「明宝」と地名が変わっても、頑なに「明方」の名前を使い続ける「明方豆腐」は、その名前に恥じない固めの豆腐である。
「箸でつまんでも崩れない」「豆の甘みがしっかりしている」この”豆腐の意志すら感じる”明方豆腐こそは、知る人ぞ知る隠れた名物であると言えるのではないか?
観光客相手ではないので、店も狭く普通の田舎の店である。
名宝の村の中にあるのだが、せせらぎ街道沿いに店があるわけではないので、観光客は通り過ぎてしまうことが多いと思う。
胡麻を入れた胡麻豆腐や、蓬を入れた蓬豆腐もあるが、やはり”木綿豆腐”が一番自己主張を感じる豆腐であるように思う。
コクがあるので、醤油を少したらして食べるのが一番美味い食べ方だと思うが、湯豆腐などにしても美味い。
「岐阜県明宝村畑佐」にある。
お地蔵さまを描いてみましょう |
お地蔵様の顔を細い筆で描きます 丸く描くのがベストですが、丸くなくてもいいでしょう。 四角とか三角でも味があります。 気楽にまあるく描きます |
耳を描きます 「3」を描くような感じでね 耳の下には丸い輪も描いてね |
眉毛や目、口を描きます。 額の丸いのは白毫(びゃくごう)という白い毛です 点みたいにして描くとOK! |
胴体と手を描きます 身体をもっと大きく描いてもいいです |
衣のシワなども描きます |
台座の蓮の花を描きます 枚数はお好みで |
太目の筆で顔の輪郭をなぞるように描きます 墨の濃さは薄めにしてください。 ずれても構いませんおおらかに描いてくださいね |
眉毛とかの陰影とか描きます 面倒な場合は無しにしてもOKよ |
線に沿って薄い墨で陰影を描きます これもずれても気にしない気にしない! |
蓮の花びらの陰影も描いてね |
太い筆に薄い墨で大胆に丸く後光を描いてください いきおいよく描くといい感じになります ずれても変な形になっても気にしない気にしない |
お地蔵様の全体の輪郭を描きます 写真のような形でなくてもOKですよ 丸とか楕円とか好きな形にしましょう |
薄い墨と濃い墨を混ぜて中くらいの濃さの墨を作ります 太い筆で胸当ての部分をいきおい良く描きます ずれても気にしないで! |
好きな言葉を書きます 書きたくなければ そのままで |
落款を押して、名前を書いて 完成です! |
岐阜県郡上八幡に吉田屋という旅館があります、その中に「美濃錦」という料理屋が併設されてあり、そこの鰻丼が絶品です。
養殖鰻ですが、郡上の清流にさらして生かせてあるので、鰻の臭みはまったく無く、天然物以上に美味いんじゃないかと思ってます。
少し甘めのタレは鰻の旨みを十分に引き出してます。
郡上おどりの日に、この美濃錦にいったとき、隣で大きな声で会話をしているおっさんがいた。
よく見たら、その人は俳優の近藤正臣氏でありました(実話)
養殖鰻ですが、郡上の清流にさらして生かせてあるので、鰻の臭みはまったく無く、天然物以上に美味いんじゃないかと思ってます。
少し甘めのタレは鰻の旨みを十分に引き出してます。
郡上おどりの日に、この美濃錦にいったとき、隣で大きな声で会話をしているおっさんがいた。
よく見たら、その人は俳優の近藤正臣氏でありました(実話)
岐阜市岩井にある瘡(かさ)神薬師は、ここの霊水で小野小町が水疱瘡を治したとされる薬師如来がご本尊の寺である。
境内には、おいしい水が湧いているが、今年は水量が少ない。
近くに「岩井屋」という菜飯田楽が美味い店があるが、今日も賑わっていた。
小野小町は9世紀ころの人物なので、そのころからこの薬師様はあったということだ。
歴史が深い!
この田楽屋も、当時からあったのだろうか?
田楽屋ではないかもしれないが、何がしかの茶屋のようなものはあったのかもしれない。
豆腐田楽250円 芋田楽300円 菜飯200円 味噌汁100円 とリーズナブル。
小野小町も顔を洗ったかもしれない霊泉。
なぜか秋の風情の小野小町像が祭られているお堂。
ロウソクと線香をお供えした。
鉄橋の 汽車に夕陽が落ちしとて
ここまでペンキ 匂いくるかな
賢治の短歌は、どこまでも映像的である。
夕焼けをバックにして、汽車が煙を上げながら鉄橋を渡る。
銀河鉄道ではないが、汽車は別の土地にあるであろう新しい自分の所へ連れて行ってくれる。
ペンキ塗りたての鉄橋のは、どこかよそよそしくもあるが初々しい巨大な鉄の彫刻のようだ。
交差する鉄骨の隙間から覗く夕陽は、赤と黄色と朱色のパレットの油絵の具のよう。
ペンキの匂いは、どこか懐かしい匂いで包まれている。
そんな映像を一瞬に描き出すことができる、賢治の短歌である
名古屋の「画廊若林」にて2006・1・14~29日まで個展を開催します。
風はまだやまず
窓がらすは 雨つぶのために
曇りながら まだがたがた 鳴りました
突然、風のようにやってきて風のように去っていった転校生の「又三郎」。
どっどどどどどうっ!と、嵐を呼んだのは又三郎だったのか、それともただの偶然の自然現象だったのか。
少年たちの心の中に激烈にとどめられた又三郎は、親しい「同級生」ではなく永遠に未知の「転校生」のまま存在し続ける。
その記憶は、純化され浄化され結晶化され、又三郎は風を使う「魔法使い」のようなのような、あるいは「風の精霊」のような存在として、少年達の心に永遠に刻み込まれてしまった。
素早くこの世を過ぎ去さっていく者達は、水晶や琥珀のように透明に結晶化し、美しさと神秘のオーラだけを残し遠くへ消え去ってゆくのである。