こひのうた
在原業平の恋歌。ただの恋歌と思う人はいないでしょう。どのような乞いざまが詠まれてあるのでしょう。併せて、伊勢物語の同じ歌を聞きましょう。
古今和歌集 巻第十三恋歌三
616
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やよひのついたちより、忍びに人にものらいひてのちに、雨のそほふりけるによみてつかはしける
在原業平朝臣
おきもせずねもせでよるをあかしては 春の物とてながめくらしつ
三月の一日より、忍んでひとに言葉など交わした後に、雨がしとしと降ったときに詠んで遣った歌
起きもせず寝もせず夜を明かしては、春の雨だと眺めていて日が暮れました……おくり置きもせず、あなたの声もせず、夜を明かしては、張るの物だと、思いに耽ってはてました。
やよいのつい立ちより、忍びにひとにものなど交わした後に、お雨がそぼと降ったので、詠んで遣った。
「やよひついたち…三月一日…春爛漫…やあ好いのつい立ち」「人…女」「雨…春雨…おとこ雨」。「おき…起き…立ち…置き」「ね…寝…音…声」「はる…春…張る」「ながめ…眺め…もの思いに耽る…長雨…淫雨…おとこ雨」「くらす…過ごす…日暮れを迎える…ものが果てる」。
やよひのつい立ちお雨そぼ降る
伊勢物語2は、同じ歌を、次のように語っている。原文、清げな読み、心にをかしき読みの順に示す。
むかし、をとこありけり。ならの京ははなれ、この京は人の家まださだまらざりける時に、にしの京に女ありけり。その女、世人にはまされりけり。その人、かたちよりは、心なんまさりたりける。ひとりのみもあらざりけらし。かのまめをとこ、うちものかたらひて、かへりきて、いかが思ひけん、時はやよひのついたち、あめそほふるに、やりける。
おきもせずねもせでよるをあかしては 春の物とてながめくらしつ
昔、男がいた。奈良の京は遷都で離れ、この京は、人家がまだ定まらなかった時に、西の京に女がいた。その女、世の人よりは優れていた。その人、容姿よりは、心が優れていたのだった。独り身ではなかったらしい。かのまじめで実直な男、すこし話などして帰って来て、何と思ったか、時は三月一日、雨がしとしと降っているのに、歌を詠んで届けさせた。
起きもせず寝もせずに、夜を明かしては、春の雨だと眺め、もの思いに耽って過ごしました。
むかし、おとこがあった。ならの京を離れ移ったこの京では、通うべきひとのいへ、定まっていなかった時に、辺鄙な西の京に女がいた。その女、世の人よりまさっていた。その人、容姿よりも心が優っていた。独りだけで居たのではなかったらしい。それをあの熱心な勤勉おとこ、うちもの片らひて、帰ってきて、何と思ったか、時はやよいのつい立ち、おとこ雨そぼ降るので、やったのだった。
おくり置きもせず、あなたの声もせず、夜を明かしては、張るの物だと、思いに耽ってはてました。
伊勢物語も歌も、清げな読みのままで留まらず、言の戯れと言の心を心得て、心にをかしきところをも聞くことが出来れば、物語の作者は誰か、この女は誰か、なぜこのような語り方するのかといったことなども、やがて自ずから、わかるでしょう。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の古今伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず