う・・ん、もうばれちゃうけど、
saeは、学生時代、歌や好きなことやるため、親に反対されたりもして、
まずは手に職つけて、好きなことやっても文句言われないようにしようということで、医療資格を取る道へ進みました。
看護師として、病院に就職したけど、
ひとを看るはずの看護師の患者さんや家族をみる目の視野の狭さにうんざり、
ひとの死になれなきゃ忙しい業務をこなしていけない世界にうんざり、
で、まったく別の仕事をしてた時期もありました。
患者さんにたいしての職業差別・・・水商売、やくざ
患者さんのキャラがおだやかで、聞き分けのいいひと、我慢強いひとが良しとされて、性格的にわがままさんだったり言うこときかなかったり、妙にくらかったりおしゃべりだと問題ありの人物だと言われる。
嫁、姑関係などの長年の関係は他人に理解できっこないのに、面会にこないお嫁さんは、薄情だと勝手に言われてしまったり。
ひとのこと偉そうに評価できるほど、わたしたちは偉いの
どんな仕事も大変。 水商売って、世間からとかく偏見の目でみられるけど、たとえば、病院は具合が悪くなれば仕方なく行くけど、飲み屋さんなんぞ、景気が悪くなれば閑古鳥で、お客さんを呼ぶのに大変です。
お客さんにまた来ようと思わせる、1回、1回の接客、心配り、営業、仕事は大変だと想います。
以前、離婚して、子ども3人をひとりで育ててるある女性に出会いました。
学校から帰ると、おやつをたべさせて、宿題や勉強をみてやって、夕ごはんを食べさせて、おふろにいれて寝かしつけてから夜お店で働いて、夏休み、冬休みの宿題は、1週間くらいつきっきりでやらせてさっさと終わらせてしまう。あとは自由に遊ばせて、でも子どもたちは学校でも優秀だし、聞き分けのよいいい子たち。昼間子どもたちの勉強やごはんのしたくがあるから、率のよい仕事は夜の仕事しかない。
そんなふうに一生懸命がんばってるひとたちが、世間から偏見の目でみられるのはぜったいにおかしい
病院ではたらくのは、医療ミスさえしなければ、売り上げ成績も営業ノルマもないし、水商売よりよっぽど楽だと想う。
サラリーマンだって、営業とか会社の売り上げとか、万年胃潰瘍わずらったり精神的に大変ですよねえ。
視野の狭いひとになりたくないなあ。
人間って、いろいろなひとがいるから面白い。
みんながみんな、おだやかで優等生みたいだったら、面白くないよねえ。
いま、音楽のため、生活のため、またこの仕事をやらざるえない状況だけど、
やっぱり、どこの職場でも、「あの患者、ちょっとおかしい。かわってる。」などと毎日のように聞かれることば。
でもそのおかしいといわれてるひと、
自分より年はずっと上で、子どももいるおかあさんだったりするけど、いろいろ話してみたり、日々かかわっていくと、はじめ鋭い目つきだったのが、今では心を開いて笑顔で話もしてくれるし、何かすれば、ありがとうと無邪気な顔でかわいらしくて、なんだかsaeのほうがお姉さんになっちゃったみたいなときもあるの。
いろんなひと、いろんなキャラがいて面白い
ひとをみる仕事につくなら
もっと自分たちがひととして成長しなきゃだめなんじゃない
そう想ってるこのごろ。
もしこのブログ読んでくれてるひとで、身内やまわりにナースのかたがいたら、気分を害したかもでごめんなさいです
もちろん、そんな視野の狭い人たちばかりじゃなくて、素晴らしい、ステキなナースはたくさんいますよ
この春赤ちゃんが生まれる大切な友だちも、ほんとうに人間的にsaeちんが惚れ込んでるすばらしいヤツです
ひとって、常識的だとか、
温厚なひとだとか、
物腰のやわらかく、礼儀正しく、ちょっとしたことで、ありがとうございますと口にだすひと。
そんなひとたちばかりじゃなくて、すぱすぱものをいうひと、個性的なひと、とっつきにくいひと、泣き虫、短気なひと、いろんなひとがいておもしろい。
そういうひとたちは、裏表がなくて、深く付き合うとへんにお世辞も言わないし、気の置けない友になれたりする。短気なひとだって、感受性が豊かだったり、根はやさしいひとだったりもするし。
どんなひとにもいいとこ、わるいとこあるし、
ひとにはみせないいろいろな面ももってるし、
ひとの評価なんて、安易にできないものだとおもうの。
歌の世界も、自分のものさしで曲かいてばかりじゃ、世の中のひとたちに共感してもらえる曲なんてかけない。
視野を広く持って、グローバルな人間を目指さないとね。
もちろん、自分の個性、世界観をしっかり打ち出して貫くこともだいじだけど、
常に、世の中のひとたちは何を求めてるか?
こんなとき、ひとはどんなふうにかんじるんだろう?自分はこう感じるけどなあ。
って試行錯誤とにんげん観察、にんげん修行が必要だと想うしね。
なんか書きたいままに好き勝手書いたら、
まとまってないし~
眠くなりましたぁ
saeは、学生時代、歌や好きなことやるため、親に反対されたりもして、
まずは手に職つけて、好きなことやっても文句言われないようにしようということで、医療資格を取る道へ進みました。
看護師として、病院に就職したけど、
ひとを看るはずの看護師の患者さんや家族をみる目の視野の狭さにうんざり、
ひとの死になれなきゃ忙しい業務をこなしていけない世界にうんざり、
で、まったく別の仕事をしてた時期もありました。
患者さんにたいしての職業差別・・・水商売、やくざ
患者さんのキャラがおだやかで、聞き分けのいいひと、我慢強いひとが良しとされて、性格的にわがままさんだったり言うこときかなかったり、妙にくらかったりおしゃべりだと問題ありの人物だと言われる。
嫁、姑関係などの長年の関係は他人に理解できっこないのに、面会にこないお嫁さんは、薄情だと勝手に言われてしまったり。
ひとのこと偉そうに評価できるほど、わたしたちは偉いの
どんな仕事も大変。 水商売って、世間からとかく偏見の目でみられるけど、たとえば、病院は具合が悪くなれば仕方なく行くけど、飲み屋さんなんぞ、景気が悪くなれば閑古鳥で、お客さんを呼ぶのに大変です。
お客さんにまた来ようと思わせる、1回、1回の接客、心配り、営業、仕事は大変だと想います。
以前、離婚して、子ども3人をひとりで育ててるある女性に出会いました。
学校から帰ると、おやつをたべさせて、宿題や勉強をみてやって、夕ごはんを食べさせて、おふろにいれて寝かしつけてから夜お店で働いて、夏休み、冬休みの宿題は、1週間くらいつきっきりでやらせてさっさと終わらせてしまう。あとは自由に遊ばせて、でも子どもたちは学校でも優秀だし、聞き分けのよいいい子たち。昼間子どもたちの勉強やごはんのしたくがあるから、率のよい仕事は夜の仕事しかない。
そんなふうに一生懸命がんばってるひとたちが、世間から偏見の目でみられるのはぜったいにおかしい
病院ではたらくのは、医療ミスさえしなければ、売り上げ成績も営業ノルマもないし、水商売よりよっぽど楽だと想う。
サラリーマンだって、営業とか会社の売り上げとか、万年胃潰瘍わずらったり精神的に大変ですよねえ。
視野の狭いひとになりたくないなあ。
人間って、いろいろなひとがいるから面白い。
みんながみんな、おだやかで優等生みたいだったら、面白くないよねえ。
いま、音楽のため、生活のため、またこの仕事をやらざるえない状況だけど、
やっぱり、どこの職場でも、「あの患者、ちょっとおかしい。かわってる。」などと毎日のように聞かれることば。
でもそのおかしいといわれてるひと、
自分より年はずっと上で、子どももいるおかあさんだったりするけど、いろいろ話してみたり、日々かかわっていくと、はじめ鋭い目つきだったのが、今では心を開いて笑顔で話もしてくれるし、何かすれば、ありがとうと無邪気な顔でかわいらしくて、なんだかsaeのほうがお姉さんになっちゃったみたいなときもあるの。
いろんなひと、いろんなキャラがいて面白い
ひとをみる仕事につくなら
もっと自分たちがひととして成長しなきゃだめなんじゃない
そう想ってるこのごろ。
もしこのブログ読んでくれてるひとで、身内やまわりにナースのかたがいたら、気分を害したかもでごめんなさいです
もちろん、そんな視野の狭い人たちばかりじゃなくて、素晴らしい、ステキなナースはたくさんいますよ
この春赤ちゃんが生まれる大切な友だちも、ほんとうに人間的にsaeちんが惚れ込んでるすばらしいヤツです
ひとって、常識的だとか、
温厚なひとだとか、
物腰のやわらかく、礼儀正しく、ちょっとしたことで、ありがとうございますと口にだすひと。
そんなひとたちばかりじゃなくて、すぱすぱものをいうひと、個性的なひと、とっつきにくいひと、泣き虫、短気なひと、いろんなひとがいておもしろい。
そういうひとたちは、裏表がなくて、深く付き合うとへんにお世辞も言わないし、気の置けない友になれたりする。短気なひとだって、感受性が豊かだったり、根はやさしいひとだったりもするし。
どんなひとにもいいとこ、わるいとこあるし、
ひとにはみせないいろいろな面ももってるし、
ひとの評価なんて、安易にできないものだとおもうの。
歌の世界も、自分のものさしで曲かいてばかりじゃ、世の中のひとたちに共感してもらえる曲なんてかけない。
視野を広く持って、グローバルな人間を目指さないとね。
もちろん、自分の個性、世界観をしっかり打ち出して貫くこともだいじだけど、
常に、世の中のひとたちは何を求めてるか?
