するためのような大きなプール状の、これまた粗末なコンクリート製の湯船なのだ。
温泉の泉質は、赤茶けて鉄分を含み塩辛かった。
その内部の光景が、まるでタルコフスキーの映画のでも出てくるような風景をかもし出していたのだった。
出来ることなら、古いコートでも着て湯船に佇み、聖書でも読んでみたかった。
夜になると、拝火教の炎が燃える、工場跡地のような温泉。
なんか、怪しげで素敵じゃないですか?
ああ?山頭火とまったく関係なかったですね(笑)



名古屋の「画廊若林」にて2006・1・14~29日まで個展を開催します。