こんなとき、ひとはどんなふうにかんじるんだろう?自分はこう感じるけどなあ。
って試行錯誤とにんげん観察、にんげん修行が必要だと想うしね。
なんか書きたいままに好き勝手書いたら、
まとまってないし~
眠くなりましたぁ
ナースにしても葬儀屋さんにしても人の命や死を扱う仕事は大変だと思います。
でも人として大切なことは忘れてはいけないですよね☆
昨日舞台を観てきて、希望と絶望、人の居場所、生きていくことの意味を考えさせられたばかりなので、saeちんのこの日記にとても共感できました♪
ブログにはあんなふうに書いたけど、新しい職場のナースたちは、みなテキパキ仕事をこなしてるし、新参者のsaeちんに対してもやさしいです。口では患者さんのこといろいろ言っても、ちゃんと仕事してるんですよねぇ。
saeも、何のために生きるのか、自分の居場所、いろいろかんがえることがあります。
人生は修業の場。乗り越えられない試練は神様は与えはしない。
苦しいこと、つらいことがあるから、楽しいこと、幸せなことを感じる心と感謝の気持ちがもてる。
そんなことを教えられてきたけど、ひとは弱い。弱いから支えあって生きるし、ひとを愛したり愛されたりして、傷ついたり傷つけあったりして、生きていくのかなぁ。
中島みゆきさんの「糸」、saeがバイブル的にしている曲ですが、
なぜ生きてゆくのかを
迷った日の跡のささくれ・・
縦の糸はあなた
横の糸はわたし
織りなす糸はいつか誰かの傷をかばうかもしれない
縦の糸はあなた
横の糸はわたし
逢うべき糸に出逢えることを
ひとは仕合わせとよびます
この曲が、生きることの意味をあらわしてるように感じるsaeちんですぅ
若い頃「世の中にはこんなに我慢しなければいけないことがあるのか」と憤りを感じたことがよくありました。
挨拶もろくにできない人、自分の仕事が終われば何もしない人、また超お節介な人(笑)…そんな先輩社員を見てよく腹をたてたりもしました。
でも、困った時助けてくれるのもそんな先輩たちでした。
今は一人で仕事をしているので比較する人もいなく、あの頃が懐かしいです。(笑)
みゆきさんの「糸」は聴いたことがないので今度探してみますね。
私はここしばらく「狼になりたい」を聴いています。
「狼」というキャラではないですが、「夜明け間際の吉野屋」という設定がたまりません。
途中まで書いてたんですが、結構深い話になってしまい纏まりませんでした。(文才がないんです)
纏まるようでしたらまた、書きにきます。
いいところもわるいところも。 完璧になる必要もない。わたしたちは神様じゃないし~(^o^)
いろんなひとがいて、いろんなひとと関わっていくことが、社会勉強であり、人生の勉強なんでしょうね。saeはまだまだひとのことがいろいろ気になったりするんですがぁ、まあるくなって、いろんなひとを受け入れられるキャパをもっていたい、そうじゃなきゃ、ひとに共感される歌も歌えないと想ってますぅ。
今週もいろんなひととうまく関わりながら、過ごしていけたらいいなぁ(*^o^*)☆♪
答えのみつからない言葉や、未完成な言葉の中に、そのひとの想いや、ともにそれについて触れてみたり、考えてみたり、そんなのって素敵だなぁなんて、想ってるですよぉ